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アル中の子はアル中になるか?

何して生きてる?
予定に引きずられるように生きてる

慢性的に体がだるい。
今年の年末は忙しかった。会社は割とホワイトで、ある程度自分の裁量で業務量をコントロールできるとはいえずっと疲れていた。疲労が取れなくて朝支度の途中で動けなくなっていた。まあでも会社に行きたくない大多数の社会人はそんなもんだろうという程度で。

とはいえ、しんどいものはしんどく、なんとかしようと思った。
睡眠をとるとか、美味しいものを食べに行くとか、人と遊びに行くとか、サプリとか、気分転換とか。寝れるし食べれるし日中はそこそこ元気。朝だけだるいし、気分が沈むこともある。

そんな感じで常にうっすら体調不良のまま過ごしていた。そしてある日気づいた。
お酒飲むと元気になるから、すこ〜しだけ飲めばいいのでは?、と。お酒がほぼ飲めない私はその発想にすぐ至らなかった。

次の休みに近所のドラッグストアへ行った。
久しぶりに外に出た気がした。

チューハイを3本買って家に帰って早速あけた。目論見は当たっていた。直近で嫌なことがあって気づけばずっとそのことを考えてしまっていたのだけれど、フワフワした頭では考えられなくて、どうでもいい気がした。
たった150ml程度で喉が熱くなって気分が落ち着いてなんてコスパのいい体質なんだ、と思った。
前に比べてじわじわと、部屋が散らかったり、食事が簡単なものになったり、寝ている時間が増えていたことに気づいた。日中起き上がって野菜を切って冷凍したり絵を描いたり掃除機をかけたりした。

私はそれを酒バフと呼んだ。あるいは酒をガソリンにしている、と。

気づく。思い出した。

子供の頃、たびたび台所の入り口から死角になる棚の隅にアルコールの缶が置かれていたこと。その時母は料理をしていたこと。お金がないからとジュースを買ってもらえなかった私はそれを羨ましいとしか思わなかったが、あれは、酒バフだったのだ。

詳しくは覚えていないが、あの頃の母は忙しい人で頑張ってしまう人だった。
私が高校生になったぐらいに、母はいつの間にかアル中と診断され、いつの間にか自助グループの活動に参加するようになった。暴れたり感情的になることがなかったから、そうなるまで私は知らなかった。
母の父は感情的に暴れるタイプの方のアル中だったらしい。私が生まれる前に亡くなっていて、誰も語りたがらないので詳しくは知らない。

私は下戸だ。缶チューハイ半分でギブアップするレベルの。
でも、酒でバフをかける考え方はたぶん母と同じでそれは血として受け継がれていたのかと思うと少し怖くなった。

ただ、私の酒バフをかける生活は始まらなかった。一度に飲めないから冷蔵庫に保管したチューハイはアルコールが飛んでいたから、二本目に開けたチューハイはメーカーが違うからか、上手く酔えなかった。

酔うために半分くらい一度に飲んだ私に訪れたのは、心地よい高揚感ではなく気持ち悪さと少しの頭痛だけだった。三本目は開けていないし、新しく買いに行く気力もなかった。

生きてる。

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