見出し画像

旅は飽きてからが本番|小豆島・犬島一人旅日記

1・2日目の日記はこちら / 3日目の日記はこちら

4日目

「旅は飽きてからが本番だから」
この一人旅の出発前、彼女に「5泊6日って長くない?」と聞かれたわたしは、得意げにこう答えた。

そして今、完全に飽きている。観光疲れ。今日はホテルでゆっくりYouTubeでも見ていたい。というかもう家に帰りたい。
だけどあんなスカした発言をしてしまったのだから、口が裂けても「帰りたい」なんて言えない。

10時頃にホテル近くのバス停へ向かう。映画『八日目の蝉』を観てからずっと行きたいと思っていた、中山千枚田に行くのだ。
30分もかからず、中山千枚田の真ん前、山中の春日神社前というバス停に到着した。

目の前にはのどかな田園風景が広がる。誤解を恐れずに言うと、絶景という類の風景ではない。黄と緑が茂っていて特別感はない、普通寄りの風景である。ただ、人間によるたしかな作業の痕とか、ところどころに施された工夫とか、そういうものから滲み出る美しさがある。部屋で言うならばおばあちゃんの家みたいな、実用性由来の美しさである。

ただ、遠くから見ても近くに寄っても、こうべを垂れる黄金色の稲穂は美しい。
わたしたちは生きるために食べる。食べるために作物を育てる。その作物が、その風景が、こんなにも美しいとは何という幸運だろう。まるで人間の営みを地球が肯定してくれているようだ。

まさに悠久という言葉がよく似合う風景だ。悠久なんて正確に言葉の意味も知らないのに、なんとなく「悠久だなあ」と思ってしまう。
こういう景色を見たら、イコール悠久。テレビや雑誌でそう刷り込まれてきた。それ以外の語彙がないから、なんとなく浮かんでくるだけ。自分の言葉で表すことを諦めた、浅い感想だ。
とりあえず悠久という言葉の意味を調べると、

果てしなく長く続くこと。長く久しいこと。また、そのさま。

ということらしい。思っていた意味と少し違った。目の前に広がる棚田の美しさを、全く言い表せていない。
すぐに伝えられる言葉はないだろうかと探すが、やはりそんな言葉ないのだ。

朝電話で予約したこまめ食堂で、棚田を眺めながらそうめん定食を注文する。そうめんなんて食べるの10年ぶりくらいかもしれない。魚の唐揚げもボリューム感があって大満足。

それから電動自転車で池田港まで山道を下る。急な上り坂が続いたりしないか不安だったが、バスの本数が少なくて、次のバスまで2時間弱待たないといけなかったので、自転車移動することにした。
小豆島はHELLO CYCLINGが至る所にあって便利だ。直島と豊島のレンタルサイクルは、2,000円で1日貸しだったり4時間貸しだったりで、当然だが借りた場所に返さないといけなかった。
HELLO CYCLINGは15分から借りられて乗り捨てもできる。あるだけで移動の自由度が格段に増す。

池田港までの道のりは、時折電動自転車でも大変な上り坂もあったけれど、基本は下り坂でスイスイと、20分くらいで山道を突っ切ることができた。
自分は山の中も自転車で移動できるのだという謎の自信が生まれた。
池田港のポートで自転車を返却して、オリーブ公園方面に向かうバスに乗る。
オリーブ公園口というバス停で降りて、「魔女の宅急便」の舞台となったオリーブ公園を覗いてみる。なんとなく予想はしていたが、貸し出しのほうきを持ったカップルや友だちグループや子連ればかりで、一人旅の人間の居場所はなかった。滞在時間3分くらいで離脱。

近くの二十四の瞳映画村行きの渡し舟乗り場へ向かう。少し値段は高いけれど、車で50分近くかかる道を、渡し舟だと20分くらいで行ける。しかも、映画の中で大石先生が岬の分教場まで通った海の道を再現しているとのことで、迷わずチケットを買った。
乗り場で5分くらい待っていると、向こうから10人乗りくらいの小さな船がやってきた。運転士とサポート役のおじさん3人に迎えられて乗り込む。
小さな船は意外と速く進む。せっかくだからここでも動画を撮る。どうせ見返さないだろうけど。おじさんたちに浮かれた観光客だと思われないように、こそこそとカメラを海に向ける。
だけどよくよく考えれば、このおじさんたちだってどこかへ旅行に行けば、旅先ではただの観光客になるのだ。それは観光地で働くどの人も同じで、そんな当然の事実がなんだかうれしい。

そうして辿り着いた二十四の瞳映画村は、思ってたよりも小さかった。展望台の目の前に広がる海も、今日は雲が多くて、晴れてたらもっと綺麗だったろうなあと少し残念。
寒霞渓に行ったほうが良かったかな、なんて思いながら木造校舎を見て回る。さてどうしようかと教室の椅子に座っていたら、突然5人のお年寄りたちが教壇で何かの準備を始めた。どうやらボランティアによる紙芝居が始まるらしい。
ちょうど席についていたわたしは「徳田吉次」と書かれた紙を渡された。出席を取るシーンで、大石先生から名前を呼ばれたら「はい」と返事をしてくださいということらしい。一人なのにまさかの参加型である。

そういえば小学校では、不定期で朝の時間に、保護者のお母さんたちが絵本の読み聞かせに来てくれていた。
あれはPTAかボランティアかで決められていたのだろうか。立候補制だったのだろうか。仕組みは今でもよくわからないのだが、友だちのお母さんたちが来てくれて、わたしたち生徒は皆、夢中になって聴いていた。思い返せば、プロでもないのに、どのお母さんもとても上手だった。家で練習してくださっていたのだろうか。
おじいちゃんおばあちゃんたちによる「二十四の瞳」の読み聞かせは、とても上手とは言えないが、心温まるものだった。ラストのシーンで失明した磯吉を演じるおじいちゃんが、サングラスをかけたせいでセリフを読めなくなってたり。皆さんかわいらしくてほっこりした。なんだか良いものを見れた。

帰りの渡し船は貸切だった。オリーブ公園口に着いて、そこからバスでホテルに帰る。
靴下が足りなくなったのでユニクロに行きたいなと思ったが、どうやら小豆島にはないようだ。みんな服はどうしてるのだろうか。

ホテルに戻り、併設している温泉施設で風呂とサウナに2時間くらい入りながら、「旅は飽きてからが本番」という言葉の意味をゆっくり考える。
あながち間違いではないと思った。

それは、現地の人のようにその土地での時間を過ごせるからということではない。人見知りで色にも保守的なわたしには、そういう暮らすように旅する類の体験は非常にストレスである。

わたしがこれだと思ったのは、旅に飽きてきたら、普段の生活の素晴らしさに気づけるという点においてである。
一泊や二泊の旅行だと名残惜しい。非日常の素晴らしさにばかり意識がいって、日常には戻りたくないという気持ちが強くなってしまう。
ただ、長い旅行になると、もう主要なスポットは回りきってやることが無くなる。そうすると徐々に帰りたい気持ちが増してくる。

都会でも田舎でもない近所のありふれた風景。建物の隙間から微かにのぞく、夕暮れ時の紫の空。すれ違う散歩中の雑種犬。そういうものが恋しくなる。ああ、あれはあれで素晴らしい風景だったのだ。
忙しない平日の午前すら恋しくなってくる。朝なんとか布団から脱出して、コーヒーを淹れて、歯を磨きながらパソコンを起動する。在宅ワークは単調だと思うことはあるけれど、ZOOMでの上司との雑談や、突発的に発生する業務に頭を悩ませることもあって、そこまで嫌ではない。

ああ、わたしのいるべき日常はあそこで、あそこはそんなに悪い場所ではない。
こんな調子で、旅行中に普段の生活のことを考える。この非日常から日常へのシームレスな移行する感覚が、わたしの人生には定期的に必要なのだなあ。

5日目

9時前のフェリーに乗って豊島・宮浦港へ。さらに宮浦港で高速船に乗り換えて犬島へ上陸する。
犬島には、煙害対策や原料輸送の利便性から、1909年に地元資本によって製錬所が建設された。しかし、銅価格の大暴落によって、製錬所はわずか10年で操業を終えた。その銅製錬所の遺構を保存・再生した、工場跡や煙突、そして犬島製錬所美術館がある。

まずチケットセンターでチケットを買って、犬島製錬所美術館に入る。
最初に少し説明を受けて、すぐに真っ暗で細い通路に案内された。その入口には大きなオレンジの太陽の映像が映し出されていて、奥にはうっすらと出口の光が見える。ひとまず、太陽を背にして、光に向かって一直線の通路をゆっくり進む。
ところが、一直線だと思っていた通路はそうではなかった。奥に曲がり角があって、曲がり角には鏡が置いてあって、さらに次の曲がり角にも壁一面の鏡がある。つまり、さっきまでずっと見ていた鏡には、次の曲がり角の鏡の光が届いていたのだ。そして、後ろを振り返ると、曲がり角で決別したはずの、オレンジに燃える太陽が、まだわたしを監視している。
出口の光を求めて前へ進む。曲がる。進む。曲がる。進む。
どれだけ前に進んでも、すぐ後ろにはずっと太陽が追いかけて来る。決して振り払うことはできない恐ろしさ。

何度か曲がると、ずっと前方に見えていた光が徐々に大きくなってきた。終わりが近づいているのがわかる。ようやく出口の光を浴びることができる。そう思って足早になる。
そしてついにその場所に辿り着いた。

けれど、そこにあったのは出口ではなかった。

窓だった。
窓の先には、空を映した鏡がある。
ずっと出口の光だと思っていたのは、空の光だった。
空の光が、延々と仕掛けられた鏡に反射して、通路まで届いていた。
ただの光だったのだ。

出口を求めて歩いた末に辿り着いた先が、出口ではなかったという絶望と、それが空であったという希望。
わたしたちにとって空とはどんなものだろう。高くて広い青空は、希望を感じさせてくれる。けれど、生身の人間としては決して行くことはできない。わたしたちが空を見上げて感じる希望は、ただの幻想に過ぎないのかもしれない。
そう考えると、この場所で空を見せられるという結末は、とても残酷である。でもやはり、目の前の白い光は息を呑むほど美しい。
鏡で曲げて正面に空が見えるというのは、なんだか不思議な感覚だ。

スタッフの人に聞くと、鏡は9枚あるらしい。この通路が、柳幸典による『イカロス・セル』という作品だそうだ。

それから近代化産業遺産ツアーに参加して、製錬所の歴史や環境に優しい施設の仕組みについて話を聞く。美術館の空調は、エアコンを一切使うことなく、自然エネルギーで賄っているそうだ。
島のシンボルにもなっている煙突内に外気より高温の空気があると、その空気が上昇。代わりに煙突下部の空気取り入れ口から外 部の冷たい空気が煙突に引き入れられ、室内に気流が生じる。この煙突効果という現象によって、夏は地熱を利用し冷やされた外気が、冬は美術館内のガラス屋根に注ぐ太陽熱の温室効果によって温められた空気が、気流により動く仕組みだそう。
また、工場跡のカラミ煉瓦は地熱を利用するために使われている。(原理が難しくてよくわからなかったが、とにかくすごい)

さらに館内の光は、先ほど体感した通りの太陽光である。これが中でずっと見ていた空の光の仕組み。屋上で見ることができた。

また、植物の力を借りた高度な水質浄化システムの導入されているらしい。屋上にもその一分があった。(これも難しくてよくわからなかったが、とにかくすごい)人の排便も循環するため、島に人がたくさん訪れるほど植物が育ち、緑が豊かになるそうだ。

一度は島の植物が死んでしまった。こんなに美しい島を、丸禿にしてしまうのが経済である。

犬島はUSJと同じくらいの大きさで、1時間もあればぐるりと1周することができる。家プロジェクトを回る途中に、大人1人子ども6人の団体とすれ違った。週末の小旅行だろうか。

犬島の人口は30名程度だそうだ。車の走らない犬島に生まれる子ども、犬島の近くに生まれる子ども、地方都市に生まれる子ども、東京に生まれる子ども。育つなかで身につく価値観はそれぞれ異なるだろう。

そうこうしているうちに船の時間になってしまい、くらしの植物園に行くことができなかった。ネットで評判が良いので、行けないのは残念だけど、またいつかの楽しみに取っておこう。

13時過ぎの高速船で豊島に戻って、一昨日がお休みで行けなかった「島キッチン」でランチ。豊島で取れた野菜をたっぷり使ったキーマカレーを注文する。

島キッチンは、瀬戸内国際芸術祭2010に、「食とアート」で人々をつなぐ出会いの場として、集落の空き家を建築家の安部良が設計・再生したアート作品。外のオープンテラスでは、ワークショップやイベントが行われるそうで、みんなで集まって、会話と食事を楽しみ、歌って踊れるのだという。島民の方にとっても、なくてはならない存在なのだそうだ。

今日も外のオープンテラスでは、島キッチンで働くおじいちゃんおばあちゃんがお喋りしながら休憩している。店員さんという感じではなく、自然体で働かれているようだった。島で生きることと、このキッチンで働くことが地続きになっているみたいな。

キーマカレーを食べてから、家浦港近くの豊島横尾館に行く。
印象に残ったのが、赤いガラス越しには見えなかった赤く塗られた岩。受験生の頃を思い出した。

それから夕方のフェリーで小豆島へ戻る。疲れたし、もう十分満喫したので、今日の夕焼けは見送ってホテルでゆっくりすることにした。
部屋でさっと汗を流して楽な格好になり、ベッドの上でYouTubeを見る。はー面白いと思いながら顔を上げると、窓から茜色に染まったきれいな空が見えてしまった。
もう今日は終わりにしたはずなのに。空があまりにもきれいすぎて、我慢できずにまた外へ出てしまう。

すでに日はかなり落ちてしまっていたけれど、できるだけ開けた場所で空を見たいと、早足で歩く。だが、外に出るのがちょっと遅かった。空はすぐに茜色から薄い紫色へと変わってしまった。

それから港沿いの人通りが少ない道を散歩する。虫の鳴く声が伸びやかで、どうしようもなく寂しくなってくる。わたしも虫たちみたいに大きな声で叫べたらいいのに。

昨日の発言を撤回する。帰りたくない。まだこの土地にいたい。海が静かなこの土地に。

せめて明日帰るまでの時間がゆっくり、できるだけゆっくりにならないだろうか。

我々くらいの年になると、時間がゆっくり進むように努力している、と島田紳助がテレビで言っていた。
「その方法は一個。子供の時夏休みを待つとなかなか来なかった。クリスマスもなかなか来なかった。お正月も待つからなかなか来なかった。あの頃の一年はすごく長かった。待つとなかなか来ない。だから楽しみを作って待たないと。だから今たくさん楽しみを作って待つんです」

だったら今、わたしがするべきことは何だろうか。やはり帰った後の日常に楽しみを作ることである。

帰ったらデッサンの練習をしてみよう。絶望的に絵心のないけれど、大人になってから基礎をちゃんと学べば少しはマシな絵を描ける予感がしている。
読書用にニーチェアを買って、心ゆくまで本を読もう。
あと、今回の旅行の日記をちゃんと書こう。

ホテルに戻ってサウナに入りながら、次に行きたいところについて考えた。長崎、熊本、会津、松本、敦賀、和歌山、北海道かな。また、長めの一人旅がしたい。

6日目

朝風呂に入ってから9時過ぎにチェックアウト。フェリーに乗って高松へ。
高松丸亀町商店街は、中心市街地の再生に成功したモデルケースであるということを知ったので、歩いてみることにした。

高松港から歩いてわりと近くに、ガラスのドームに覆われた広場があって、商店街はそこからずっと続く。
アーケードは他の商店街よりもはるかに高くて、開放感がある。洗練された雰囲気と賑やかさが共存する空間で、歩くのが楽しい。
高級ブランドの店舗とチェーン店と個人店が一緒に並んでいる。人が集まる場として理想的だ。高松市の中高生のデートは絶対にここだろう。

ある携帯ショップの前では、バルーンの恐竜に乗った店員が女性客と話をしている。店内に子どもとお父さんがいるから、子どもが恐竜に釣られてお母さんも捕まったのだろう。
足を止めて話を聞いてもらえたなら、もう降りてしまってもよさそうだが、店員はずっと恐竜の上から説明している。なかなかシュールな光景だった。

しばらく散策してから、オリーブ牛のハンバーグを食べて、バスで空港に向かう。空港に着いてからはラウンジで、この6日間のことを振り返りながらゆっくりした。

帰りの飛行機では、前の席の4人家族が縦並びに座っている。窓際に並んだ小さな子どもたち二人は、目を輝かせて窓の外を眺めている。
わたしも初心に帰って、羽田空港が近づいてきた頃に、窓の外を眺めてみた。ちょうど海ほたるが見えた。本当に孤島みたいになってるのだから、すごいなあ。ペーパードライバーだけど、海底トンネルには少し憧れる。いつかペーパードライバー行きたい。

いいなと思ったら応援しよう!