誕生月の日記
2024年10月の日記です。10月は誕生日でした。
10月1日(火)
スコーンのような一日。エアリーすぎて全く手応えがない。
10月2日(水)
起きていても、ずっと寝苦しい。そんな一日だった。
10月3日(木)
金太郎飴みたいな一日
10月4日(金)
蛙になったような一日
10月5日(土)
従兄弟が家に遊びに来て、帰ってしまった。そんな気持ちの夜。
10月6日(日)
「すべてのことに 理由がほしい」
そう思わなくなるというのが、大人になるということか。
夜ケンタッキーを食べる。悪質な油が血となって体中をかけめぐるような感覚。腕がじんじんと暑い。
10月8日(火)
お金がない。
過去の無駄遣いを後悔する。
10月9日(水)
今日は厚着しすぎた。
毎年寒くなり始めた頃にやりがちな失敗。
心配性ゆえ、夏が終わって冬に向かうまでの間で、徐々に薄着になっていく期間が発生する。
『HAPPYEND』を観た。
コウはユウタに借りがある。
デモに参加するコウなのに。社会問題に目を向けないユウタなのに。
コウはユウタに借りがある。
友達同士の二人の間世界、いわばミクロな世界においては、ユウタがコウを救っている。そして、それは対社会に広がるマクロな世界における政治的活動と比べても、決して劣るものではない。逆も然り。どちらが上とか下とかではないし、二つは切り離されるものでもない。
目の前にいるあなたとわたし。あなたとわたしが生きる社会。ラストシーンは見事だった。
10月10日(木)
『SUPER HAPPY FOREVER』を観る。
佐野と赤いキャップを被ったアンは出会わない。ほんの少しだけ過度にドラマティックなラストを期待したけれど、やはり佐野は赤いキャップを見つけられなくてよかったのかもしれない。
あの後、佐野と宮田は仲直りできただろうか。
佐野は喪失から回復できただろうか。
わたしたち観客が見つめる、佐野と凪が出会った5年前の熱海の情景が美しいほど、彼にとっては辛いはずだ。映画を観るという行為は、スクリーン上の人物にとって残酷である。
それでもやっぱりわたしたちは、「カップラーメンでこんなに幸せになれるなら、永遠にずっとめちゃくちゃ幸せでいられる気がする」のだ。
10月11日(金)
夜、駅のベンチでDSをやってるおじさんがいた。
家に帰ってカレーを食べる。3日連続のカレー。
10月12日(土)
さいたま新都心のコクーンへ行って買い物。
お金使うの楽しい。物欲が暴走する。自分が自分じゃないみたい。
10月13日(日)
ハッピーエンドは続かない。それに気づかされた一日。
10月15日(火)
自分の怒りを他人に正しく伝えることの難しさを痛感。予想以上のエネルギーを使う。
100カメの東京メトロ回を観る。
1分の遅れが大混乱につながる朝の通勤ラッシュの時間。しかし、各所で起こる想定外の出来事によって、遅れは発生する。それにどう対処するか。半端ではない緊張感の中で働く総合指令所の様子が映される。
これを毎朝から繰り返していること、そして1日として同じ日はないこと。それがわたしにはとても恐ろしく思えた。
これまで100カメで見てきた仕事の中で、わたしに最も向いてない仕事である。
10月16日(水)
一日中トンネルの中にいたような気分。
10月19日(土)
『長い読書』を読み終えた。本が人を作る。
10月20日(日)
人生における重要な出来事をまとめて片付けた。
そして埼玉県立近代美術館で開催中の『没後30年 木下佳通代』を観る。
目の前に広がる光景をどう見るか、物が存在するとはどういうことなのか、時間とは空間とは何なのか。
世界は自由なんだということを感じさせてくれる作品ばかりだった。
10月22日(火)
一日中、足に重りがついているような感覚が続いた。
10月23日(水)
オアシスのような一日
10月25日(金)
仕事帰りに期日前投票に行った。
明日誕生日だから、クリスピークリームドーナツを6つ買った。
自転車の後輪がパンクした。明日誕生日なのに。
10月26日(土)
歩行者用と自転車用の2本に分かれている道幅広めの歩道を歩いていると、なぜか歩行者用の道を走っている自転車に後ろからベルを鳴らされた。誕生日なのに。
ベイスターズとの日本シリーズが開幕。柳田が横浜スタジアムのスコアボードを破壊したホームランが9年前なんて・・・・・・。
10月27日(日)
今日はいろいろな自分を発見して驚き、凹んだ。
中途半端な優しさが、自分の意志の弱さとわがままで崩れてしまう。
誰かに優しくするとき、そのときは見返りは求めないつもりであっても、
いざ自分の優しさによって相手が恩恵を享受するとき、あるいは自分に少し負荷がかかるとき、
暗い方へ暗い方へわたしの足は引っ張られる。
最後まで優しさを貫くことができない。
「ありがとう」と感謝をしてほしいというよりも、わたしが我慢していることも認識しておいてほしいという方が近い。
わたしが今あなたにしている行動意外にも、あなたの見えないところ、想像の及ばないところでわたしは我慢している。本来わたしが得られるはずだった経験の機会損失がある。あなたにはその事実をわかっていてほしい。そう思ってしまう。
見返りを求めていないつもりが、粘着質に見返りを求めている自分が気持ち悪い。
では、そのことをあなたに認識してもらうにはどうすればよいのか。唯一の方法は、ちゃんと自分の口で言うこと。それしかない。「察してほしい」という態度は最悪だから。
だけどあなたには言いたくない。言ってしまうと、わたしがあなたの安らぎではなくなってしまうから。
つまり「当たり前だとは思ってほしくない」のだけど、大切な人には「当たり前だと思ってほしい」のである。
この矛盾に悶々としながら勝手に不機嫌になるというのが、最近自分で発見したわたしの最悪な行動パターンである。
こういうのがわたしの中に蓄積されていって、いつかあなたを傷つけてしまわないかが不安。
10月28日(月)
昨日いろいろ考えていたことについて。起きたらスッキリ。決意を固められた。