豊島・小豆島一人旅日記
3日目
9時前にチェックアウトして、宮浦港から高速船に乗って豊島へ向かう。
豊島には港が二つあって、高速船が到着するのは家浦港なのだが、わたしはこの日の夕方に反対側にある唐櫃港から小豆島行きのフェリーに乗ることにしている。
20分ほどで船は家浦港に到着した。そこから、キャリーケースを持っているので、唐櫃港までバスに乗ろうと列に並ぶ。しばらく待っていると、列はどんどん長くなっていい、後ろの方の人は「満席で乗れません」と言われている。
早めに並んでおいて良かった、と一安心して到着したバスに乗り込むも、中にはキャリーケースを置く場所がない。席に座ってこれはまずいなと思ったが、人がぞくぞくと乗ってきて降りられない。定員いっぱいで補助席全部出すようなので、通路に置くこともできない。とりあえず大きめのキャリーケースを足の上に乗せて、可能な限り体を小さくする。しかし、キャリーケースの端っこがどうしても隣の補助席にはみ出してしまう。計画性がなく周りに迷惑をかけている自分が恥ずかしい。そこに座っている中国人の男性にSorry.と言うと、「僕の足の間に置いていいよ」みたいなことを言ってもらえた。申し訳ないのでそれはNo , thank you.と断ったが、その人の優しさに助けられた。
キャリーケースが重すぎて足が痺れてきた頃に、ようやくバスは唐櫃港に到着。バスを降り、予約していた電動自転車を借りて豊島美術館へ向かう。
豊島美術館は、地球の薄い膜のような外観をしている。靴を脱いで、中に足を踏み入れると、天井の継ぎ目もなく、柱が1本もない、一面が真っ白の広い空間が広がっている。ドーム型で端の方は天井が低い。かまくらにいるみたいな感覚になってくる。かまくらに入ったことはないけれど。
天井には大きな円形の開口部が二つあって、そこから贅沢なほど温かい光が優しく入ってくる。みんな思い思いの姿勢でくつろぎながら、開口部から青い空を、雲の動きを、風に揺れる周囲の木々を眺めている。
床は硬いのに柔らかい。座っても寝転がっても落ち着く。母の胎内ってこんな感じだろうか。記憶がないからわからない。
床の至る所に水滴がある。大きなものから小さなものまで。
どうやら、ところどころ床に空いている小さな穴から、数十秒おきにちょっぴりだけ水が湧き出ているようだ。傾斜があるのか、水滴はまるで芋虫のように動く。水滴と水滴が合流して、一つの塊となり速度が増す。流れる途中で、水の塊が排泄したかのように小さな粒が取り残され、水滴がまた分離する。
水は大地の形に合わせて動く。地球は生きている。
この静かな空間で、日常では後回しにしている雑事についてゆっくりと考えることができた。たとえば、引っ越しの日程、押し入れに眠っている粗大ごみのこと、毎月の支出のこと、仕事の目標設定、実家に帰省する時期、写真データの保管方法。
自然にもたれかかることのできる、この空間のおかげだろうか。どうにかして、家にこんな空間を作れないかと妄想する。
ところで、豊島”美術館”と言いながら、絵画や写真のような作品はなく、空間が広がっているだけである。わたしが知ってる美術館とは全く違う。美術館の定義とは一体何なのだろうか。
豊島美術館で2時間くらい過ごし、予約している食堂101号室へ。
古民家を改装した店内に入ると、午前中のバスで隣だった中国人が食事していた。向こうも気づいてくれて、少し照れながら会釈し合う。
この2日間、直島でも似たようなことが何度かあった。数時間前に別の場所ですれ違った人と、別の場所ですれ違う。食事処や観光スポット、移動手段も限られている島内ではよくあることだろう。そういうときに話しかけて仲良くなったりできたら、もっと旅は楽しいのだろうけど。
事前に予約していた、野菜たっぷりのポークプレートセットをいただく。豚肉が甘くて美味しい。
食べている途中、事前予約していないお客さんがやって来て「予約してないんですけど、お昼ごはん食べられますか?」と聞いた。お店の女性はちょっと冷たい感じで「予約がないと無理ですね」と断った。
お客さんも少し粘る素振りを見せたが、お店の人は「食材とかも、どこにでもスーパーがあったりするわけじゃないんで、その日に言われても手に入らないんですよ」と説明して追い返していた。
直島、豊島には、東京と同じ感覚でいると驚くことが多々ある。チェーンの飲食店もなければ、コンビニもない。24時間営業の店がないので、夜ご飯をちゃんと確保しておかないと、空腹のまま眠ることになってしまう。
あと、電車がなくて、バスの本数も少ない。公共交通機関でしか移動できない場合は、バスの時間に合わせた行動をしなければならず、意外と時間に縛られる。
どれだけ観光地として人気の島であっても、歩いていると「島ってなんもないんだな」と改めて思う。ここに住めって言われてもわたしには無理だろう。
昼食を食べ終えてから、檀山の中腹にある「ささやきの森」へ歩く。快晴で気温が30度を超えているので、15分も山道を登るのは結構しんどい。
予想外に過酷な道のりにへとへとになりながら、ようやくたどり着いたそこには、無数の風鈴と短冊があった。短冊にはそれぞれいろんな人の名前が書かれていて、それはこれまでに訪れた方の大切な人の名前だそうだ。
風鈴は風を可視化し、風は短冊を、無名の故人の魂を揺らす。静かに奏でられるその叫びは、非常に神秘的なはずだ。
どうして「はずだ」と言っているかというと、この時間、風が全く吹かなかったからだ。もちろん風鈴の音がほとんど聞けない。苦労して山道を登ったのだから、何とか風が吹くまで待とうと思ったが、山の中なので蚊がめちゃくちゃ多い。汗だくの体を蚊の大群に囲まれて、耳元でずっと鳴かれるのは非常に不快で、風が吹くまで我慢することができなかった。
ということで、風鈴の音を聞くことなく下山した。
それから自転車で唐櫃港の方に戻り「心臓音のアーカイヴ」へ向かう。
小さな一軒家のような建物の中には、インスタレーションが展示されている「ハートルーム」、希望者の心臓音を採録する「レコーディングルーム」、世界中から集められた心臓音をパソコンで検索して聴くことができる「リスニングルーム」の3つの部屋がある。
まずはハートルームに入る。ドアを開けると、世界のどこかで採録された心臓音がスピーカーから大音量で流れている。暗闇の中心には、天井から吊るされた1個の丸裸の電球。誰かの心臓音にあわせて、電球は、時に激しく、時にか弱く、点滅する。
入ってすぐ感じのは、怖いということ。
自分の身体の中に、こんな爆発的な音を発する器官がある。自分の身体の中に、常時にこんな爆発音が響き渡っている。生きている人間一人ひとりの身体の中にこの鼓動がある。こういう果てしない事実が怖い。
心臓音で思い出すことといえば、1年半くらい前、仕事のストレスで毎朝動悸を起こしていたこと。決まってアラームの1時間前に目が覚めて、フライング気味に活動開始した心臓の、早すぎて大きすぎる鼓動を押さえられない。胸がはち切れそうで体を丸める。自分の内側のことだから、どこにも逃げられない。
その会社を辞めて、ストレスの少ない会社に転職した今でも、動悸はたまに起こるようになった。一度心が壊れたら二度と元には戻らない、とよく聞いていたが、まさにそれを実感している。
鼓動が大きくなるのは苦しい時だけではないのだから、心臓とはおかしな器官である。
初めて女性とそういうことをした時も鼓動は大きかった。当時の彼女を家に招いて、二人で好きなテレビを観てご飯を食べた。まったりしているうちに、次第に良い感じの雰囲気になって、彼女がわたしの胸にもたれかかった。すると彼女が「すごいドキドキいってる」と笑ったので、わたしはどんな顔で何を言っていいかわからなくなって、彼女の口をふさぐようにキスをした。
ハートルームを出て、リスニングルームに入る。世界中から集められた心臓音を、パソコンで収録年や場所、個人名により検索できるので、とりあえず適当に検索して出てきたものを聴く。
どの心臓音もリズムが一定ではない。何も考えず、平常時は一定のリズムで鼓動しているものだと思っていたが、どうやら呼吸の深さによって鼓動も早くなったり遅くなったりしているようだ。
それぞれ心臓音と一緒に、100文字程度のメッセージが登録されている。
「20年近く生きてくれた◯◯ちゃんに感謝。また豊島来れるといいな」
「ついこの間結婚したばかりでまだ新しい苗字に慣れない中でのメッセージだ ◯◯との豊島旅行さいこーに幸せですhappy〜〜」
「娘たちに」
「誰かにとってはただの音だけど、僕にとって大切な音です」
「愛する◯◯に贈ります。いつか僕がいなくなったら」
「来たときは大雨、お昼過ぎから晴れ 二つの景色を見ることができてラッキー」
このようなメッセージが無数に残されている。その心臓音の主の名前は見れるが、もちろんその人たちのことをわたしは全く知らない。知らない人が、大切な誰かに残すメッセージ。ちゃんと届くべき場所に届いてくれるだろうか。愛は愛のまま伝わるだろうか。人間の儚さが胸に迫る。
この音がいつか止まる瞬間が訪れる。もしかしたら、今日聴いた音のなかにも既に止まってしまったものもあるかもしれない。その事実をどこか意識したようなメッセージが多かった。
せっかくだからわたしもレコーディングルームで心臓音を録音することにした。心臓音はメッセージととも作品の一部となる。
小部屋に案内され、マイクを胸に当てて心臓音を録音する。採った音を確認してから、メッセージも入力する。
今の彼女や、将来出会うかもしれない子どもが、いつかここに聴きに来てくれたら。そんなことを想像しながら、どんな言葉を残すか考える。そのときわたしは生きているかわからない。
メッセージはどうしてもロマンチックな感じになってしまう。少し照れくさいけれど、伝えたいことを真っ直ぐに書いた。
心臓音のアーカイヴを出て、目の前に広がる海を眺める。穏やかなできれいなので、どうせ見返さないであろう風景の動画を撮る。
16時半頃に唐櫃港からフェリーに乗って、小豆島へ向かう。30分程で到着して、土庄港近くのホテルにチェックイン。部屋のドライヤーが、家のボロくて安いドライヤーと全く同じやつだった。
それからエンジェルロード方面のバスに乗る。
バスの窓から小豆島の町並みを眺める。直島、豊島とは雰囲気が全く違う。24時間営業のセブンイレブンが港からすぐの場所にどんとあるし、他にも馴染み深いチェーン店がいくつかある。パーソナルトレーニングジムまであった。
あと、車社会だからかガソリンスタンドが多いなと思ったけれど、他の都市と比べると別に多くないのかもしれない。ペーパードライバーなのもあって、日常生活の中でガソリンスタンドの存在を意識することがないから、目に入ってないだけだろうか。
小豆島ラーメンHISHIOという店のテラス席でラーメンを食べる。目の前には穏やかな海が広がっている。干潮時はエンジェルロードも見える場所。
テラスには他にお客さんがいない。海も空も全てが自分のものになったみたいで楽しい。家にもテラスと海が欲しいなあ。
空の青色がだんだん濃くなっていく。西の方はまだほんのりオレンジが残っている。境目のグラデーションがきれいだ。
船が浮かぶ港には、ライトがぽつぽつと光っている。人間の営みの証である。
徐々に空のオレンジ色が消えていく。ラーメンを食べ始めたときはあんなに明るかったのに。もう夜の準備も終盤となっている。
暗くなった海を眺めてぼーっとする。
すっかり夜になったので、お会計をして外に出る。
それから、21時まで営業しているらしいので妖怪美術館というところに行く。
ここも夜遅いからか貸切状態だったので、不気味な雰囲気が増して良かった。