ちむどんどんとは。
「ちむどんどん」がもうすぐ終わろうとしている。
このドラマは人の価値観を大きく揺さぶり、リトマス試験紙のように測られるものだなと感じた。
下手すれば「あなたは、他人をどう受け止めてますか?」という問いの答えになってしまう。
2週目以降から徐々にドラマは炎上していった。
「世間の大半の声」(特にTwitter)は、比嘉家の設定やキャラクターに集中攻撃だった。
ヒロインの暢子に始まり、賢秀、お母さんの優子さん、良子、歌子、そして賢三さん、善一さんまで。
「都合よすぎる。
そんな簡単にことが進むか。
沖縄の問題が描かれてない。
ヒロインを演じてる役者が可哀想。
演技がとにかくムカつく。
沖縄の文化ってこんななの?!」
こんな声が多かった。
俳優さんにまで嫌悪を示した人も居たらしい。
一方、「世間の大半の声」の支持を得ていたキャラクターも多い。
代表的なもので言うと、
矢作さん、三郎さん、房子さん、二ツ橋さん、
和子さん、田良島さん、愛さん、寛大さん、
清恵さん。
……お気づきだろうか。
登場人物の出身地が全員、沖縄県外の人なのだ。
批判してる人の大半は、県外の人の目線で観ていることが分かる。
この時点で「世間の大半の声」は沖縄に目を向けてると主張してても、目を向けようとはしていない。
(本当に沖縄に目を向けてるなら、比嘉家のキャラクターを扱き下ろしたり過度な誹謗中傷をしないだろう。)
批判してる人はきっと、
世の中の鬱憤、やりきれない思い、理不尽さ
それらを全部、全部朝ドラにぶつけている。
フィクションとノンフィクションの区別も付かず、
ドラマの世界に入り込んでいる「世間の大半の声」にゾッとし、ここまで人間の価値観は変わってしまったのかと唖然とした。
このドラマに限った話ではないが、最近のドラマはNHK、民放問わず社会問題や多様性を扱った作品が多くなった。アニメはグロテスクなもの、スパイもの、世紀末を予感させる作品が多い。
もし。
本当に人間の心がこの流行病で荒んでしまったのなら…逃避や桃源郷を求めて、作られたフィクションや架空のキラキラしてて爽やかなファンタジーアニメが好まれるはずだ。
作られたフィクションより、リアリティあるフィクションの方が人の心を打つ時代になった。
ここで考えてみてほしい。
もし、沖縄が抱えてるシリアスな内容を朝ドラが扱っていたら。世間はどんな反応だっただろうか。
「こんなシリアスな話は嫌だ!コロナも収まらないし、経済も苦しい、こんな現実は嫌だ!
もっと笑えてほっこりした話がいい!!
何でこんなシリアスな脚本にしたんだ!!」
……………。
同じようなことが起こったのではないだろうか。
想像がつく。
NHKもただ、やみくもにドラマを提供していた訳ではない。
【仲間由紀恵・黒島結菜 沖縄戦 “記憶”の旅路】
【OKINAWA ジャーニー・オブ・ソウル】
この二つの番組は、ちむどんどんを補足する形で放送されていた。
特に、【仲間由紀恵・黒島結菜 沖縄戦 “記憶”の旅路】の放送の後、沖縄戦を語る優子さんの回(「ウークイの夜」)が再放送されたことは、NHKが安易に沖縄を扱っていないことを示すひとつの根拠になる。
私の母(沖縄、ヤンバルにルーツを持つ人)は世論の現象について
「そうやって朝ドラを批判する人は、このドラマに何を求めてるの?何を観たいの?」と言っていた。
そして、今年6月の時点でドラマの内容をこう総括していた。
「もしかして今回のドラマの大きなテーマは
“ゆるし“または“寛容“かなと思った。ニーニのどうしようも無いバカさを家族は多目にみる
(お姉ちゃんは厳しいけど愛がある)、
一方で家族は頑張り屋特に暢子は愚痴をこぼすも前向きに頑張る(母のヤンバルンチュのイメージ)。
これらの場面を日本って国に置きかえると、沖縄は国にいい様に利用されっぱなし(日本復帰といえども)
何が大きく変わった❓
それでもうちなんちゅーは寛容
(争いを嫌う、空手が正にそう)
だから現状にいたるなのかなと思った。
複雑だけど現実かな。
民族の存続に複雑な人間模様があるけど、そういう風に考えると深いテーマ😔
だからニーニは騙されるだけではなく、最後には成功者になってほしい。」
最後の二行は、今、少しずつ成長している賢秀を暗喩しているかのような言葉だ。
ここまで人の心を「ちむどんどん」させたドラマもそうない気がする。
そして、暢子と賢秀をどういう人だと観るか。
その価値観が、マイノリティへの見方そのものになってくるんだろうなと思います。