【第4回 なにものゼミのリアルに迫る!】区分けが誰かを苦しめる世界
「LGBTQ」
何かとこの言葉が聞かれるようになり、性的指向や性的マイノリティーに関する話題は日に日に注目を浴びるようになってきている。
私は、講義を受けるまで、まだまだ改善の余地はあるものの、昔に比べると「言葉」が浸透することで、彼ら、彼女達の事を理解しようとする動きが進んできたのではないかと考えていた。
先に言おう。
この「言葉」や「区分け」が彼ら・彼女たちを追い詰めることもあるのだと初めて知った。
講義の冒頭、まず今井さんはこういった。
「LGBTQ以外は普通の人ですか?じゃあ普通ってなんですか?男ってなんですか?女は?」
自分はたまたま生まれた性別に特に違和感を感じていない。
女性として、スカートやワンピース・髪を伸ばす事やメイクする事を好み、生きている。
だけど、これが世界の/日本の基準なのか?これが「普通」なのか?
講義が始まってからずっとこの言葉が頭の中を回り続けた。
そして今井さんは続ける。
「そもそも、私はトランスジェンダーと一般的に区分けされるけど、その区分け自体にも違和感を感じている。説明出来ない曖昧なところもある。自分は男性的なマッチョに近づきたいわけではない。いまだに揺れ続けています。」
「私は男になりたいわけではない。私が私のまま生き続けるためには生まれたままの姿ではいられなかった。私は私になりたかった。」
頭をガンと殴られたようだった。
あぁ、そもそもの性別やLGBTQIAの区分け自体がみんなを苦しめているのかもしれない。
個人にとってどんな姿でありたいのか。何を身につけるか、または、身につけたくないのか。どんな形で誰を愛すか、もしくは愛さないのか。
そのどれが私にとっての「幸せ」か、どうしたら「私」らしく生きていけるかなんて周りの「当たり前」や「普通」で判断するべきことではないのではないか。
高校まで女子校で育ってきた筆者にとって、いつの間にか大学生になったら男性の友達を作り、彼氏を作らなければならないという考え方が存在していた。
大学に入学してぶち当たった壁は、Aセクシャルとまでは言わないのかもしれないが、そもそも本気で好きだなと思う人が出来ないことだった。
「彼氏は?」「いません」「じゃあ、好きな人は?」「それもいません」
そう答えると、みんなつまらなそうな顔をする。
そして、大体、
「恋愛が沢山できるのは若いうちだけの話だよ」とか「彼氏作りなさい」とか言われる。
心の中でいつも感じていたのは、
「なんでこんなに好きだなと思う人が出来ないのだろうか」という事と
「そんなに恋愛することが誇り高くて偉いことですか?」ということだった。
「リア充」
リアルに充実していることの略だが、大抵異性の恋人がいる人の事を指す言葉として使用される。
いつだか大学の授業である教授が
「今、『リア充』だと思う人は手を挙げてください」と言った。
私は、恋人はいないけど手を挙げた。なぜなら、パートナーの存在がいなくても、素敵な友人に囲まれて、自分が学びたい学問を学び、家に帰れば両親が居る。それだけで十分「幸せ」だと感じるからだった。
とは言え、そんな私の存在は周りから見ればただの本気で好きな人が出来ないやつ。リア充になれない拗らせ女。きっと、それくらいにしか認知されない可能性が高いのが今の現状なのかもしれない。
社会ではLGBTQを理解しようとする動きが進んでいる。新しく、IAという言葉も加わり、新たな性のあり方が問われている。
だが、その境界は極めて曖昧だ。そもそもその枠組みの中に個人を閉じ込める事が間違っているのかもしれない。
私自身も含めて安易に全てを理解したつもりになるのは良くないのだなと改めて感じさせられた講義だった。
今回の講義は、講義担当の百木田とのトークセッションもあり、講義形態も内容も今までのものとは一味違った講義でした。
私は、住宅地にある地元のファーストフード店から深瀬と2人で講義を受講しました。講義が終わった後、2人で話したあった感想はあまりに忙しないその場所にはそぐわない内容でした。思わず周りを見渡して、そこに居る高校生の男女や家族、ミニスカートの女子高生、スーツを着るサラリーマンの様子を見て、何が「幸せ」なのかとズシンと心に突き刺さったのです。
何を書くべきか本当に迷いましたが、今回の裏話は私石垣からの視点で書かせて頂きました。
次回の講義は、12月1日 17:20〜HSP専門カウンセラーの武田友紀さんをゲストにHSPについて語り合います。皆様のご参加お待ちしております!
参加フォームはこちら
https://docs.google.com/forms/d/1SPvfsRhH6u-pxXbeckSuwbtKYicnsYvONVB_61fAvG0/edit
石垣