【第4回】講義概略
第4回なにものゼミにお越しくださりありがとうございました。
第4回は、東大リアルゼミOBであり、トランスジェンダーの当事者である今井出雲さんをゲスト講師としてお招きし、「LGBTQと生きづらい社会」をテーマにお話しいただきました。
第4回講義を受講できなかった人のために、内容をまとめました。
必要な知識として
「LGBT]の意味とは、簡単に言えば、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー。この言葉自体、適当にひとまとめに性的マイノリティをくくっているので、どうなの?と思う。性的マイノリティに該当する人々は人口の5%弱いるのではないかと言われおり、日本の4大苗字である佐藤、鈴木、田中、高橋の人数と同じくらいの割合でいる。そのくらい周りにLGBTの当事者は生きている。私は、この言葉の中でいうとトランスジェンダーであり、バイセクシャルにあたり、交際、結婚、性交渉をあまり重要視しないという生き方をしている。
誰の性の在り方も様々なセクシャリティの中の1つ
生まれたままの性別で生き、異性を好きになる人々にも実はちゃんと名前がある。「ヘテロセクシャル」「シスジェンダー」。これも覚えておいてほしい。
誰の性の在り方も、様々なセクシャリティの中の特殊な1つでしかないということが、名前を知ることで見えてくるという意味で、言葉というものは重要な意味を持っている。
社会の中の二項対立
名前はあるのだが、社会の中に「LGBT」とそうではない一般的な男女という二項対立的な認識が存在しているのではないか、と考える。「差別してはいけない」程度の理解なのではないか。多様性とはそういうことではない。こういった構図が壊れたらいいと思っている。「普通」って何なのか、「男」と「女」って何なのか、問い直してみたい。
問われる「性的アイデンティティ」
トランスジェンダーやシスジェンダーの性的アイデンティティは何なのかが問われる。人は生まれた時点で、生物学的な特徴からどちらかの性別に分類されるが、それは本人の意志を確認したわけではない。その分類の通りに生きる人もいれば、強い違和感を覚えるようになる人もいる。
トランスジェンダーは、そういった性別の境界を飛び越えたように見えるため、「トランスジェンダー」という名前で呼ばれる。そんなトランスジェンダーにも様々な人々がいて、自分の性自認に沿う形に体を変化させる人、服装や社会的扱い方の変化を求める人、男や女などで分類できないと感じる「Xジェンダー」等が挙げられる。
43%、2人に1人が
イギリスの2015年の調査では、18歳から24歳に限定すると、43%が「自分は完全な異性愛者だとは思っていない」と回答。2人に1人はヘテロセクシャルではないかもしれないと考えることができる。この調査だけで言ってはいけないが、
同性愛者とか異性愛者とかLGBTと普通の男女とか、「たった5%の性的マイノリティ」とスパッと切り分けられるものではない。もっと捉えにくい、流動的なものである、ということが分かる。
「普通」という暴力
「LGBT」という問題を考える時、「普通」という言葉を排除できないアプローチの仕方は不適格ではないか。そもそも「普通」というところを基準にしてセクシャリティを考えることをやめたい。「普通」なんてないのではないか。差別は良心や道徳で解決、暴力は悪い人がやることと考えられがちだが、このセクシャルマイノリティの問題はみんなが「良い人」になれば解決できるという、そんな簡単な問題ではない。
差別解決は、心の問題ではなく、当事者のディテール、リアリティを知って、知識を蓄積していくことが重要なのではないか。差別は社会構造によって生み出される。結婚制度は同性愛者を想定されていない、トランスジェンダーは国の法律ではいないものとされている。これは、心が変わったところで解決できるものではない。
無限大な性
セクシャリティは言葉によって切り分けられるが、人の数だけ存在する。相手や自分の声に耳を傾け、自分の性に目を凝らしてみる。これまで紹介してきた言葉は、これまで存在しないものとされてきたものの存在を肯定するために作られた。「ゲイ」は「楽しい」という意味で、ポジティブに存在を肯定するため当事者が自ら名乗り始めたものである。「レズビアン」も、男性同性愛者に比べて、女性同性愛者が置き去りにされている状況を変えようとして生まれた言葉。
1つの単語には収まらない
自分自身もトランスジェンダーという言葉を聞いてほっとした。世界の中での自分の立ち位置がわかった気がした。ただ、1つの単語で自分の性別を説明できるとは思わない。当事者という箱に無理やり入れられることに窮屈さを感じる。言葉は曖昧なことをわかりやすく切り分けるが、暴力でもある。1つの単語では説明しきれない私のセクシャリティについてお話ししたい。
女の子としての自分
トランスジェンダーです、と言うと、小さい頃からそうなのかと聞かれるが、
生まれたころから今に至るまで、私は私だったと感じている
自分の所属は母親側にあると認識、将来はお父さんと結婚するというやり取りをしていたのを覚えている。自分は女で、男と結婚することを純粋に信じていた。そこに自分の意志が入ることはなかった。
それでも、幼稚園のお遊戯会で女がお姫様、男が王子様の衣装を着ることに疑問を抱く部分もあった。「みんなやりたい役をやればいいのに」
執行猶予期間
中高一貫校の女子校へ進学。思春期を男子がいない環境で過ごせたことは運がよかったと感じている。最初は違和感なく過ごすも、のちにおかしいなと思い始める。自分の体に起こる女子としての体の変化についていけない。帰路、学ランを着る男子学生をみて「なんで自分はあっち側ではないんだろう」という羨ましさを感じた。常に脅かされ、緊張を強いられている感覚があった。
学校の図書館で「性同一障害」や「LGBT」についての本を見つけ、これだ、と確信するも、誰にも言えず静かにやり過ごした。中学の3年間は執行猶予期間だったと感じる。
違和感の爆発
生徒会をやってみたり、部活を掛け持ちしてみたり、中心学年になってそれなりの生活を送るものの、少しずつ何も手につかなくなっていった高校時代。
最初はトイレに頻繁に行くようになった。トイレの中では泣いていた。はっきりと何がは嫌かわからないのだが、ただ自分だけ浮いていると感じていた。教室に座っていられず、保健室に逃げることも。修学旅行の風呂の時間、女性のライフプランという家庭科の課題など、小さな出来事が「ここは女性のいる場所だ」と言い聞かせてくるようだった。
高3の夏、耐えられずに担任にカミングアウト。自分の生きたいように生きるために、良い大学へ行こうと決心。
身分としての女性
東京大学というネームバリューから、自由な思考ができる人が多いだろうと期待し、生きたいように生きると決めた大学時代はどん底。高校は笑っている写真も多く、楽しかったのは自分が守られている環境だったからだろう。自分で考え、自分で選択し行動する大学ではいろいろと失敗した。
オリエンテーション合宿前のバス内で、クラスへカミングアウトするも、引いた反応をされ孤立感を感じた。コミュニケーションの場はマジョリティ向けに作られている。新生活で何を始めようと思っても、最初に問われるのは性別で、それが名札になる。
人とつながるには男か女かが必要で、それにはまれない私は大学にもはまれないんだろう
「あの頃の君はテロリストのような目をしていた」
野澤先生に言われた言葉が忘れられない。
大学の授業にさえまともに行けず、自分の存在を受け入れてくれない大学の存在に怒り、憎しみだけを原動力にしていた。声をだすこと、外に行くことに恐怖し、常に緊張状態だった。
リアルゼミの存在は大きかった。障害者の方々を知るために行ったが、「お前はどうなんだ」と問われている感覚があった。障害者の方々が自由に生きていることを知り、それが励みにもなっていた。
言われる側の苦労
大学に入ってすぐ、親にもカミングアウト。父は「なぜそんなことを自分に言うんだ」、母は「なんであなたのことで私がこんなに苦しまなきゃいけないんだ」と言われ、時間がかかった。カミングアウトはする側は言うときが最も大変で緊張するが、言われた側はそこがスタート。言われた側にも苦労がある。
武装解除
胸を取る手術を受けた。改名するも、毎日毎日胸のことを気にしていた。息苦しくなるくらい胸をつぶして、こそこそ猫背で歩いていた。後悔するかもと思っていたが、今は間違いなく受けて良かったと感じている。常に武装し、頭の中には常に”男らしく”が存在していた。胸オペしたことで自然体でいられるようになった。
心だけでは生き続けられない。意志を貫いて、これが自分ですと言い続けることができなかった。目に見える形で説得力を持つために手術を受けた。私なりの体に変える、私が私のまま生きるというためには必要だった。
宙ぶらりんでいること
胸オペを受けたあと、ホルモン注射を受けたり子宮を摘出したりする人もいるが、私は宙ぶらりんでいようかな、とこれらの手術は受けていない。体に負担の多い手術を受けて、社会に自分を合わせるのは理不尽かな、と思う。
一方で、私の在り方をトランスジェンダーの箱に押し込めて生きることはうまくなったが、その言葉だけで解決できない曖昧さを感じる。ムキムキの男性の体で男というマジョリティに溶け込む人もいる中で、トランスはトランスでもなりそこないだな、と落ち込むこともある。受け入れながら進まなければならない、男であることにこだわらず宙ぶらりんでいるのも大変だと気付いた。
社会の成り立ち、その輪郭を見る
今は、私のセクシャリティを全部わかってもらう必要はないと感じている。私というものの入り口はセクシャリティだけではない。企業においてトランスは規格外の存在であり、就活は常に「お前の性別はなんだ」という目線にさらされる。営利企業の中で、利益を念頭に働く体になるということが、社会に合致しない体を持っている自分には魅力的に思えなかった。
リアルゼミで、障害があるからこそスタンダードから外れて自由に生きる、自由に生きていいのだということを教えてもらった。その経験から、人が生きるということにダイレクトに関わって、色んな可能性を見ることができる現場に身を置いてみたいという想いから、相談員の仕事へ。
社会の輪郭や成り立ちが見えてくると思った。セクシャリティの面では切り捨てられた側だが、現場にいると社会のしわ、矛盾が集まってくる場所だと感じる。
私たちが自由に生きるためには何が足りないのかを考えたい。
「なにもの」か
「さがしもの」
自分はどこに、そこの位置にいるんだろうと考え続けてきて、今も曖昧な自分というものが定まることなくやってきている。一生これからも探し続けていく。
「おくりもの」
これは目標。想像の中でしか社会を理解できなくて、自分たちが理解できるリアリティは限界があると思うが、他者が到底理解できないと思ったことに、まず自分を差し出すことでコミュニケーションできたら良いと思っている。