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何イさん(何もよく分からない何イさん)
2020年7月12日 19:06
前回は、社会学者マートンの個人的適応様式の類型論を援用して、人々が態度と手段でどのようにセックスしているのか、を類型化しました。そして、童貞は「セックス」を求めているのではなく、「あるがままを受け入れられること」――承認を求めているのではないか、と問題点を挙げました。その問題は近代自体の問題でしょう。 今回は、その問題をエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を用いて考えていきます。前回
2020年7月11日 20:30
以前、童貞はなぜ蔑視されるのかを推論してきました。しかし、ここで「童貞はどうしたらよいのか」について言及せずに終わるのは片手落ちでしょう。 今回は、人々は社会の中で、どのようにセックスをしている、またはしていないのか、を考えます。そして、童貞の欲求とは何か。それはいかにして満たされるのか、を考えていきます。以前の投稿1-1.社会に抵抗? 順応? 渋谷は「日本の童貞」(文春新書)の最後で