AOYAMAの自己紹介です

いいサムネになる画像・イラストが決めきれない
作成しきれなかったので、とりあえずサムネなしで
文章を書き始めました。
納得いくものができたり見つかったら追加します。
読んでくれる人がそこそこ居れば、note特有の見出しとか体裁を整理する編集しようかなとも思います。

改めまして、
初めましてAOYAMAです
先天性(生まれながら)の身体障害を抱えて生きています。
小さい頃から名医にレントゲンを見ながら【なぜこの状態で歩けているのか分からない、通常は下半身麻痺で車椅子ですよ】と言われながら、中学生になる頃に腰や脚に痺れが出るようになりました。

それでも、どうやら今も少しは歩ける状態で30年生きられてるようです。
ここまでの半生でも、たくさんの経験をしてきました。
自ら挑戦したことも、意図せず直面したことも両方あります。生きていたら普通のことですよね。

でも、ある意味おそらく一般的ではない過ごし方をしている自信があります。

〈来歴〉
・中学3年 7月▶︎12月の半年間
 寝たきり入院生活(全身麻酔手術1回)からの、高校受験
 手術前の一週間、ハローリングという器具を
 麻酔なしで頭にネジを6本ねじ込まれ、
 まるでフランケンのような状態にされ上半身を
 引っ張られそのまま一週間後に,手術を受け
 絶対安静3ヶ月と告げられた。
 その後、高校受験のため一時的に退院。
・幻の高校1年生
 絶望的な寝たきり入院生活361日(▶︎高校休学)
 高校入学できたはいいものの、それも束の間、
 4月2日から翌年3月27日寝たきり、全身麻酔手術5回。
 正規ルート(レール)から逸脱し、社会に戻れるのか?
 と思うくらい恐ろしいくらい真っ暗な時間だった
 とある人に詩を書くことを勧められて、
 旺文社主催の全国学芸科学コンクールに応募したところ
 たしか約500作品中2番で銀賞もらいました、奇跡。
・高校生活再スタート
 強制的に学年が1つ下がって高校生活が再開
 部活をやれるほどの余裕ある頭ではなかったので
 部活には入らず、阪神淡路大震災や東日本大震災のボランティアを行なう
 同好会のみ所属。
 それ以外、パッとしない高校生活だった
・国立大学入学
 自分の車椅子データを用いた研究をすこし…。
 その傍ら吹奏楽サークルに所属し、吹奏楽連盟理事など経験
 手だけで運転できる車を持つことで、日本全国を旅した。
 UDに猛烈に興味を持ち、勉強したいが為に東京まで
 資格講座受講し資格取得。それだけでは収まらず、
 UD発祥の地アメリカはどう違うのか?自分で体験しないと気が済まなくなり、
 プライベートで車椅子で1人で10日間渡米、さらに渡欧もした。
 気づいたら大学院まで進学した。
 とはいえ、頭は良くないくせに勉強をちゃんとやらなかったので周りは大学院にそのまますんなりと
 だけど、自分はしっかり受験しないといけなくなり
 大学時代に習った勉強を一通りやり直して試験を受けるのと同時にこの時点でも就活をした。
 東京都庁の試験も受けて、たしか一次通ってたような気がするが、大学院の方が受かったので
 そのまま進学(モラトリアムの勝利…)。
 その後、研究とサークルとバイトの生活を続け
 大学院1年生のときの就職活動は、
 行政機関など含め全部で20社以上エントリーし、
 いくつか頂いた内定の中から最終的にはメーカーを選択。
・某大手メーカーに就職
 かなり悩んだ末、最良の選択と信じて本社勤務のため地元を離れて就職
 プライベートではパラアーチェリーを始める
・パラアーチェリー
 幻の高校1年のときの脊柱固定術以来、体内には
 チタン製のスクリュー、ネジがあり上半身が
 曲げられない・捻れないなかでできるスポーツを見つける
 始めて3年目で全国大会に出場し、30mで金メダル獲得
 パラリンピック出場を目標に設定
 現在、射程70mを練習中

〈手術歴〉
全身麻酔手術11回以上
・脊柱固定術(側湾症手術に近い)
・癒着性中耳炎(鼓室形成術)
・膀胱拡大術
…など

〈主な資格〉
・福祉住環境コーディネーター3級
・UD検定中級
・色彩検定UC級
・ユニバーサルデザインコーディネーター3級
…など

〈今後の取組み〉
「すべての人が過ごしやすい''やさしいまち''をデザインする Desigh a kind city」をスローガンに掲げた、任意団体〈UNI+〉をつくります。

地元とよはししを「障害の有無や年齢、子育て世代など世代も問わずより多くの人にとって過ごしやすいまちにしていきたい」その想い一心です。
詳細は別途紹介ページを設けますが、立ち上げメンバーを募集します。ご興味のある方は、ぜひご連絡下さい。
2025年中にはしっかり立ち上げます。
とは言え、任意団体はたいしたものではなく、同じ目的を持った人が集まるサークルみたいなものです。
まずは、誰かにとってのサードプレイス(※)になるような場所にできたらいいなと思っています。

※俗に、自宅や職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所を指します

最後に
今後、少しずつそれぞれのトピックについて、【事実・経験したこと】と【当時のAOYAMAの悩みや考え方や気持ち】の詳細を書き連ねていきます。
ご興味を持っていただけたら、引き続き記事を読んでみてください。
そして、優しく反応いただけると嬉しいです。

AOYAMAのこれまでの経験と、これからの挑戦が次世代の若者やその親御さんにとって、なにか前向きなヒントになるとやがてAOYAMAの生きている意味や生きてきた証の肉付けになるのではなかろうか、こう思っています。

ではでは、長くなりましたのでこの辺で。

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