愛とか救いとか自殺とか
あんなに自殺は怖くないと言い聞かせていたのに橋に縄を繋げて首にかけて川に飛び降りようとした脈が早く煩くなったのは何でだろう。
睡眠薬のマイスリーを酒で流し込んでもどうにもならない現実が嫌で嫌で死にたかった。
ずっとずっと前から死にたくて自殺を図った10代後半に入院先の精神科医に思春期という言葉で片付けられて大きくなってしまった。
ハッピーバースデー、死にたいと思い始めて15年経ってしまった。今日は鬱の誕生日。あの日から私はどんどん惨めになっていくばかりだ、
一昨日、親の前で初めて自分の口から死にたいと言った。親の前で2日に1回叫ぶように泣いて子供の頃にできなかったことをしている。
先週、チャット相談を利用した。小学校がトラウマなこととでも勉強は好きだから高校に通いたいことを話したが、「心の支えだったのですね」とまとめられてしまったが全然そうではなくて好きな勉強でさえ罰として与えられていた小学校のことが大嫌いだった。
自分は自分のことを救いたいから頑張っていたのに何一つ報われない。
昨日、小学校を休みたかったのに休めなかったから大声で泣いてしまった。もう10年以上前の話。
助けてと苦しいと死にたいを交互に叫びつつ泣き喚く中卒の無職になってしまった。
自殺のためだったら親が信仰している神だって殺したのに未だ呼吸をしている自分が醜くて首を絞める。
愛されている子供や猫が妬ましくて泣いたこともある。
結局私は可哀想な人を助けたいと思う人の可哀想になれなくて誰にも助けてもらえない。
己の情緒不安定さが嫌になって、女なのにミソジニーになってしまっている。
おばさんの世間話に出てくる特定の属性の悪口が自分のことに対して言われている気がして仕方がない。
高校生を見るたびに小学生の頃制服姿に憧れていた自分を生々しく思い出して家で泣いている。その頃から死にたかったから着ることはないだろうと気持ちに踏ん切りをつけていたのにね。
嬉しかったことも楽しかったことも思い出せなくて、誰かに愛されていたとかもわからなくて、褒められても全部嘘だと思っていて、救いなんてどこにもない。
自殺未遂をした時に「薬を飲めば死にたくなくなるから」というあまりにも現実的であまりにも現実を見ていない言葉に胸が張り裂けそうになった。
何度も書いた遺書を新しくしないとな、小学校の先生への怨みはそのままにするけど、
早く、死ねる日がきますように