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無意識について


普段の俺は7時に寝て17時に起きるような昼夜逆転の定義みてぇな人間なんだが来年に就職を控えた今、それは流石にまずいんじゃないかと僅かばかりの良心が訴えている。

そんなわけでチョコザップを始めたり朝ごはん食べたり等々といった生活強者(健常者とは限らない)の真似を始めてみた。

未だ自己改革の途中だが確実に実感していることがある。

気持ち悪い

考えみると当然である。今までゲボみてぇな生活してたのにいきなり吊り上げられたんだから。自分の潜在スペックを100とすると、今まではそのうちの精々30までしか出せてなかった。だけど、生活見直し後は徐々に上限が引き上げられて70くらいは出せるようになってきた。30→70、そう。倍以上の力がある。もはや自分と言っていいのだろうか、あるいは自分の面を被った何者かである。

長いこと低スペ状態がデフォルトだったものだから今のエネルギッシュな状態が本当に気持ち悪い。

普段は頭の中でいろんな視点がめいめいに喋り倒してやかましいのだが、最近はおとなしい。厳密にはふとした時に騒ぎ出すことがあるが集中したい時は黙ってくれる。

ありがたいわけだがやはり違和感は拭えない。
無意識の自分など自分なのだろうか。
則天去私なんていうけどそれはもはや「悟り」であって自分ではない。無あるいはイデア的な空間との融合なのかもしれない。そんな形而上学的な観念なんて信じたくないが。

最近は怠惰であるにしても、逆に自己実現を目指して自分に鞭打つ人も同じセルフネグレクトなんじゃないかって考えることがある。世の中側のウケが違うだけで本質は変わらないんじゃないかしら。
あぁ怠惰さ一本で稼げたらなぁ。
そのうちセルフネグレクトについても考察してみようか。

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