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「結局何がしたいん?」が分からない
普通何かをするときは、しっかりとした理由や目的がある人が多いのかもしれない。私は、幅広くこんな感じのことをやってみたいなーで始める。
「何がしたいん?」が分からなくなる。
今日はそんなとこを振り返る。
例えば、大学の研究でも、問いを立てられない
研究において、根幹となる部分は、何を問題意識として研究を進めるのか、である。私は、こんな感じのことを研究したいなと思いながら、誰の、どういう問題なんだろう、と思うと進まない。絞りたくない。
失敗したくない
これをやる!と決めたとき、それがちがったらどうしようと思ってしまう。
それで、まず決められない部分がある。
ひとまず、決めた!と思っても、やっぱり違うかもと思ってひっこめてしまう。
間違いや失敗をしたくないからこそ、決断ができない。
問を立てられない。
絞りたくない
一度決めると、可能性を狭めているような気がして、決められない。
他にもっといい部分があったのではと思うからこそ、決められない。
でも、だからこそ、どこにも進まない。
1つの可能性も検証できていないから、何にも進歩しない。
ちょっと進んだ気になるだけ。
雑多な知識が増えるだけ。
ひとまず、仮説を立てて進んでみる
問を立てられないことを、ようやく自覚した。
研究においても、人生においても、なんとなくやってみる。
問がないから、そこに正解も失敗もなく、なんとなくやってみてよかったなで終わる。
今日をはじめに、仮説や問いを立てながら進んでみようかと思う。
例えば、今日の問いは、「仮説を立てながら進むことは、私にとって必要なのか?」であり、それを実行するために、日々、問いを立ててみる。
その記録も残していけたらと思う。
今までの私だと、次は問いの立て方を調べよう。とか、ぜんぶ正解に乗っ取ろうとしていたけれども、正解かは分からなくても、仮説を立て取り組み、分からない部分を参照していくことが大事なんだと思った。
欲しい情報を得るために情報を探す
知らないことをひたすら知って、そこから考えるのでは、情報の範囲が膨大で、正解もない。
正しいかが分からなくても、失敗の可能性があるとしても、ひとまず、自分の中で、こんなことが知りたい!、こんなことができたらいいのかも!などという問いを立てて進んでいく必要性があるのではないかと思った。
問いなのか、仮説なのか、分からないけど、日々考えてみる。
最近の問い
問い:私は何も考えていないのではないか?
行動:noteを毎日投稿し、振り返ってみる