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贅沢貧乏の稽古場見学

贅沢貧乏の稽古場見学に行ってきました。
『演劇をすることのリハビリテーション』っていうタイトルの公演。

コロナで稽古するのも観に行くのも抵抗感を持ち始めてしまった演劇を、もう一度やるために役者もお客さんもみんなでリハビリしよう!みたいなコンセプトで始まった企画。



私も正直今舞台に関して腰が重くなってて、来年の6月本公演はとても楽しみなんだけど、でも同時にいつまでも収まりそうにないコロナで先が見えなくてなんかもう無理なんじゃないかっていう気持ちも出てきています。(もちろん6月はやるけどね!もっと先の世界の話)


「こんな状況でも、できる範囲でできることやってみようよ!」と叫ぶ小さな戦士も私の中にいるんだけど、次第にそいつの声もだんだん小さくなってきている…。
死ぬな…!まだ死んじゃダメだ…!って言い聞かせるけど、わからないですもう。寿命。


で、3月頭に本番出て以来ずっと舞台から遠ざかっていたのですが(観劇はこの前した)(それも久々で緊張した)、今回大学時代のゼミの先生に声かけてもらって稽古場見学に参加してきました。

そもそも贅沢貧乏はめちゃくちゃ稽古方法が気になってた劇団で、だからこの機会はとてもラッキーでした。




今日も、行く途中に東京の感染者800人超えのニュースがあったり、見学中に地震があったり、もういろんな要因が元の世界に戻る可能性を脅かしているように感じながら見学しました。



で、見て…まずめちゃくちゃ稽古したくなりました。コロナでもう怖いな…と思っていた稽古場。その稽古場の空気を久々に感じて血が騒いでしまった!
見学しただけだったけど、私もリハビリになりました。


稽古は、演出が一方的に指示するんじゃなくてシーンをみんなで作り出す雰囲気が強くて、演劇を作るってどういうことか改めて考えました。し、今も考えてます。

演劇を作るってどういうことなんだ。

何が楽しい?

楽しいと感じるのはあってる?

楽しいだけでいいの?

誰にどう伝わるの?

意味はあるの?

意味がないとダメなの?

自己満になってない?

自己満じゃダメなの?

どっちの方向に挑戦したらいい?

私は次に何をすべき?


そんな感じでぐるぐるしてました。
ただ言えるのは、

稽古場が好き。

でも好きだけじゃダメ。


このコロナ禍で知り合いがたくさん演劇をやめた。私も演劇を続けるために、演劇以外の道を開拓し始めている。
でもそんなにうまくいってない。それは新しい可能性を生み出すのか、はたまた逃げ道なのか、ただ時間を無駄にする寄り道なのか、全てのやる気を削いでしまう障害なのか、わからない。

そうこうしている間にも着実に前に進んでいる人はいる。

人間は歳をとる。歳をとると、ある程度見限られる場面が増えてくる。
本当はあれもこれも全部欲しい。全部欲しいし与えてあげたい。でも与えられるほど自分に余裕がない。



とにかく生き延びるのだ、この時代を。

もう、シンプルに、まずはそれだけ。

初詣するあまびえちゃん。

あとは、久々にnote書きたいなって思う出来事があったのだから、それだけで今日は良い日だったのだなー。

私にとって出来事は二つに分けられる、と気づいた。
文章を書きたい欲がむくむく湧いてくる出来事と、もうなにも書きたくないと思う出来事。
大きさは関係ない。
その違いはなんだろ。

はい、みんなで!
今流行りの、エアーハイタッチ!

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