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人生を心の底から楽しんでいる人の特徴
「あの人の人生はなんだか楽しそうだな」
身近にいるリアルの人でも、インターネットの人でも、そんなふうに見える人がいると思います。
今日はそんな「人生を楽しんでいる(ように見える人)が何をしているのか?」という話を因数分解してみたいと思います。
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まずは大前提となることなのですが、当たり前のようにそこら中で聞く「人生」とは一体なんなのでしょうか。
「人生」という大きな言葉が、生きることの本質を見落としやすくしている原因のひとつなのではないかと、僕は思っています。
【人生とは、生活である。そして、生活とは、1日24時間のことである】
僕はこのように定義しています。
「人生 = 生活 = 1日24時間」と定義してみると、人生という漠然とした概念が自分の手元に戻ってきた感覚があると思います。
ここを出発点にして、「人生(=生活)を楽しむ」について考えていきます。
さて、では次に考えてみたいことが、「じゃあ、生活とはどのように成り立っているのか?」という話です。
ここが話の肝になっていきます。
つまり、人生がどのように構成されているのかではなく、生活がどのように構成されているのかを紐解くことから、「楽しい」を導き出していきます。
結論を先にいってしまえば、僕は次の3つが生活を構成すると考えています。
1.仕事
2.家事
3.遊び
人間の生命活動において「睡眠」は絶対不可欠な要素になるため、睡眠ははじめから割り引いて考える必要があります。
要するに、「1日は24時間ではない」ということです。
人によって最適な睡眠時間に差はあるかもしれませんが、おおよそ8時間は最低限必要になるでしょう。
睡眠時間を削って生命活動の時間を増やすという考え方もできますが、これをやってしまうと、活動のパフォーマンスそのものが著しく低下します。
そのため、あくまで8時間程度は寝ることを前提に、1日16時間(24時間-睡眠8時間)の生活を考えなければいけません。
★★★
自分の生活を思い出してみてください。
……寝ているとき以外の時間をどのように過ごしているでしょうか?
多くの方にとってはおそらく働いている時間、つまりは、「仕事している時間」が主になると思います。
資本主義で動いている現代において、仕事することによって生活に必要なお金を稼ぐことは欠かせない活動のひとつになります。
ですが、ここでひとつ問題が生じます。
それがなにかというと、「ワーク・ライフ・バランス」という概念です。
この概念は仕事と生活の調和を目指していますが、現実世界の文脈では、「仕事はほどほどに、生活を楽しみましょう」というように使われることが多いと思います。
言い換えれば、仕事を諦めているわけです。
まずはこのことが、人生を楽しめない大きな原因になっています。
なぜなら、仕事とは1日16時間ほどを構成している生活の一部だからです。
つまり、そもそも仕事と生活は調和されるものではなく、生活の中に仕事が存在しています。
ワーク・ライフ・バランスという概念は、「生活」と「仕事」が等価で並んでいるように錯覚させますが、主従関係はどこまでいっても、「主人が生活であり、従者が仕事」というわけです。
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すると、至極当然の結論が帰結します。
「仕事を楽しめなければ、生活(=人生)は楽しめない。もしくは、仕事を諦めた瞬間に、1日16時間のうち10時間くらいを諦めることになる。
こういうことです。
このままの勢いで、他の生活を構成している要素も見ていきましょう。
そのひとつが、「家事」になります。
家事とは簡単にいえば、料理や洗濯、掃除、育児、買い物、家計管理などの生活を円滑に運営していくために必要な活動です。
大人が世話をしなければいけない小さなお子さんが家庭にいる場合は、家事に費やす時間が多くなるかもしれません。
ですが、便利な家電やネットサービスが低価格で広く普及している現代において、家事に費やしている時間はそれほど多くないはずです。
少なくとも、井戸まで生活水を汲みにいき、タライで衣服を洗い、かまどやお風呂に薪を焚べていた時代に比べれば、家事は驚くほどラクになりました。
それなのに、家事に苛立ちを感じてしまう。
これも生活(=人生)を楽しめない原因のひとつです。
そして、ここでポイントになるのは、「仕事」と「家事」には優劣がないということです。
「仕事をしている人が偉い」「家事をしている人が偉い」という上下関係の話をしているのではなく、生活の中に仕事と家事が同列で存在しており、むしろ、仕事と家事こそが生活のほとんどを構成している。
つまり、仕事と家事を楽しめない人の人生(=生活)が、楽しくなるはずなんてないということです。
この事実に気がつくことがポイントになります。
生活を構成している最後の要素が「遊び」になりますが、人生(=生活)楽しむという話になると、この遊びばかりが注目されます。
ですが、ここまで考えてきたように、生活という大きな箱の中では、「遊び」もまた、「仕事」と「家事」と同列の存在なのです。
むしろ、時間という単位で見れば、生活において遊びに費やせる時間は最も短くなることがほとんどです。
1日16時間(睡眠8時間ははじめから割り引き)のうち、10時間は仕事に費やし、4時間は家事をして、残りの2時間で遊ぶ。
このような生活構成になっている場合、どれだけ遊びに全力投球したところで、生活(=1日16時間)が「楽しい」で満たされることは決してありません。
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むしろ、「仕事」と「家事」と「遊び」のすべてを楽しめてはじめて、人生は心底楽しいものになっていくわけです。
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と、ここまでは実のところ、現実の整理にすぎません。
本当に大事な話はここから。
その大事なことがなにかというと、生活を構成している三大要素(仕事・家事・遊び)というのは…
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