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友達がいつの間にかSNSで自撮りを載せるようになってた
周囲の人が意識高すぎてびっくりする、そしてそれを堂々と公言できてすごい。
私は小学校の時、目立ちたがり屋だった。学芸会は絶対セリフのある役がやりたかったし、何期も連続で学級委員長をやっていた。発言もたくさんしたし、周りからも出来る子みたいなイメージを持たれていることが嬉しくてたまらなかった。当時、なんてことない下町の小学校の中では私立受験をするのは珍しくて、"受験組"なんて分類されるのが誇らしかった。
だけど進学してからは、自分の在りたい像は180度変わった。年頃なのか、環境の変化なのか。発言するのはダサいし、立候補とか先生に気に入られようとしてる感じがイタいと思えた。クラスには自分に自信があって堂々としている子もいたけれど、そういうのなんかダサいよね、自分好きすぎてウケる、みたいな風潮があった。小学校ではあんなに優等生だった私は、中学に進学してから、禁止されてる寄り道をしてこっぴどく教師から怒られことを武勇伝の如く話のネタにするような子になっていた。私は"自分のダメな部分"をネタにすることでしか、周りを盛り上げることができなくなっていた。常に悪目立ちせず、嫌われず、ただ平穏を楽しみながら穏やかに過ごすことが正解だと思っていた。
大学生や社会人になってきてからだろうか。私たちとSNSとの付き合い方が変わっていった。いや、私の知らないうちに、いつの間にか変わっていた。
それまでは、自撮りとかやば、みたいな風潮があったのに(私はそう感じていたのに)、いつのまにか自撮りをSNSに載せることが普通になっていった。自撮りだけじゃなくて、彼氏とのあれこれの写真だったり、仕事の話だったり、結婚のことだったり。いつのまにか、みんな【自己開示】が盛んになったように感じる。ずっと化石のように自分語りってなんかキモい(言葉が悪くて申し訳ない)って漠然と感じていた私は、ハッとした。もしかして私の考えは古いのかもしれない、と頭を抱えた。
社会人何年目かになって、私は周囲の人たちの自己開示に慣れてきた。それでも、昔の名残でしばしば自分語りの投稿をみるとほくそ笑んでしまう。もはやこの澱んだ考えは私の性質でしかないので、仕方なく受け入れようと思う。頑張っている人や楽しんでいる人、羨ましがられたい人がSNSを使って自己アピールをするのは全然悪いことではない、本当に。ただ私がそれに対して勝手に嫉妬して仄暗い感情を抱きつつ、【香ばしさ】という面白みを感じているだけ。私も結局キラキラした人たちが裏ましいだけなんだろうな。
さて、余談になんで今日こんなことを突然書きたくなったかは昨日一気読みした漫画に起因する。それがこの作品。
正反対なカップルを描いたラブコメ群像劇、完結したことをキッカケに試しにかる〜く読んでみたら、面白すぎて、深夜の2時まで一気読みしてた。前作の【氷の城壁】も最高だったのにむしろなぜ今まで読んでなかったの?!って感じだけども。
この漫画の中に、仄暗〜い青年がいるのだけど、【誰しも持ってる薄暗い部分】を代弁してくれる彼の存在がたまらなく愛おしく感じた。これまで言葉にすることのなかった薄暗い感情が可視化されていることに酷く感動して、私もなんだか書きたくなった。これまで散々自己開示は恥ずかしいだなんて書き連ねて来たけれど、私がやりたかったことも結局薄暗い自己の開示。それも匿名ノートという一番ダサい方法でね。
何はともあれ、ティラズマに幸あれ!!!!
(正反対な君と僕、未読の方は読んでね)