ネタバレに楽しみを奪われてたまるか。
"人を傷つけること"、当然やってはいけないことだと誰もが教わってきたと思う。そして、私はそれと同等に許せない行為がある。
それは、"人の楽しみを奪うこと"だ。
20代も半ばに差し掛かり、幸せなことに、明らかな意図をもって誰かに傷つけられる機会はめっきりなくなった。とてもありがたい。だけど、SNSの普及とともに、人とのやりとりが密になるごとに、日常の楽しみを奪われる機会が増えてしまった。
ディズニーシーでは、11月から新しいショーが始まる。私は幼い頃から変わらず、ディズニーシーが大好きだ。今回は久しぶりの新しいショーというだけでなく、昔やってたショーのセルフオマージュの要素もあり、めっちゃエモい。とにかくとにかく楽しみにしている。ショーが楽しみで仕方がない私は、誕生日に託けて、ちゃっかりショーを観に行く計画を立てた。あと何日、と数えるごとに胸がワクワクして、それだけで仕事もいつもの数倍もの馬力で頑張れた。
………………ショーが正式に開始する数日前に、私はインスタのストーリーで、ショーのネタバレ画像を踏んでしまった。
それは別にディズニー情報を載せるアカウントでも、ディズニーオタクの友達でもなく、ただ昔、少しだけ関わりのあった先輩の投稿だった。
ディズニーの大型ショーやアトラクションは正式スタートの数日前から予行練習のように、フライングで開催することがある(スニークというらしい)。その存在は知っていたし、それがその日にやっていることも知っていた。だから、Twitterでの検索は気をつけていたし、画像の表示も自動でされない設定にしていた。それなのに、不意打ちだった。まさか、インスタで。あの人のストーリーから食らうことになろうとは、まさか夢にも思わなかった。
正直、私は正式スタートの日にちにショーを観に行くわけじゃない。だからある程度事前に写真や動画を目にすることは覚悟の上。それは仕方がないと割り切っていたつもりだった。
でも、何故だろう。正式オープン前にたまたまショーを観れて、なんの気なく平然と載せられたその写真には無性に腹が立った。たかが写真でしょ、だの、事前に知ったところで現地で観る感動は薄れないよ!と頭の中で誰かが慰めるが、そんなの関係ない。私は確かに楽しみを奪われた喪失感に苛まれた。
インスタのストーリーには他にも苦い思い出がある。
一時期ハマっていたソシャゲのいわゆる"進化後"の画像を踏んでしまった時だ。しかもこれは特定の誰かだけではなく、部活が同じだった複数人の友人や後輩がこぞって載せていた。
当時私はソシャゲ関連の情報はツイッターで得ていたが、ツイッターではいわゆる"進化後"の画像は伏せておくのがマナーとされていた。全員がそうしていた訳ではないが、少なくともそのカードが実装されて数日間は"進化後"画像バレには配慮をする人は多かった。それだけの人が守っているマナーということは、きっと侵さないのが良いからなのだ。
実際、ソシャゲをやっている人ならば、星5レアリティの推しキャライベントカードをやっとの思いでガチャで引いて、やっとの思いで育てて、進化させた時のあの喜びを少しは理解してくれることだろう。やっとの思いで、自身の手で掴んだ推しの"進化後"イラストを見るあの喜びは何ものにも変え難い。
もちろん、全員が全員その楽しみ方な訳ではないと思うが、そういう楽しみ方をしてる人が一定数いるのはきっと想像に難くない。
それなのに。私はストーリーで、無意識に貼られた"進化後"イラストを見てしまった。
ガチャで高レアリティが引けたことを自慢したかったのだろうか。同じコミュニティの友人が載せてるのを見たから、自分も貼って良いと思ったのだろうか。少しでも、「この"進化後"イラストのネタバレを見たくない人がいるかもしれない」とは思わなかったのだろうか。
きっと、彼らは悪気があってしたことではないとは思う。ネタバレを踏ませて私のソシャゲへのやる気を減退させようなんて意図ももちろんなかっただろう。
でも、私は確かにショックを受けたし、ソシャゲへのやる気は削がれたし、彼らへの嫌い度が少し増してしまった。配慮のない彼らと同じに思われたくなくて、私はそのソシャゲを消した。
他にも、私の楽しみを奪った数々挙げていったらキリがない。そして私が踏んできた数々のネタバレ画像の殆どは、なんの気無しに投稿されたものだった。提供者のルールに基づいていればSNSに載せてはいけないということもないのだろう。むしろ宣伝になるし、提供者としてはSNSでの公開は時としてウェルカムなのかもしれない。そこを否定はしない。私も他人の楽しんでいる様子が見たくて、懲りずにSNSをやっている。ただそこに、少し、ほんの少しだけのやさしさが欲しかった。
私が趣味を通じて知り合った5.6歳年下の女の子は当時高校生だったが、決してネタバレ画像を無差別に投稿したりはしなかった。ストーリーにゲームのイラストや感想を載せることはあれど、必ず事前の投稿でネタバレ注意の記載をしてくれていた。
高校生の女の子が当たり前にしてくれた配慮を、アラサーの知り合いたちは少しも持たぬ傍若無人たちだった。
ふと、私は自身の行動を振り返る。
私自身は、無意識のうちに、人の楽しみを奪ってしまっていないか?
正直私も自信はない。知らぬうちに、人の楽しみを奪い、生きる活力をじわらじわりと削ってしまうことがあるかもしれない。そう思うと、とても怖い。
でも、その怖さを感じられているだけ幸せなのかもしれない。お陰で自身の楽しみを自分で守れるよう最大限の努力をしつつ、人の楽しみを奪わぬよう配慮を忘れず生きていきたいと思うことができた。
それが、こんなにツラツラとSNSへの不満を垂れても結局SNSから離れられないしょうもないアラサーの生き方だ。
ちなみに、私は数日前。
米津玄師さんのライブのセトリネタバレを踏まないようにツイッター禁をしていたのに、早速初日にGoogleのおすすめ欄にてネタバレを食らってしまった。AIも万能じゃない。にくい。わたしは瞬間、記憶を消して何も見なかったことにした。
ライブは、とてもとても、この上なく楽しかった。やはり、人生に楽しみはあって然るべき。
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