母の日お祝いされなかったから、自分でお祝いした
わたしたちには、価値がある。
でも自分を見失うと、自分の価値などないと、思ってしまう。
ある人は人と比べて、
ある人は挫折して、
ある人はひとりぼっち。
この世に生まれてきた時、父母はわたしの誕生をこころから喜んでくれた。
最近、その瞬間が、見たこともないけど、目に浮かぶ。
おてんばで、じっとしてなくて、わんわん泣いて、時々どこかにいなくなって探し回った。
近所にはたくさんの小さな子が住んでいて、よく面倒を見ていた。
今考えると、保育園と変わらないな。少しだけ年上のわたしは、何人もの子を連れて遊んだ。
ひとりに何かあったら大変だから、すごく気を使った。
誰ちゃんが泣かしたー、って聞いたら話聞きに行って。
そんな、置かれた役割を自然にこなし、命を最優先に生きることで、自我が芽生える、とても素敵な環境で育ちました。
わたしは成績は良かった。けど大学に行けませんでした。
経済的な理由でしたが、この間、目の前の人に言われたんです。
「頭の良い女は男の上に立つから、嫁に行けないからだ」
は?
うちどうせ、そのまま過ごしてたら婿を父が探してきて、勝手に結婚させられたよ。前言ったのに忘れた?
それぞれの家に違う事情があるのに、聞かないんだ。私に興味がないのね。
確かに、「優秀な女子は男にモテない」という言葉はあるらしい。
でも、少なくともわたしは言われたことはなかったし、わたしモテたよ(言うの恥ずかしいけどさ)
それが、「個性」。
わたしの、生き様。
生きていくうえで、選択肢ができ、選べる。親の敷いたレールなんて、存在してたとして、宮城に住めくらいだったような。。
親の敷いたレールに乗らず、全部自分で決めた未来。
自分できめること。
それが、自分を作ることだった。
関西に来て、ずいぶんレールが多いなあと思いました。姑の周りの親戚たちが、わたしの人生に口出してくるという、凄い環境。
望んでいた人生とのズレがはじまった。周りが望むことをする、レールに乗ることがわたしの仕事になった。
でも子供はなかなか出来ないし、望んだ通りに、毎日親戚宅へ足を運べば、子供が出来ないのはお前のせい。これを食べれば子供が授かる食べ物、を散々食べさせられた。
一人目がやっと出来たら毎日、二人目は?と聞かれるようになった。子産みマシーン。今の時代ならあり得ない、ハラスメントを親戚から受けていました。
あの苦しかった時代をこの間話して共有したかったが、彼は覚えていなかった。
みんなの敷いたレールに乗らない悪い子。こちらでのわたしの扱いはそうでした。
周りの敷いたレールに乗って、うまくいっても、それは「自分」ではない。レールに乗ってうまくいった人でも、苦しんでいる。
自分がないと、生きていけない。レールの上では、自分は育たないので、いずれ降りないといけない。
でも「レールに乗れなかった劣等生」のわたしは、乗らなかったおかげで、独自の人生をその後開くことが出来ました。
つまづいてるけどさ!でも、自分はあるから、やり直せる。
自分の道を自分で決めること。
それが、自分をつくる、第一歩だった。
わたしは宮城では自分を育てることが出来た。
日本は人生を選べる国だと思っていたが、国民が自由ではなかった。わたしが自由だったのは、田舎に住んでて口出しするひとが少なかっただけだろう。
さて、今だ。まだ呪われたレールの上にいる人が、わたしを引きずり込もうとしてる。
レールは「他人に従う」道具だ。まだ、気づかないのか。
あなたの正しいは、わたしの正しいではない。あなたが、わたしの考えを聞こうともしていないからだ。
わたしは、自分の叶わなかったことを、人形に写しとることができる。
それは今のわたしの魔法のステッキ。あなたたちが、わたしに母の日をくれないのなら、自分で作って、わたしがお祝いします。
人をお祝いもできない人なんて有り得ないでしょ。