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【遺跡探訪87】中世ベトナムとカンボジアの戦いを想起させるバイヨン(Bayon 13c)

ベトナムに5年間住んだ経験から、チャンパ王朝(18世紀に滅亡したベトナム中部〜南部の王朝)とアンコール王朝の関係性には並々ならぬ関心があります。

メインのnoteアカウント(カンボジア生活記)で詳しく書いていますが、2013年から2018年まではベトナム南部のホーチミンで暮らしました。
その後カンボジアの「ベトナムに対する反感」を知らずにプノンペンへ飛び込み、すっかりベトナムローカライズされていた私は、露骨に嫌がられたり反感を持たれたという苦い思い出があります。

その後、バイヨンにてチャム軍とクメール軍の壮大な戦いのレリーフを初めて見た時に、納得しました。今ではそれぞれの王朝は形を変えていますが、少なくとも13世紀からベトナムとカンボジアは戦い、遺跡にまでなっているのです。
国境を陸で接する隣国との関係、それに付随する人々の感情は理屈では言い表せないもので、数百年〜千年以上にわたってDNAレベルまで刻まれているのだと感じました。


前回のバンテアイチュマールのチャンパ・アンコールの戦闘のレリーフに続き、今回もバイヨンで同じテーマのレリーフを見ました。

朝のアンコールワット

朝6:30頃です。サッと通り過ぎるこの道、今日はちょっと止まってみました。
遠くから見ても美しいです。実はサグラダファミリアに似ていない?と思ったのですが、画像を調べてみると全然違いました。

お盆休みで日本人観光客の方もいらっしゃいました。

アンコールワット正門を抜けると、アンコールトムに続く道があります。ここはいつも、目の覚める深い緑と鏡のような水濠の対比が素晴らしいです。大好きな道です。

修復が終わったタ・プロム・ケル遺跡

アンコールワットとアンコールトムの間に、気づきにくい小さな遺跡があります。
アンコールトムと同じジャヤヴァルマン7世時代の施療院の一つで、私がシェムリアップに来た時には修復のため、解体されていました。

少しずつ石を積み上げているイメージがありましたが、この前のアンコールマラソンの時に前を通りながらふと見ると、完全に出来ていたのです。重機も撤退していました。

祠堂から10mほど離れた場所で、門の下部が見えます。もしかすると建立当時は祠堂の周囲に壁面があったのかもしれません。

石の色が合っていないのは、修復直後によくある現象のようでした。

手元のガイドブック(2014年)によると、祠堂のうち西面と南面は崩れ、2面しか残っていないと書いてあります。小さい遺跡ながらメイン遺跡2つを繋ぐ道の途中で訪れる人も多そうですし、安全も考えて修復したのかなと思いました。

かなりカッコいい。こんな感じの施療院をアンコール王国で102棟も作ったらしいです。

アンコールトムの北にある、トンレ・スゴートも施療院の一つです。トンレ・スゴートを訪れた時の投稿を改めて読むと、建物の構造が非常に似ていました。

この時代の例に漏れずデヴァターがいます。
農村の生活を描いたメダリオンが、風化で詳細はわからなくなっているものの可愛らしいです。
祠堂の奥には蓮の台座がありました。仏像があったのかもしれません。

バイクに戻ると、隣のバイクでお母さんと赤ちゃんが休憩していました。大家族でアンコールワットに来ていたようです。アンコールワットをバックに、写真撮らせてもらいました。

アンコールトム・バイヨンへ

一週間前にはアンコールエンパイアマラソンでひたすら歩いたこの道も、バイクだと一瞬です。

この日は朝から暑かったです。マラソンの日を最後に、雨があまり降っていません。

バイヨン開場の7:30ぴったりに到着

バンテアイチュマールの投稿で、「ナーガの上にガルーダが乗っているのはアンコール遺跡では見かけない」と書いてしまいましたが、バイヨンの欄干にガルーダがしっかりいました。

紛れもなくガルーダです。
一番慣れているはずのバイヨン遺跡でも、細かいところは見ていないのだなと思いました。

チャム人は、有名な「トンレサップ湖の戦い」のレリーフ以外にも登場

今回は、バイヨンでは一番有名な南面のレリーフの「クメールとチャムの水上戦闘」ではない場所の、チャンパ関連のレリーフを見に行きました。

バイヨンのレリーフは東面南部と南面が非常に有名で、それ以外はそんなに観光客も訪れません。

東面北部「クメール軍の行進・戦闘・チャンパ軍の行進」

左からクメール軍が、右からチャンパ軍が行進し、中央でぶつかっています。個人的には、水上戦闘のレリーフと比べてもこちらもかなり意味のある(重要度の高い)レリーフだと思うのですが、石の状態があまり良くないために敬遠されているのかもしれません。

クメール人は何も被っておらず、チャム人は兜のようなものを被っています。バンテアイチュマールのレリーフで見た装飾と同じです。
盾のようなものを持ったクメール人と取り押さえられたチャム人
チャム人がクメール人に首根っこを掴まれています。

最北部は修復中でした。調べてみるとJASA(日本国アンコール遺跡救済チーム)による修復で、バイヨン東面景観整備の一部なのだと思います。頑張れ日本のチーム👏

北方向に行けなくなったので、一旦内部に入ります。

北面「ジャヤヴァルマン7世、パニックになったクメール軍」

再び外に出て北面を鑑賞しました。

バイヨンは壁面に近づくことができません。

関係ないですが、第一回廊は猿がかなりいました。食べ物、ペットボトルの水など手にしていると容赦なく取られるので(結構怖い)手ぶらにした方がいいと思います。

パニックになったクメール軍
右側からチャンパに攻められ、パニックになったクメール人達が丘に駆け上がる様子です。人も物もごちゃごちゃになったこの描写、圧巻です。

もう少し表面が綺麗だったらよかったのになあ。修復で直せるものなのでしょうか…

上の場面の左下には、戦いで負傷した、将来のリーダーとなるジャヤヴァルマン7世(と言われている)が描かれています。

北面「網でとらえられた捕虜」

さらに奥には、網でつかまえられた捕虜(クメール人だと思いますが風化が激しく見えません)

やはり、北面は光が当たらない分、水分が残ったりカビが生えやすかったりして、劣化が早いのかなと思いました。他の遺跡でも(鑑賞的に)北面がメインという遺跡はあまりなかった気がします。

ベトナム人(あるいはチャム人)はどうやってアンコールまで来たのか

チャンパについては、アンコールに比べて情報が少なく、まだまだ知らないことが多いですが、現在のベトナムのエリアの人々がメコン川を北上してアンコールに辿り着いたという記録は相当昔からあるようです。

上の投稿の画像を引っ張ってきましたが、カンボジアとベトナムはメコン川を共有していて、上流に巨大なトンレサップ湖があります。国境線などない時代から、現在のカントーなどのメコンデルタからベトナム(チャム)の人々は船で北上したようです。

戻った時に撮った美しい写真たちです。

2021年以来修復中で、一番上までは登れませんね…
何体のナーガがいるのでしょうか。
猿が10匹以上います

(おまけ)アンコールマーケット4号店

帰り道、国立博物館の前でアンコールマーケット4号店を建設中なのを見かけました。クメール語の先生にあのあたりにアンコールマーケットができると聞いてはいたものの、建物のデザインがが全然スーパーらしくないので、これはホテルかレストランなんじゃないかと半信半疑でした。

アンコールマーケットの看板が取り付けられ、4号店となることが確定。国立博物館はかなり前に再開したのに、横のショッピングモールはクローズしたままなのを見込んだのか、うまい立地を見つけたなと思います。お土産メインになるのかもしれません。アンコールマーケットの流通網はすごい(世界から輸入される)ので、オープンが楽しみです!

(おまけ)朝ごはん、ノンパウ

お気に入りタ・パウ(店名)のノンパウ(肉まん)です。

毎朝、生地も中身も手作りしているようで、本当に美味しいです。肉・うずらのたまご、ココナツ果肉の配合が絶妙です。ここで食べて、お土産にも持ち帰りました。

1個3,000リエル(0.75ドル)。QRコード決済もできます

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