【遺跡探訪34】番外編・サンボープレイクック(Sambor Prei Kuk 7世紀)
ずっと気になっていたアンコール時代以前のチェンラ(真臘)時代の遺跡、サンボープレイクックに行ってきました。シェムリアップとプノンペンの間にあり、地味な遺跡ですが、2017年に世界遺産になっています。
サンボープレイクックに関する情報はアンコール遺跡と比べるとかなり限られていて、具体的な情報はこちらのブログを参考にしました。
「アンコール遺跡に行く前に見るべき遺跡」とあり、(歴史の古い順から訪れることに)私も大賛成なのですが、なかなかそのようにできる人はいないですよね笑
コンポントムから30分
遺跡近くには宿泊施設や店は(村の生活を体験するホームステイ以外)ほとんどないので、コンポントムの街に滞在して車をチャーターします。
ちなみに、シェムリアップ からコンポントムまでは2時間15分でした。意外に近い…!
持って行ったガイドブックには、「アンコール遺跡ではないですが」と断りがあった上でサンボープレイクックの情報がありました。
今回はカンボジア人遺跡ガイドさんとコンポントムの遺跡大先輩、日本からスタディツアー的に来た方々と一緒だったので、初めてのエリアでも心強かったです。
というか、一人だったら恐らく迷っていました。スケール感が半端なく大きい上に、観光客がほぼゼロ、GPSが使えない(Smartキャリア)の三拍子で、方向が掴めません。
入り口にあった祠堂。森の中の遺跡、美しいです。
レンガなのに、よく残っています。レンガ像の下部にはちょっとした彫刻がされていて、花や植物がモチーフになったものが多いです。
方向がわからなくなります。ガイドブックを持っていたのですが、全然役に立ちませんでした。
元々、サンボープレイクックの全ての祠堂は塔状だったようですが、風化してほとんどの上部は崩れています。
深い森へ
時々出会う植物にハッとさせられます。
トトロが出てきそうな参道。
雨季には田んぼになるそうですが、出てきた稲の苗を牛が食べています。
さらに道無き道へ。ガイドさんありがとう。
踏みそうになってしまいましたが、小さい可愛らしい花が咲いていました。
Prasat Yeay Poan(サンボープレイクック南部グループ)
1時間ほど森や草原を歩いた後に、南部グループにやっと着きました!(車で直接遺跡前まで行くことも可能)
アンコール時代からさらに300-500年ほど前の建築物なので、素材や構造や彫刻など結構違います。
彫刻は王宮のような浮き彫りが入り口の左右にあります。これが「天空の城」かしら?
内側から見る風景が面白いです。
この遺跡に出会った衝撃。事前に知っていましたが、やはり、森を抜けたらこのこの光景が目の前に現れるとため息が出ます。
どうなっているの。
ガイドさんによると、昔はこの木がもっと大きく茂り、周りの森と一体化していたそう。1990年代の洪水で木が倒れ建物の一部がが崩れてしまい、それ以来木は適宜伐採しているようだ。タ・プロムと同じだなあ。
ここも天井はぽっかり開いている。
後ろ姿が迫力ある。
さて、Yeay Poanの城壁内へ入ります。これもレンガ造です。
入り口の内側に碑文があります。上部だけうっすら見えます。
ホテルに置いてあった「東南アジアの美術」のような本にも碑文がたくさん載っていて、古代〜中世のカンボジア・ベトナム・タイ・ラオスで見つかった碑文はとても似ていました(おそらくサンスクリット語)。むしろ今よりも人や文化は行き来があったのかなと思いました。
円形の彫刻。ガイドさんによると、円形にした意図はわからないが、この時代の彫刻の一つのスタイルということでした。
真ん中の女性はアンコールのデヴァターに通じるような気も…
うっすらですが獅子が見えます。
ここの彫刻は消えちゃったのかな?と同行者が疑問に思っていましたが、ガイドさんによるとuncurvedとのことで、タ・ケウ遺跡のように構造はできていたものの何らかの理由で彫っていなかったようです。
アンコール遺跡にはない、八角形の祠堂。
中央の祠堂(何と長方形)は、修復中のため近くまで行くことができませんでした。
周囲の祠堂をちょこちょこ訪れます。城壁内だけで7基、サンボープレイクック全体では300基もあるそう。それは1日で全て回ろうとしても無理だわ…
こちらは台座がありました。元々リンガが乗っていたそうです。
修復中の遺跡の横に置いてあったリンテルは、浮彫りが深くて感動します。デザインはアンコール時代と全然違うのに、全体的な雰囲気が何となく似ているのは不思議です。
かっこいいな…
ヒンドゥー教の影響か、この頃から象のデザインがあったのだなあ。
ガイドさんの話では、サンボープレイクック(ヒンドゥー教)はアンコール時代の仏教が国教になった時(=ジャヤヴァルマン7世ですね)に見捨てられ、1970年台前半のベトナム戦争時にはB52が落とした爆弾で大きな穴があき、その後のポルポト時代には貧困から彫刻などは剥ぎ取られ売られてしまった、と生々しい歴史をくぐり抜けて来たのだそうです。
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