【遺跡探訪17】未完成のまま放置されてしまった、タ・ケウ Ta Keo(10世紀末)
タ・ケウは何かの理由で建設が止まってしまい、そのまま放置されたという遺跡だそうです。建設が止まったままのホーチミンの某ビル(5区)や、プノンペンの某ビル(BKK1)もビックリの、1,000年放置です。
タ・ケウとTa Keo(タケオ)どちらが本当の発音かな、と思っていたら、クメール語ではどちらも遠いតាកែវ (タ・カエヴ、カエヴ古老の意味)でした…
本日のマップ
個人旅行の参考までに…
6:40 am 出発
この、森を抜けてアンコールワットの外濠にたどり着いた時のウワーッという感動のためにこの道(シャルル・ド・ゴール)を使っています。しかし今日は寒い。
森の中に遠くに遺跡が見える高揚感
この、参道の向こうに遺跡が見えるワクワク感はバコンに似ています。
入り口でお出迎えしてくれたのはシンハかな?と思いましたが、尻尾が風化してしまったナーガかもしれません。
見せ方によっては非常に魅力的だったのに、修復が残念
東の正門まで着きました。あれ?と思ったのは、補強が鉄筋だったことです。他の遺跡は補強はあってもすべて木材でした。
タ・ケウはなぜかわからないですが、途中で建設を止めてしまい、未完のまま 1000年経ったそうです。これはいくつか説があるようで、クメール語の先生(本業は遺跡ガイド)に聞きました。
見せ方によっては、あんな巨大なアンコール遺跡はどのように作られたのか、建設途中を見ることができて非常に面白い場所なのですが、残念ながらそのようになっていませんでした。
ごめんなさい、鉄骨に興醒め
どうして補強に他の遺跡のように木材でなく、鉄骨を使ったのだろう。百歩譲って使ったとしても、目立たないようにせめて色を同じにして欲しかったなあ…と思います。
石碑がありました。ちょっと和みました。
修復の仕方の違和感でちょっとイライラしていたかもしれません。石碑を見かけた時に少し和みました。半分くらい現代の文字として読めます。意味はわからないのですが…
ピラミッド状遺跡の階段
バクセイ・チャムクロン、プレ・ループに引き続き、かなり勾配がキツく蹴上も高い階段です。全く人間仕様になっていませんw
裏から孤独に登ったバクセイチャムクロンと比べたら、落ちてもセキュリティの人が見ているなあ、と思ったりしました。
残念な看板とゴミ箱、原則の不遵守
アンコール遺跡も大きいものは、外国の援助で修復し保護されているのですが、タ・ケウは「この国が高い技術で修復しました」という看板が非常に多く、遺跡の魅力を超えてしまっていました。
また、文化財保護の原則の「発見時以上に修復しない」も守られていないのではないだろうか…(他の遺跡でこんなにきちんと回廊が残っているところはないので)という疑念が晴れず、モヤモヤとしながらの見学でした。
名誉のために
同じ国が修復した旧王宮ピミアナカスはとても良かったので、援助団体が違ったのか、トップの意向が違ったのか、国自体を責めることはできないと思っています。
彫刻した石を積んだのではなかった!
さて、気を取り直してじっくりピラミッド上部の祠を見てみると、石積みが終わった段階で中止しているのがわかります。
他の遺跡で見る精巧な彫刻(デヴァター、リンテルなど)は、どこかで職人が彫って現場に持ってきたのではなく、石を積み上げてから、足場を組んで壁に彫っていたのだということを強く認識しました。
リンテルだったのでしょうか。彫刻された石も少しありました。
下書きだけ入った石
下の写真はピラミッド 2段目あたりの角の石です。ハートみたいなマークは、これから彫刻するための下書きだったのでしょう。完成したら左のような植物の模様になる予定でした。これはすごい。
モヤモヤしながらカフェオレ
いつものスラスランの外カフェで、カフェオレ飲みました。 1USD。もう4,5回目なのでお店の人が「ホットカフェオレね」と出してくれます。
なんだかタ・ケウでは「イデオロギーを文化財修復に持ち込んだ」違和感が拭えず、遺跡巡りをスタートしてから初めて考え込んでしまいました。
また、午後にクメール語の先生と話したときは、小さな遺跡は援助が入らず、レンガをコツコツ積む作業などは採算も合わないのでカンボジア人だけでやっている(プラサットバッチュムなど)と聞いて、観光と国際協力のバランスは難しいと思いました。
カンボジアに住んでいながら、国際協力にはあまり関心なかったのですが、アンコール遺跡の保護を通じて気になり始めました。