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『KERA』って雑誌を知ってるかい?個人的なものがこの世界を彩るんだ

1998年に創刊され、惜しまれながらも2017年6月号で廃刊した『KERA』。

パンクやロリータなど、原宿を彩ったストリートスナップが掲載され、AMOや青木美沙子など各方面で名を轟かせる有名人を輩出した。きゃりーぱみゅぱみゅの素人時代をスナップした、伝説的な雑誌である。

SEOやマーケティングに毎日触れていると同じようなものばかりのものが出回っているのでは、という違和感を抱く。かつてKERAが形成したコミュニティーを、わたしは今も探し求めている。

“原宿カルチャー”に憧れた高校生​

10年くらい前のわたしは、有名になりたかった。
MixiからTwitterやInstagramを使いはじめた人が徐々に増え始めたときだった。mixiは18歳以下が使えなくて、早生まれの高校生だったわたしはみんなと同じように使いこなせなった。使えるようになった年齢になっても、その閉鎖的なコミュニティーにわたしが入るスキマがなかった。

わたしの世界観が表現できる場所で、友人に知ってもらうのにぴったりだったから前略プロフィールに登録した。自分なりによく撮れた画像を載せたら、コメント欄で誹謗中傷された。相手はすぐにわかって、同じ学校の先輩だった。その人の名前は知っていたけど、話したことがなかった。直接言えない彼女を少し哀れに思ったものだ。

どうせなら生活圏で出会えないような人たちの日常が見たいと思い、前略プロフィール時代に使っていたリアルタイムで思ったことを短文で投稿できる「リアル」の感覚で、twitterをはじめた。好きな言葉や好きなものをつぶやくものだった。そうしていくうちに、同じようなものが好きな知らない人たちと繋がった。

その人たちは、当時原宿で有名なお店で働き、ファッションスナップ全盛期をもりあげた『KERA』でスナップされるような人たちだった。KERAは街歩くおしゃれな素人を独自の基準でスナップして、彼ら・彼女たちの直筆のコメントが載せられていた。いちばんわたしが「原宿ブランド」に憧れた時代だった。

わたしも彼ら・彼女らみたいになりたかった。学校に友人がたくさんいても、仲の良い家族がそばで生活していても、「すきなもの」を共有できる居場所がほしかった。KERAに登場する人たちに憧れた。みんながEXI○EやK○T-TUNに費やしていた青春時代を、わたしは原宿カルチャーを追いかけるのに注いだのだ。

でも、有名になれなかった。圧倒的に自分のビジュアルに自信がなかったし、この道で生きていくと言えるほど腹をくくれなかった。

大学時代で個性の持つ良い面・悪い面を目の当たりに


自信のないわたしは流れにながされて、安定を求めて、大学受験した。大学生になったら、一気に自分がつまらない生き物に感じた。誰かに好かれるように、誰かに認められるように、周りになじむように、みんな生きていた。わたしもその風景のひとつになるように求められている気がした。mixiのときみたいに、少しでもなじめなかったら「あの子変だよ。」って一気に広まって、飲み会に呼ばれなくなったし、話もしてくれなくなった。

好きなファッションをして、KERAで取り上げられている人たちに憧れていた自分は、ここではのけものだった。好きなものを追求すればするほどわたしは近寄りがたい「みんなになじめない可哀想な子」になった。

そんなわたしが唯一楽しめたのがダンスサークルだった。好きなものたちを音楽・ファッション・動きと目に見えるもので表現できる絶好のチャンスだった。立ち位置も決まっていて、一人でもかけていたら完成しないものだったから、自分をみてほしい人にとっては完璧なコンテンツだった。

今までの系統と少し違うものに、特に先輩たちには衝撃だったみたいだけど、いい意味での刺激ととらえてくれたようだった。好きな世界観だと慕ってくれた後輩たちもいて、先導を切れたと自負している。

個人的なものがこの世界を彩ると信じている


だからわたしは個性を表現していくことの良い面と悪い面の両方を経験したからこそ、未だにどちらが良いとは言えない。やっぱり世の中の大多数に認められる仕事がしたい。でも、大多数ではない人たちがいることも知っている。世間が良いと思うものを良いと思えない人たちがいるのもわかっている。この2つのはざまで生活しているのはとても生きづらく感じる。どっちかを諦めて、どっちかに振り切ればすごく生きやすいはずなんだ。

でも、ひとつはっきりしていることもある。わたしはKERAみたいな個人的でオリジナルな表現が好きで、もっと見たいのだ。その分野でお金を稼げているとか、フォロワー数が多い・少ないに関係なく、いつだっておもしろい表現をしている人を探している。そんな愛すべきフリークスたちがこの右に習って同じようなものが出回っているマーケティングされた世界に、彼ら・彼女らのファッションのような彩りを与えてくれるのだ。

発信して批判されても「立ち上がれ!」「誰かが見つけるから諦めるな!」なんて強い言葉は投げません。どうか、自身のままで穏やかに過ごせるコミュニティーを見つけてほしい。かつてKERAが形成したようなそのコミュニティーを、わたしが探しに行きます。

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