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最終的に、貴方達。

最終兵器俺達。

キヨさん。

こーすけさん。

ヒラさん。

フジさん。

14周年、本当におめでとうございます!!!!

何から書けば良いんだろう...と迷ってしまうぐらい、4人にはいつも笑顔にしていただいてきました。
最俺には、どんな悲しい時も絶対に笑わせてくれる、という絶対的な信頼があります。


※暗い話から始まります。申し訳ありませんが、私にとっての最俺を語るために必要なお話なのでご容赦を。

今から数年前、父を癌で失いました。父が亡くなってからもしばらく放心状態だったのは確かですが、父が余命宣告された時も私は相当ぼんやりしていました。
これは、その時のお話です。

父は膵臓癌でした。早期発見が難しく、早ければ数ヶ月で命を落とすこともあります。ですが、父は診断されてから2年4ヶ月もの歳月を生き抜いていました。

そんな父ならどこまでも生きられるのではないか。

そう思っていただけに、その希望が打ち砕かれた瞬間、父が癌だと分かった時以来の絶望が襲いかかりました。

もう、笑えないや。

私の幸せは、これで終わる。

もう、幸せになれないんだ。

人ってね、つらすぎると泣くことすらできなくなるんです。ましてや、こんな状況で笑えるわけなんかないでしょう。

それを見事に突き破って来たのが、最俺でした。

正直に言うと、失礼ながらその時はまだどなたがどなたなのか、よく分かっていませんでした。
その動画は、ただただ私の趣味と合致していて興味を持って再生したものだったからです。

私は子どもの頃から「ゲゲゲの鬼太郎」が大好きでした。父も鬼太郎が好きで、まさに親子で楽しんできた大切な作品でした。
そんな想い出深い作品を題材にした、しかも私が世代でもある第5期のゲームをやってくれているなんて、なんていい人たちなんだろう、と感動して再生ボタンを押しました(単純)。

それが、消えていた私の感情を呼び覚ましました。

なんて気持ちよく笑う人たちだろう。

なんて楽しそうに騒ぎ合う人たちだろう。

そう思った瞬間、私は声を出して笑っていました。

父が余命宣告されてからずっと、笑っちゃいけない、と自分に言い聞かせてきました。
プラスの感情なんて、抱いちゃいけないんだと。

でも、無理でした。
そんなこと難しく考える間もなく、4人は私を笑わせてしまった。
なのに、不思議と罪悪感みたいなものはありませんでした。

楽しい時は、素直に笑え!!!!

何だかそう言われてるみたいで、私は久しぶりに心から笑いました。

もうあと少しなのかもしれないけれど、父が生きている間は、最期まで笑った顔を見せてあげたい。
医者にも、ずっと父の病に寄り添ってきた母にもなれないけれど、娘として私ができることは、「貴方がいてくれたおかげで、私はこの世に生まれ、こうして笑っているよ」と伝えることだと思いました。

余命宣告から僅か数週間後、父は旅立ちました。勿論、しばらくは私も悲しみに暮れていました。

それでも、最期まで父と明るく向き合い続けられて本当に良かったと思いました。
あの時、4人の動画に出逢わなければ、私は父に笑った顔を見せてあげることはできなかっただろうと...。

そしてそれから1年後、再び最俺を見つけました。遅くなってごめんなさい...笑
(元々動画を観る習慣がなかった私は、1年半ほど前にやっと人並みに動画を観るようになったのです...)

そしてその時、騒がしく(褒めてます)はしゃいで笑う4つの声を聴いて、記憶がよみがえったのです。

この、どんな時も周りを明るくしてしまう、「笑え!!!!」と言わんばかりの笑い声。

あぁ、そうか。あの時、暗闇に足をとられかけていた私を救ってくれたのは。

最終兵器俺達。
彼らだったのか...。

そう合点がいった瞬間から、私は最俺から目が離せなくなりました。
…私も北海道出身という理由もあるけど…笑
(同じ故郷、本当に誇りです)

なんだか私の人生に必要な人たちのような気がして、そうして追いかけて追いかけて、今日まで来たのです。


今でも、私は4人に助けられています。
例えばまさに、つい最近のこと。

私には、仕事とは別に目指している夢があります。その夢が、地面に叩きつけられた出来事が起こったのです。

自分なりに、以前よりも身を入れて鍛錬に励んでいました。仕事以外の時間はほとんど捧げてきたつもりでした。

でも、現実は甘くない。

結果的に言えば、以前と何も変わらなかったのです。むしろ、身が入っていなかった時の方が成長していました。

どうして。なんで。

夢が停滞した時、私は一人で部屋で、そう、ほとんど叫びに近い声で繰り返しながら泣いていました。悔しくて悔しくて、どうにかなりそうでした。

泣き狂った私は、どうやって涙を止めればいいのか、動画の海を泳いで泳いで、そして。

去年の最俺の13周年記念動画に辿り着きました。

笑える動画のはずなのに、涙がぽたりぽたりと溢れ出しました。
でも、心はスーッと波がひくように落ち着いていきました。
そしてとってもぽかぽかした心地がして、やはり涙はとめどなく流れるのです。

あの心境は「安心」という部類に入るのかな、と後で思いました。

いつも通り。

変わらず笑い続ける4人の声に、顔に、私は安心したのだと思います。

でもだんだん、「この人たち何をしているんだろう...」という気持ちになり(失礼)、なんだか悩んでいたことがちっぽけに思えるようになりました(それはそれでアカン)。

何はともあれ、結果的にその動画の終わり頃には、私はまたいつものようにゲラゲラ笑っていました。単純野郎め。

あれから何日か経ち、勿論悩んでいたことは向き合わないといけないことなので消えないし、時々不安になることもあります。
それでもあの日を忘れない、と強く思いました。


最俺なら、いつだって、どんな時だって笑わせてくれる。

父のことでも、夢のことでも、眉間に皺を寄せる度に私を救ってくれた最俺の4人。
コメント欄やXの投稿を見ていると、決して私だけではなく、本当に多くの視聴者が助けられていると感じます。


14年。

長い時の中で4人に出逢った人々は数知れず。一緒に育った方も多いのでしょう。

もう少しはやく、最俺に出逢えていたら。
もっと私は笑えていただろうか。

時々、そう思うことがあります。

でも。

今の私だから4人に出逢った意味がある。
今は、そう信じています。

きっと壁にぶつかった分、私はより一層喜びや楽しさに思い切り笑える。
いつだって喜びや楽しさをまっすぐ感じとって笑い転げる最俺が、そう教えてくれたような気がするから。


ゲーム実況者という立場は、明るいことばかりではなかったかもしれません。
特に14 年もの間、この世界を見てきた4人は、まだ今のようにゲーム実況が当たり前にはなっていない黎明期のような頃も、様々に移り変わっていく時期も知っていることでしょう。
こちら側が好き勝手言っている間、静かに踏ん張って乗り越えていたことも多かったかもしれません。

それでも、4人が私たちに見せていた顔を思い出せば太陽みたいな笑顔ばかり。
私の歴がまだ短かったとしても、笑えなくなってしまった時に笑いまくっている最俺を再生リストにぶち込んで来た(言い方)ので、それは揺らぐことはありません。

後になって、「こんなこと考えていたんだよ」「こんな時期もあったよね」とぽつりぽつりと教えてくれると、本当に頭が下がる思いになるのです(それを正直に話す姿を公開してくれることもある意味嬉しく思います)。

ちなみに私はこの動画で泣きました笑

どんな時も視聴者の前で笑い、笑わせて来た14年。

見えない所で、笑えないこともあったかもしれません。

それでもずっと笑顔を見せ、笑顔を与え続けて来てくれて、本当に、本当に、ありがとう。


2009年10月25日。最俺が「生まれた」日。

詳しい時系列はよく覚えていないのですが、実は私の今の夢が生まれたのもこの辺りです。最俺の始まりの日と重なるように見つけたこの夢を、私は絶対に叶えたいと思っています。

最俺を糧にしているおかげで、私はなんとかまた前を向けるようになっています。
地面に叩きつけられた夢も拾い上げて、また歩き出していきます。


2023年10月25日。

さぁ、今日の主役4名のお出ましだ。


最終兵器俺達。

「お誕生日」おめでとう。

今までも、これからも、ありがとう。

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