心の壁をなくして~ありのまま受け止めて~
第74回
難聴ソルのゆんたくTime
2016(平成28)年8月11日 島原新聞掲載
私には愛犬がいる。何度か記事にも登場させて頂いている。なんていう名前だったか皆さん覚えていらっしゃるだろうか?その名は「バディ」。そのバディが昨年の夏、急に足を引きずるようになった。大したことはないと思っていたが、何日か続いていたので病院に連れて行った。すると思いがけない病名を告げられた。
「悪性骨肉腫」
切断しなければ「余命は半年」とのこと。目の前が真っ暗になった。見た目は足以外とても元気。一日でも一緒に居たいと思い、またバディを小さい頃から診て下さっていた獣医師の助言もあり手術を決断した。結果左後ろ足を付け根から切断。バディは命とひきかえに足を一本なくした。
しかし、その後は順調に回復し、放射線治療を1年続け、今では上手にバランスをとりながら毎日元気に過ごしている。術後、後ろ足がなくなったバディに対し、「バディはかわいそう」と言われたことが一度もない。バディはバディ。持ち前の明るさで皆に接しているからであろう。足がなくてもバディの存在自体は変わらない。これまでのバディとこれからのバディが変わることもない。私の愛情も周りの人の愛情も変わらない。だからバディもこれまで通りバディらしく生きている。
ところが身近な人間社会を見てみると、自分達とちょっと違ったり、自分達のレベルで話が出来ないと、その人の一存在を認めない人もいる。
私の知人に人工内耳装用の子どもを持つ方がいる。親戚に「人工内耳をつけたまま外に出すな」と言われたそうだ。近所の人の目を気にしてのこと。私には信じられなかった。私は逆に人工内耳を装用するということは、その子の情報保障がスムーズにいき、生活面でもすごく役に立つものであると考える。周りの人にも聴覚障がいを理解してもらうこともできる。人工内耳をつけた子どもの自由を制限してはいけない。その子がよりよく生活できるように周りの大人が自分のレベルで見るのではなくてその子のレベルに合わせる必要がある。
聴覚障がいがあると気づいたら、わかりやすくハッキリと口元を見せて話すなど、その子のことを考えた対応ができるはずだ。そんな思いやりのある世の中にしていきたい。
バリアフリーという言葉が頻繁に使われるようになった。心のバリア(障壁)というものは、人間がつくり出しているものである。自分の価値観のレベルで決めつけず、その存在をありのままに受け止める柔らかい心を持つと心のバリアフリーを実現できる社会になるはずだ。
バディはこの春10歳になった。足は3本になったけれどバディらしく毎日を過ごしている。この暑い夏も一緒に乗り越えていきたい。