UDトーク接続に〜自分一人で挑戦し成功〜世界がまた広がる
第99回
難聴ソルのゆんたくTime
2019年(令和元年)6月12日 島原新聞掲載
5月30日のニュースで三菱UFJ銀行が紙の通帳を廃止し、スマホかパソコンを使った「デジタル通帳」に切り替えるという情報を知りました。「紙の通帳がなくなるなんてありえない!」と、とても驚きました。しかし周りを見てみると紙媒体がどんどん少なくなってきています。お金のやりとりも現金ではなく、カードやスマホで決済するキャッシュレス化が進んできました。スーパーにいっても、セルフレジ化が進んでおり、なんでも自分でしなければいけません。「私にはできない。さわるのも怖い」と思うところもありますが、もうそんなことも言っていられない状況になっているようです。自分から積極的に使っていかなければ、社会生活ができなくなりそうです。これからは機械に振り回されるのではなく、自分で機械を使いこなせるように努めていかないといけないでしょう。
私はUDトークを使う中で、チャレンジしたことがあります。それは3月2日に久留米で行った講演会でのこと。それまでUDトークを使うときは、セッティングや機材の接続、マイクチェック、ネット環境の確認など全てUD訂正者の坂本朋恵さんに任せていました。
しかし、今回は坂本さんには島原からの遠隔訂正のみ依頼し、会場の機材接続などの準備は全て自分でやってみることにしたのです。久留米の講演では、「聞こえの垣根を越えて〜コミュニケーション方法は色々」というタイトルのもと、UDトーク体験談を発表しました。「UDトークとは何?」ということを実際に目で見て知ってもらうために、一番大きなスクリーンを使って、大きな文字で私とスクリーンが同時に視野に入るよう工夫をしたのです。このとき私1人ででもUDトークの接続ができるようにしたいと思い、一生懸命つなぎました。リハーサルの時は音響設備、ネット環境、映像チェックもバッチリうまくいって、坂本さんとのやりとりも全てスムーズにいきました。
ところが、当日、遠隔訂正用の音源接続がうまくいかず、声が送れない状況になってしまいました。色々と他の手段を試して見たものの、上手くいかなかったので、最終的にはスマホで直接声を訂正者の坂本さんに届ける方法をとりました。結果的には、修正も上手くいき皆さんにUDトークのよさをしっかり感じてもらえたようです。
この会場には私の知人が沢山来てくれました。
実は、私は小学校6年生まで久留米に住んでいたのです。この久留米での幼稚園、小学校の頃は、私にとって、とても楽しい思い出がいっぱいの時代でした。同級生や担任の先生、そして周りの友達は私が難聴ということを特別に思わずに受け入れ、自然に接してくれたので、私自身も難聴者であるということを感じずに過ごすことができた幸せな時期でした。今回その時の知人の皆さまが、私の声を聞いて、そしてUDトークにふれて、私の成長ぶりを見てとても喜んでくださいました。私も久しぶりに会えて、その時代に戻ったような気がしてすごく嬉しかったです。
人と人のつながりは普遍的なもので、これから先も人としての心の持ち方を大事にしていきたいと思いました。
久留米でのUDトーク体験談発表は、大きな成果があったと思います。UDトークを知ってもらえたことはもちろんですが、何よりも自分1人でUDトークの接続ができたことが大きな自信になりました。自分1人で、どこに行ってもUDトークの設定ができれば、UDトークが使えるということです。今までは機械の接続なんて苦手だし、できないと思って全て人任せにしていました。
しかし、やらざるを得ない状況になったとき、失敗をしながらも、なんとか自分でできるようになりました。そうすることで自分の世界がまた一つ広がりました。
AI(人工知能)化が進んで、情報化が複雑になってきましたが、「無理。できない」と思わずに使ってみること、チャレンジしてみることが自分を助けることになります。
世の中は信じられないぐらいの速さで変化し続けています。人として変えてはいけない部分は大切にし、柔軟に対応しなければいけないところは積極的に変えていく必要があるのではないでしょうか。世の中に取り残されないためにも大切なことだと思います。
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