愛犬の死に寄り添う~最後のときまで一緒に~
第76回
難聴ソルのゆんたくTime
2017(平成29)年6月18日 島原新聞掲載
皆様こんにちは。長らくお休みしていましたが、また少しずつ書きたいと思っています。復活第1弾は愛犬バディの話です。愛犬バディの話はこれまでも度々取り上げてきたので皆さん知って頂いているとおもいます。
そのバディですが、実は今年の3月に他界しました。ガンでした。2015年秋に左後ろ足にガンが見つかり切断しました。その後、今年の1月に肺と肝臓に転移が見つかったのです。
1月のある日、家の周辺を散歩しようと連れ出すと、いつもは長い散歩をしないバディが倍以上の距離のある動物病院まで自分で歩いていったのです。動物病院の先生が大好きだったこともあるかもしれませんが、自分で病院に行きたいと思ったのでしょう。この日の診察でガンの転移が見つかり、もう先は長くないという診断を受けました。私自身とてもショックを受けました。しかし悲しむと同時に、これからのバディに残された時間を大切に使おうと決心しました。バディには少しでも長く生きて欲しいとは思いましたが、無理な延命治療はせず自然に任せる道を選びました。
2月に入ると次第に弱っていき、排便排尿が困難になりご飯も食べられなくなっていきました。こんなバディを家族皆で介護しました。大型犬で30キロ近くあるバディ。母、妹家族、そして夫が昼夜問わず面倒をみました。私もこの間ずっとバディの近くにいました。夫は週末にしか来ることができなかったのですが、排尿ができない時にカテーテルを通してくれたり、そばに付き添って寝てくれたりして、とても心強くありがたく思いました。
夫はもともと犬を飼った経験がなく、あまり好きではなかったのです。それにもかかわらず私たちが大切にしている存在を同じように大切に扱ってくれたのです。その心が本当にありがたかったのです。私は改めてこの人と共に人生を歩むことができて良かったと思いました。
3月4日土曜日の朝、私の腕の中でバディは静かに息を引き取りました。大好きな家族全員に見守られながら。人間でもこんなに恵まれた最期を迎えるのはなかなかないかもしれません。
バディの死はとても悲しいことだったけれども、バディの死に対する悔いはありません。なぜなら、バディはバディらしく生き、バディらしく死を迎えたと思うし、私達も自分達にできる最大限の愛情を注ぎ、最期のその時まで一緒にいることが出来たからです。
しばらく前に島原新聞に犬の十戒の話を書いたことがあります。その中で一番大事な犬との約束としてあげたのが、この一節です。
最期のその時まで一緒にいてほしい。「もう見てられない」「私ここにいたくない」なんて言わないでほしい。あなたが隣にいてくれることが私を幸せにするのだから。
という犬の気持ちを代弁する言葉です。私の手元に預かった命を最後まで見守って、最後まで側にいるという約束を守ったから、あの時ああしておけば良かったという後悔の念はありません。
今は私自身もまたバディのように朗らかに自然体で生き、皆から愛される存在になりたいと心からそう思います。空を見上げると、バディがいつもニコニコして「大丈夫だよ。僕がいる。側でいつもちゃんと支えているから」と言っているような気がします。
動物を飼うときは最後まで責任を持って飼いなさいと言われます。この責任とは、どういうことかハッキリ分からない部分もありました。今私が思うことは、最後まで命を預かるという意識を持つことだと思います。可愛い時や楽しい時だけ一緒にいるのではなく、逆に病気になった時老いた時にこそ手助けをして、決して見捨てないことが一番大切なのです。人としての道をバディがたくさん教えてくれました。
バディと一緒に過ごした11年間はあっという間の幸せな時間でした。バディ、本当にありがとう。これからもずっとずっと大好きです。