熊本地震被災地で~仲間とボランティア~

第72回

難聴ソルのゆんたくTime

 

2016(平成28)年6月12日 島原新聞掲載

 

熊本地震直後に聴覚障害者を支援する組織づくりの必要性を訴える記事をフェイスブックのタイムラインに書いた。すると共感した難聴仲間がネット上のグループを立ち上げて活動を始めてくれた。

 

今回は、6月8日にボランティアに参加する人を募集していたので、熊本難聴協会会長へ直接、連絡を取って参加申し込みをした。今回も自主ボランティアで要約筆記のできる友人と2人で参加した。当日、朝イチの船で出発。前回は初めて被災地に1人で出向き不安だったが、今回は友人も一緒だったので、落ち着いた気持ちで臨むことができた。

 

集合場所には難聴者9名、パソコン要約筆記者2名、手書き要約筆記者2名の計13名が集まった。4人ひと組に分かれ、車4台で活動開始。熊本地震聴覚障害者支援対策本部と書かれた紙を貼っていた。この日は3か所の避難所を訪問した。

 

最初に出向いたのがグランメッセ熊本。受付で支援の必要な聴覚障害者がいるかどうかを問うたところ、「補聴器装用者もいないし、聞こえに困っている人もいない」という返事。それなら大丈夫だろうと思い、次へ移動した。

 

次は益城町役場を訪れた。役場は使用できない状態で、仮設役場を設置していた。様々な手続きでごった返していた。

 

その後、それぞれのチームに分かれて避難所巡りに移る。益城町に入ると景色が一転した。傾いている家、全壊して木屑の山になっている家、一部だけ残ってあとは崩れてしまっている家、本当に悪夢を見ているようだった。実際に見てみるとテレビで見ているのと全く違う惨状の凄まじさだった。心を痛めながら避難所へ向かう。

 

ここでも避難所の受付で聴覚障害者への支援の必要性を尋ねた。すると「いません」との返事。今回はそれでも視察のつもりで避難所の中に入らせてもらった。その避難所は段ボールでつくったベッドと布の仕切りがあった。ある程度のプライバシーは守られている様子。

 

入り口付近で雑談していたお年寄りに声をかける。「耳のことで困っておられる方はいらっしゃいませんか?」すると「あっちの○○さん、耳の遠かよ」と教えてくれた。○○さんのところへ行くと耳は遠いが補聴器はつけていない、足も悪くベッドから動けないとのこと。「周りに何か伝えたいことがあれば筆談ボードを使ってください」とボードを渡してきた。受付にもボードを渡してそこをあとにした。

 

この日最後の1か所は老人保健施設の中に設けられた避難所だった。ホールの広いスペースを腰までの高さの段ボールで細かく仕切ってある。その中に段ボールでつくったベッドが1台くらいのスペースである。ここでも受付で聴覚障害者支援について尋ねると該当者がいないとのこと。とりあえず中を見せてもらう。昼間は10数名くらいしかいないとのこと。

 

中に入ると、仕切りが低いので、どこにどんな方がいるのかすぐ分かった。見渡すとあれっ?と思う方を発見。私たちに目で訴えているような感じだった。早速「聞こえに困っていることはありませんか」と尋ねると「電話をするときに、相手の声が聞こえん」との返答。加えて「今は耳のことよりも病気のことが心配だ」とおっしゃった。「家が全壊、帰るところがない」とのことで一人にしておくのは心配な感じだった。私と友人は「この方の様子を時々見に行く必要性があるのではないか」と話し合った。「何かあったときはこれを使って下さい」と筆談ボードと支援の連絡先を渡して施設を後にし、帰路についた。

 

今回2回目の熊本ボランティアに参加して感じたこと。

・とにかく現地を見ないと何も始まらない。実際に現地に赴くことは大事。

・正確な情報を得て適切な活動をするには要約筆記者などの情報支援者が欠かせない。現地の要約筆記者もまた被災者なので、できるだけ自分の地域の要約筆記者とペアで動くことが望ましい。

・今回行った全ての施設において聴覚障害者で支援の必要な人はいないという答えだった。しかし、実際は必要としている人は存在する。聴覚障害者の存在に対する健聴者の意識が低いのではないかと感じた。

 

以上のことは、今回行ってみて初めて気づいたことである。ボランティアは行ける時に、行ける人が、時を外さずに、臨機応変に対応することが大事である。

 

今後も現地の声を聞きながら、私の動ける機会を逃さず支援活動を続けたいと思う。

 

がまだせ!熊本!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?