2019年3月21日の真備町

今日、真備町で慰霊祭するからということで真備町へ行った。
昨年夏に襲った西日本豪雨は洪水だけじゃのうて川に氾濫を起こし、倉敷市真備町や矢掛町や総社市、また岡山市の一部に大きな悲しみをもたらした。(豪雨のことは緑字になっとる所にWikipedia貼り付けとるけんそこで見てほしい)
そこでわしは亡くなった方を弔うとともに、今の真備町はどうなっとる、それを見てみようと思い参加した。(車の中から音を出さないカメラで撮影したけんそこはこらえてほしい)

まず新川辺橋近く。ここを流れる高梁川が氾濫し支流の末政川などにも水が溢れ真備町の中心部などは水にのまれてしもうた。

今もこのありさま。

プラモファンの聖地であったエラヤというおもちゃ屋も商品が水に浸かった。(閉店を決意してから惜しむ客が多数来られたことをテレビのニュースで知った)

豪雨の象徴となったまび記念病院。
ここの屋上に救助のヘリを待つ人のニュース映像を見てあ然としびっくりを通り越してしもうた。

当初は何かできんものかSNSに物資受付の情報が錯綜したものの、行政が物資受付、義援金、ボランティアセンター設立で混乱は納まった。
しかし命からがら救助された方は避難所での厳しい生活が続き、数ヶ月前か仮設住宅もでき、学校は仮設で授業再開など生活に落ち着きが見られ始める…。
(ボランティアの皆様ありがとうございました。
倉敷市災害ボランティアセンターはこちら。4月1日からまび復興ボランティアセンターに変わる)

商業施設もディオ真備店を皮切りに徐々に復活し(まだな場所もあるし被害がひどかったホームセンターはやむなく撤退もあるが。写真は上からマルナカ、天満屋ハピーズの工事現場)
町には「がんばろう真備!」という声があちらこちらから聞こえる。

住んで復興!」という言葉も見た。人工流出の危機もあるのじゃろうか。

ここまで見て思ったんじゃが、復興への想いはあるのに一部は真備での生活再建がしんどい人がおるんじゃないかと思うと「がんばろう」という言葉も虚しく聞こえる人、「がんばろう」という言葉も通じん人がおるんかな、という想いもある。

災害ボランティアで後押しができりゃええけどわしにはそんな体力がない。持病もある。じゃけん「がんばれ」と大声で叫んだり小遣いの一部を募金するするしかないんじゃろうか…。

とにかくこれから毎年7月6日の夜はわしにとって忘れられん夜になるんじゃろう。

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