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じっと星を待つ。
湖畔に辿り着くと、すでに夕日は山の端に消えていた。
日の入り時刻は調べていたが、途中で道が分からなくなって、辿り着くまでに時間が掛かってしまった。その上、対岸にある山の存在を計算に入れていなかった。三脚を立てて、カメラを設置していると、隣で撮影していた男性が「遅かったね」「もうちょっと早く来たら湖畔に夕日が映っているところが撮れたのに」と写真を見せてくれた。確かに綺麗だ。少し勿体ないことをしたな、と思いつつ、まあ一応目的は夕日ではないので良しとする。
「いい写真を撮ってね」と男性は去って行った。見送ってから、じっくりとレンズのピントを合わせる。私の持っている広角レンズはMFなので、自分で合わせる必要があるのだ。普段使いにはちょっと不便だが、逆に言えばAFを切り忘れる心配が無い。それにとても軽いので、持ち運びには便利だ。
折角レンズのピントを合わせたくせに、ちょこちょこレンズを取り替えて周りの様子を撮っていた。星狙いなら早く来すぎたかも知れない。
暫く待っていると月が見えてきた。弓張り月だ。慌ててレンズを望遠に変えた。
綺麗な月だった。
程なくして、月は雲の中に沈んでいった。さっきの男性、もう少し居れば月も撮れたのにな。まあお互い様である。
波の音が寄せては返す。秋の寒い夜に、湖畔の空気は些か冷たい。
ただじっと、誰も居ない岸辺で暗くなっていく湖を眺めているのは、不思議と心が落ち着いた。乱れていた波形が平坦になる感じだ。
あいにく、真上に大きな雲が浮かんでいた。ゆっくりと流れては居るが、退いてくれないかも知れない。こればかりは運だ。
だが俄に、流れが速くなった。
そして星が浮かんできた。
帽子でレンズを街灯の光から隠しながら、レリーズのボタンを押す。撮れたものを確認して、角度やシャッター速度を変えていく。何枚も撮る。何枚も。
星撮りはやめどきが難しい。制約さえ無ければ、いつまでも撮っていられる。例えば電車の時間とか、バスの時間とか、食事の時間とか、暗さからくる身の危険とか。この日は宿泊しているところの夕食の時間が迫っていた。戻るのにもそこそこ時間がかかるから、そろそろ切り上げるべきだが、離れがたい。
星は好きだし、湖も好きだ。ただどちらも、今私が住んでいる町からは、少し離れないと見られない。だからこれはとても貴重な時間だった。湖底の石のさざめきを聞きながら、ぎりぎりまで粘っていた。
不思議といつもの焦燥感が無かった。楽しいことをしていると、もっと他にやることがあったんじゃないか、自分は本当に楽しんでいるのか、時間を無駄にしてはないか、と責める声が聞こえるのだ。このときは、楽しいかどうかすら考えなかった。フラットだ。私は自然体として、湖の畔に立っていた。
どうしたって時間は来るので、宿泊先への道を戻る。そしてこのとき気付いた。湖畔以外に街灯がない。戻り道は殆ど真っ暗だった。しかも何かの足音が聞こえる。人かと思ったら高い声で鳴いた。月はさっき沈んだのを見た。星しかない。これはだいぶん、まずいのでは。
身の危険を感じながら坂道を登った。結構急だ。スマートフォンの充電も心許なかったので、星明かりだけが頼りだった。都会ではまず見られない景色だ。感動と恐怖心がない交ぜになっていた。感動はしたが、兎に角怖いので早く帰りたい。
なんとか宿に辿り着き、窓から漏れる明かりにとてもほっとした。ジャケットと帽子が雪虫だらけなことに気付いて、払い落としてから玄関をくぐる。人の世界に帰ってきた。
夕食のサンマがとても美味しかった。
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