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ポンコツな私のウツ歴史⑥知らなかったこと

今日、心療内科の先生のところに行って、「45歳になってしまったんですよーーー」と、自分のがっかり度合いについて語りました。

「ななつぼしさんは、仕事で成功を収めている予定だった?」と聞かれ、確かに私は昔、華々しく活躍して有名人になったりしているだろうと思っていたのです。

マスコミに入って、それも報道の本流の新聞社に入り、そのうちテレビのコメンテーターかなんかになっている自分を想像していました。

しかし、入社してそうそう「ああ、職業に就いたからといって、知識が身に付くわけではないのだなあ」と痛感しました。

◆記者はなんでも知っている?

記者というのは「とりあえずなんでも知っている人」扱いされます。

本は古典から現代の小説まであまねく読み、

映画も古いのから新しいのまで有名どころはストーリーを把握しており、

政治家は、衆院議員ぐらいは全部しっている、大臣経験者ぐらいなら軽くプロフィールも知っている

ぐらいに思われてますよね。

でも、記者になったからって、そんな知識ないんです。

記者になって愕然としたこと。それは、地理と歴史をもとに、世の中は動いているのだ、ということです。

関西人の23歳ギャルのわたしにとって、東北地方なぞ、だいたいあの辺、の十把一絡げでした。しかし、青森、秋田はかなり人口がまばらで、山形は山形市の近郊にかなり高い山があり、夏は強烈に暑いこと、宮城は東北の都でかなりな都会。福島は関東に一番近いから、茨城県に似た感じ、といったことを、まったく肌身で感じたことがありませんでした。

◆都会?田舎?

また、大阪府内で生まれ育ったわたしは、自分が都会の人間であるということを知りませんでした。

母親が愛媛の小さな市の出身でした。なので、「おばあちゃんち」という意味での「いなか」はあったのですが、田舎の街の商店街の出身だったので、お店屋さんもたくさんあるし、車も人もたくさん通っているから、「都会の対義語的な田舎」を、よく理解していなかったのです。農家が親戚にない、というのも、「田舎」の概念が希薄な理由のひとつでした。

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そりゃあ、大阪にだって畑も田んぼもあるんだから、子供心にしたら、大阪も、愛媛も同じなのです。関西では、全国ニュースと関西ローカルのニュースは、ほぼ同時に同じぐらいのボリュームで報じられるものなので、奈良も京都も和歌山も兵庫も当然「じぶんとこの地域」であり、全部庭(笑)。愛媛県だけのニュース枠があるとか、大阪府だけの地域面ニュースがあるとか、知らなかったんです。というより、「日本」みたいなちっこい国(日本は国土が小さいということを、社会科では散々言い含められていた)だったら、どこでも同じだ、ぐらいに思っていたのです。

そりゃあ、たまに「大阪の難波に住んでいます。田んぼは見たことなかったです」という18歳を見たときは、「そりゃあ、大変ですね」と思いました。別にそこに憧れもなかったというか。

ところが、地方出身の人は特に、「いやー、田舎だ」と、二項対立するんです。長野県が田舎だなんて、教えられるまで知りませんでした。だって、長野駅は立派だし、低いけれどビルもたくさん建っているし。ちょっと車で走れば田んぼや畑があって、アスパラの生えているところを初めて見たとか(土からにょっきり売ってる雰囲気で生えているんです。あれは採りたくなる、盗りたくなる、雰囲気が満載)、りんごの木がいっぱい生えたりんご農園があるのを初めて見て(実際食べられる、食べておいしい果物が木になっているのを見たのは初めてで、「まじか」と思いましたですよ)、自然がいっぱいですが、そんなの大阪でも田んぼはあるので、「農産物が違うのだなあ」と思っただけでした。

そして、名古屋の人ですら「名古屋には何もない」という。

いっぱいあるじゃん!!と、東京に住んでいるわたしは思うのですが、ないんだそうです。人って贅沢だなと思います。



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