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個人的な第二の城の振り返り

久しぶりにブログ書いてます。

やっと落ち着いて書ける状態になった感じです。

今日は我が家に起きた大きな変化を記します。


プライベートな事なのでご興味ない方はスルーで、

ご興味ある方は長文になるかも知れませんが
読んでくださったら嬉しいです。

それは突然やってきたのですが、

実は今、義母と同居しています。


お姑さんとの同居です。

この私が、笑笑


11月からいきなりスタートした同居生活。

もうすぐ1か月経とうとしています。


本当に怒涛の1か月でした。


全く予定していなかった突然の事態。



まずその決断をした自分に、
私が1番ビックリしてます笑笑


振り返ること9月の初め、
お姑さんが急に体調を崩して入院したのが始まりで。


約2か月ほどの入院でした。


元々一人暮らしで少し認知症もあり、
近所に住む親族が気にかけながら生活を送っている状況でした。

義理兄とうちのダンナさんで、義母の退院後の話し合いをしていて施設への入所を検討していました。

の、はずが。

ある日、ダンナさんから話がある。と。


「今は母の記憶もまだあって、体もまだまだ動く状態だけど、

その母をまた一人暮らしに戻すのは心配だし、

施設に入って俺たちの事を完全に忘れてしまったら、俺は何もしてあげられなかった事を後悔すると思う。」

と。


何の返答もできずにいる私。

さらに続けるダンナさん。

「早くに親父を亡くして寂しい思いをしてきただろうし、俺もずっとお世話になってきてまだ恩返しができてない。

いずれは施設に行くことになるだろうから、それまで一緒に暮らして親孝行したい。」
と。

ダンナが涙を流しながら話すのを見るのは
初めてかも知れない。

その時は混乱して何にも言えませんでした。
色んな意味で衝撃だったから。。

。。。


結婚して15年、これまでも同居のタイミングはたびたびあった。

でも私はその度にNOだった。

基本的に仲良しな夫婦だと思うし
お姑さんとの仲も良好。

だけど、同居となると話は別でしょ!と。

自由が奪われるってどこかで強いイメージがあったと思う。

だけど、今回は今までと明らかに状況が違い、必要に迫られてる感。

一人暮らしへの不安やダンナの母への気持ちが、わたしにも痛いほど分かるから。

でも‼️

わかるけど‼️

私にかかる負担を想像すると、、、

どうしても受け入れられないー😭


最初は正直、これが本音で😓

誰でも家族が急に1人増えるってかなりの葛藤でしょ。


妊娠ならまだしも、親の介護て。。

「親の介護は突然来るからね」って

経験してる友達の言葉が刺さる💦


で、ひとしきり自分の気持ちをノートに吐き出し
(マヤ暦仲間うちではドロドロした感情をノートに書くときはクソノートと言っている笑)
落ち着いたあと、

そもそも私はなぜそんなに頑なに同居に対してNGなのか

そこを冷静に見つめてみた。

すると色々出てきたんですよね。
素晴らしい思い込みが!
まず、

家で仕事をしているなら介護できるだろうと思われてるんじゃないか

←これ、思われてるんじゃないかと言う妄想でダンナは、一言もそんな事言ってない笑

同居したら介護しないといけないと思っている

←それもそうとは限らないし話し合いでいくらでも工夫できるし分担できる、1人で我慢して抱え込んでしまうと思い込んでる

そもそも介護とはどう言うことを言うのか。私の中で定義が曖昧

→介護が必要な時とは?
1人で自分の事ができない、留守番ができない、徘徊など危険な事をする

←これも今は大丈夫

だったら介護ではなく同居になるんじゃ?
同居なら仕事に影響ないしそんなに嫌なものなのか?

1つ1つ丁寧に見ていく。

じゃあどうだったらオッケーなのか?

私が出来る事出来ない事
出来るけどしたくない事
家族の役目(手伝い)

それを明確にした。

で、最終的に分かってビックリしたのが

何より1番大切にしたい事って

自分の大切なダンナさんが大切にしたい人を同じように大切にしてあげたい


私が同居を拒否すれば私は今のまま自由だけど、ダンナさんはどう?そこまでして得る自由は私が本当に欲しいもの?

→違う気がする。

→私もダンナさんもお母さんも心身ともに安心して快適に暮らしたい


これが私の本当の願いだったんです。


もう書いててビックリ、笑笑

だけどだけど、
これがすごく腑に落ちて
お腹の底から納得感を得た感じ。

黄色い種がパッカーンした瞬間よね🤣

で、この自己対話の内容を全てダンナさんに提示した。この条件なら受け入れられると。

ダンナさんは私の思いを理解してくれて、全責任は俺が取ると。

そして本当にありがとうと何度も言ってくれた(何か文にすると私、鬼嫁やな。まいっか笑)

そこから一気に状況が進んだ。

思えば同居を受け入れた、記念すべきその日は

奇しくもダンナの年回りのナンバーの日

遡って、私が自己対話で本当の願いにたどり着いた日は、13月の暦での年回りの鏡の向こうの日だった。

母が我が家にやってきたのはkin66
白い世界の橋渡しのスタートの日。

母、ダンナ、私が持ってる紋章。笑


まさに外交条約締結の日
みたいになってもーた笑笑

(※マヤ暦ワードがちょいちょい入ってきます😂

結局宇宙の流れ、使命や役割を生きてるって答え合わせだったってことです。

エゴで拒否していたから苦しかっただけです。笑)

覚悟が決まると不思議とこれを報告した友達もみんな前向きに応援してくれて

特にNeoちゃんには私が突然
「お姑さんと同居することになったんよ❗️」
って言ったら

「おーおめでとう❗️」
って返ってきて。
泣きそうになったし笑
(私の心の流れがなぜか彼女にはわかるらしい)

しかも介護経験があるからリアルなアドバイス沢山してくれたし😭

龍石さんはこれからの仕事に迷惑をかけるかも知れないのに、何も否定することなく
「智恵美さんの潜在意識を守ることを優先してね」
と言われ
車の中で号泣した。

他にも沢山の仲間に大丈夫って言ってもらえて、今書いてるそばから泣けてくる😭


そしたらこの1か月。
ビックリするくらいスピーディーに事が運んで

毎日試行錯誤&濃厚な
同居生活を送っています。

でも、心配よりも実際この1か月でダンナさんも息子たちも本当に見違えるほど頼もしくなりました。

ダンナさんはより家族思いになり、決断力も行動力もパワーアップ

息子たちはばあちゃんに優しく接してくれるようになりました。

前は部屋にこもってゲームばかりしてたジローもばあちゃんが寂しくないようにリビングで過ごしてくれるようになりました。ゲームは止めないが笑笑

タローは気長にばあちゃんの話し相手になってくれるし、脳トレもしてくれる。

(今もちょうど、LINEが来たんだけど、修学旅行前で学校が休みの長男、昼ご飯を作って母に食べさせてくれた😭)


義理兄も頻繁に連絡を取ってくれるし、叔母さんは美味しい野菜を沢山送ってくれる。

前は食事もバラバラだったけど、今はなるべくみんなで食べるようになり生活にメリハリがつくようになりました。

色んな方面から温かいエネルギーを感じることができるようになりました。


そして、なにより、認知症と言う症状を通して最初は戸惑う事も多々あり、今もだけど、

老いや人生の終わりについて考えさせられる毎日です。

以前にも増して

やっぱり自分を大切に。
今を大切に生きたい。
後悔したくない。

そう思わせてくれる母に感謝でいっぱい🥲

そして、今の自分が自分で好きだなって思える。それが何よりの母からのギフトかも知れません。

この260日のサイクルは本当に自己対話の大切さを身にしみて感じていて

Face up to講座を開催してみんなに伝えてきた事は全て自分にとって必要で、即実践して活かせたし、

自己対話を通してもう1人の自分に出会えた事。
そして得たものは想像以上の豊かさだった。


これからもこうして人生を攻略し、魂が進化していけるのかな、

そうなりたいな。
そう思うと、ドキドキだけど楽しみでもあります。


と言うことで、濃すぎる第二の城の振り返りでした。

まとまりのない文章でしたが最後まで読んでくださり、ありがとうございました🌺

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