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中村哲さんを想う

お疲れさまです。

中村哲さんの生き様を描いたドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯をともす」を観てきた。監督は、谷津賢二さん。

Twitterで上映会があることを知り、「これは観ないと」と思い、ちょっと遠かったのだけど横浜の方まで足を運んだ。

中村哲さんという人間に心を打たれた。上映会に申し込んでから、偶然本屋で中村哲さんの本(「アフガニスタンの診療所から」筑摩書房)を見つけて購入し、三分の一くらい読んでいたので、彼の生き方や信念の一端には触れていたが、映画を観て、より畏敬の念を感じた。

中村哲さんは、アフガニスタンで長く医療に携わり、らい患者の診療や診療所の設立、さらには干ばつで作物が育てられなくなった地に、水路まで建設した。

「人間は、技術革新によってすべてをコントロールできると思うようになったけれど、それが限界に来ているのではないか」

「人間は、自然という恵みのおこぼれにあずかって生かされているにすぎない。人間も、一種の動物」

「戦争がなくなって、平和が訪れるわけではない。他者と依存し合って生きていくことで、平和が作られていくのだと思う」

(映画内での中村さんの発言ですが、メモしたわけではないので正確ではないです)

とりわけ、最後に挙げた言葉が印象に残った。今、少なくとも日本の領土においては戦争は起きていない(外国で起きている戦争に協力はしていると思う)。でも、日本は平和だと言えるだろうか? 私はあまりそうは思えない。厚生労働省の資料によると、昨年の自殺者数は21,881人。毎年毎年毎年毎年2万人以上の人が自殺しているこの国は平和なのだろうか?

人に迷惑をかけるな。

この国に今蔓延っているように思える思想だ。

街を歩いていても、なぜか誰も助けてくれないような気がする。実際、助けてはくれない。

自分と、自分の家族や大事な人さえ良ければ、あとの人は関係ない、もっと言えば、どうでもいいと、思っている人が多いように物心ついたときから私はずっと感じてきた。
そして、そう感じる今の日本の社会や空気が、私はずっと好きではない。大っ嫌いだ。

いつも完璧な人なんていないと思うし、「自分もだめだめな部分もあるんだから、他の人もそうだよな〜、だから自分も迷惑かけてなんぼだし、多少は迷惑もかけられてもOKよ!」くらいの考え方が主流になれば、今より絶対に変な辛さのない社会になると思うのだけど。

まあ、自分(たち)が生きていくだけで精一杯で余裕がないのもそうだし、理想論かもしれない。

中村哲さんの言葉に戻るが、「他者と依存し合って生きていく」という在り方が、実践しにくいのが今の日本なんだと思う。
家族や親しい人と依存し合っている(これは悪い意味でも)人はいるけれど、本当はもっと広い意味で依存し合ったほうが、豊かなんだと思う。

日本はサービスを提供する側に過剰な「おもてなし」を求めるし、本来、人間同士が関わる上で必要ないい加減さが、消失しかけているように思う。

私は、ずっと嫌だなと感じてきた(日本特有の?)この冷たい社会に、一矢報いるような生き方がしたいと思う。

また、今回の上映会では、上映後に谷津監督が中村哲さんの人となりなどを30分ほどお話ししてくれた。

その中で、中村哲さんの座右の銘を紹介してくださって、それは「一隅を照らす」というものだった。片隅に灯りをもたらす、わかりやすく言うと、自分の今いる場所で自分にできることを一生懸命やる、というイメージで、一人一人がそのように生きれば、何かが変わる、というような解釈なのだそうだ。

そういう生き方が私もできるように、一生懸命生きようと思う。

また、水路が通って、人々がまた作物を作れるようになって土地に暮らせるようになって、そのときに中村哲さんは、「医師である自分が、水路を作ったということにもまた、おかしな気持ちを感じるんですよね」とおっしゃっていた。

土木の知識が一切ないところから本を読むなどして勉強して、設計図を作成して、ショベルカーを運転して、石を運んで……何年も何年も。

いきなりなんだという感じなんだけど、私はこの前蕎麦屋のおじいちゃんに(身内ではない)、蕎麦の打ち方を教えてもらって、蕎麦を切る段階かどこだったかは忘れたんだけど、「できないかも」と漏らしたら、「できないなんて言わない!できるの!」とお叱りを受けて、それにかなり衝撃を受けたんだよね。

私が子供だったころの学校生活って、なぜかわからないけど私も含めてみんな謙虚で謙虚で、自信を持って「できる!」とか、「やりたい!」とか言わないことが美徳、みたいな空気があった。

大学でも、主に大教室だと、教授がいろいろ話しかけてるのに、「シーーーン」みたいなことが多くて、私はそれが嫌で嫌で、でも発言するわけでもなく、この空気とにかくどうにかしたいとだけは強く思いながらも、どうにかする勇気もなく、悔しい気持ちだけは持ってた。

でももう今は、勇気はあるから自分の周りのその空気は変える。

中村哲さんは、医師でありながら、土木技術者であり、哲学者でもあり、現地の人らと交渉する人でもあり、なんでもやっていた。

そうなんだよ。
できるんだよ。信念さえあれば。

そう信じる。それを信じられるように生きたい。

中村哲さんが蒔いた種を、芽吹かせて、育てよう。

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