好きなボカロ曲『寝癖』(とるてさん)感想メモ
タイトル: 寝癖 / 重音テトSV
作者: とるて さん
再生数: 838
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42508843
ピアノ(?)の音だけのシンプルな曲なんだけど、重音テトSVの声がものすごくよく、そのシンプルな音と調和していて耳が心地いい。
よく寝るまえに聴いている。
音楽としては透明感があるんだけど、冒頭から「不安」「立ちすくんでる」とうしろむきな言葉が並ぶ。
さらにそれが強まるニ番のサビがすごく好きで、
――べつにここから落ちてもいいような
――優しい風が背中を押してる
というさみしい歌詞を情感こめてテトが歌う。
なんとなく、学校の屋上とか、職場のビルの屋上で、建物のはしっこギリギリに立ってそとを見おろしているようなイメージが浮かぶ。
そんな「あと一歩前に出れば落ちて死ぬ」といった生きるか死ぬかの瀬戸際で、「べつにここから落ちてもいいような」というどこかあきらめの混ざったつぶやきと、「優しい風が背中を押してる」という歌詞がつづく。
「優しい」という言葉を辞書で調べると、「他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである」という意味が出てくる。
通常、「思いやりがある」というのは、そうした瀬戸際に立つ人をそっとこちら側(建物の側)へ引き戻すときに使われる。
「ぼくがいるよ」あるいは「私はあなたと生きたい」といった、他者を生きるほうへ導くときに多く用いられるのが「優しい」という形容詞だ。
でもこの曲では「背中を押している風」、言い方を変えれば屋上から僕を突き落とそうとしている風のことを「優しい」と表現しているわけで、きっと「このまま生きるよりは、死んでしまったほうが救いになる」と感じたときにこうした感覚になるんじゃないか。
そんなふうに手を引いてくれるような人は、ものは何もなくって、「もういいかな」と思ってしまうようなとき。
――それでも僕の足は踏ん張って
――明日の方へゆっくり後ずさる
でも、歌詞ではそのすぐあとに、「踏ん張って」という「僕」の行為がつづいて、建物の側(生きるほう)へ自分の力で戻っていく。
これも、「明日の方へ」と歌うときは通常だいたい前向きに歩いていく、進んでいくものだけど、この歌詞では「後ずさる」という表現になっていて、「優しい」と同じような言葉の逆転がある。
明日には背なかを向けているけれど、どうにか今、立っている状態。
手放しで「生きるのってすばらしいね!」と賛歌するような曲にはない、「きょうも、なんとか夜を越えられた」といった生きることへの生々しい感慨があるような気がする。
ぜんぶ妄想だけれども、というようなことを聴くたびに感じたりぼんやり考えたりする。
とても好きな曲。
あと、とるてさんの投稿曲を見ると重音テトだらけで、重音テト愛がすさまじい。「これは信用できますなぁ」という謎の評論家おじさん気分になる。