【ヒプマイ】ダイスと乙統女さんの未来の想像
この記事は月刊R.I.S20xx年4月号に寄稿された文章です。作者の原文ママ記載されているため、一部正しくない用語が使用されています。
ダイスの手記
母親が尼になったやつってこの世にどのくらいいるんだろうな。お前の母ちゃんはどうだ? 俺の母親はいま、中王から500キロ離れた山奥で尼僧をやっている。
ん、子どもがいると尼にはなれないって? だとしたら俺はあのクソババアの子どもじゃないっていう、体をはったギャグかもしれねえな。二度も親に捨てられるとは、我ながら泣けてくるぜ。
一度目、あのときの俺はまだ赤ん坊で、記憶もあまりない。有栖川家の古臭い引き戸がしまると、だだっ広い玄関はひんやりとした暗がりになり、俺はいつもそこに座り込んでいたらしい。いつかあの母親が戻ってくるって思ってたんだろうな。馬鹿らしい。他人に救いを求めてただじっとしてるなんて、阿呆のすることだよな。義務教育をなんとか終えて、それに気がついた俺はばあちゃんの反対をおしきり、家を出た。
そのあとはまあ、うん。言の葉党とディビジョンバトルのてんまつを見届けたあんたらなら知ってるだろう。ギャンブルで金を稼ぎながら、いろいろな場所を転々として、いろいろな世界を見た。上流階級の世界はもうこりごりだったんだ。だからその逆を見たかったのかって? ちげーよ、気がついたら素寒貧で公園に転がってただけだよ。いや、それもべつにいつもではねぇ。勝つ日もあったさ。んで、気がついたら飴村乱数に誘われてディビジョンバトルに参加して、実の母親である東方天乙統女を内閣総理大臣の座から引きづり下ろしたってわけだ。
世界は変わったのか。正直いうとどうでもいいんだ。なんてな。東方天と有栖川の間に生まれた俺にはそんなこと言う権利なんてないのかもしれない。責任を持って、この国を変えていかなければならないのかもしれない。ま、それもひとつの責任の持ち方だよな。でもさ、もうひとつやり方があると思うんだ。
金輪際、政には関わらない。資産も残さず、子孫も残さず、すべてを俺で終わらせるっていうのも、ひとつの責任の取り方だと思わねえか? ははっ、思わねえか。逃げてるようにみえちまうか。そうかもな。でも俺はそうするつもりだ。父親も母親も、祖父も祖母もこの国をめちゃくちゃにしてきた。国民には嫌われてる。知ってるよ。俺にはそのすべてを受け止める度量はねえ。
それにしてもすごい山道だな。中王から新幹線で2時間半。その駅からローカル線やバスを乗り継いで、1時間。バス停から山道を歩いてもう軽く1時間は経っている。最近出所した父親から、母に渡すように託された荷物が肩に食い込む。車がなんとか通れるくらいの畑道から山に向かって伸びた隠れ通路のような石段を果てしなく登る。100段くらいまでは数えていたけれど、それももうだいぶ前のことだ。汗がひたいから滝のように溢れ出たころ、ようやくその古びた寺の屋根が見えてくる。
「久しぶりですねえ、ダイス。まっていましたよ」
涼しげにそう言い放った女は、正真正銘、俺の母親だった。正直にいうと、尼になった母にこれが会うのは初めてで、俺はびびっていた。どんな風に母が変わってしまったのか、想像もつかなかったからだ。だけどまあ、目の前に立たれたら、拍子抜けしてしまった。ディビジョンバトルのあのころと、なにも変わっていなかったからだ。
「……おう、あいかわらず、元気そうだな。変わりなさそうで」
呆れたように言ってやってつもりだったが、相変わらず母は静かな水面のように、揺れもせず立っているだけだった。
「いえ、そうでもありません。結構変わりましたよ。ほら、髪もこの通り」
自らの手でふわりと髪を肩の上でそよがせる。たしかに、あのころは足まであった長い髪は肩の上で切りそろえられていた。
「いや、尼ってそれでいいのかよ? なんかこう、全部剃るもんじゃねえの?」
「おや、知りませんかダイス。こういうやり方もあるのです」
煙に巻かれたのだろうか。あいかわらず、よくわからない。それにしてもこの母親が神職につくとは、目の前に立たれた今になっても不思議で仕方がない。たとえば世の中が混沌とした時、御堂にこもって神に祈りを捧げているようなたまには思えない。てめえの足で駆け出して、殴り込むようなそんな人間だと思っていた。そんな気持ちが顔に出ていたのだろうか。この食えない母親は、またかすかに笑ったようだった。
(5月号へ続く)