弱っている人間はおもちゃじゃない

「ありがたいと思わなければいけないのかなあ」という負い目があって、今までなるべく気にしないようにしていたことがある。でも、多くのひとが同じような過ちをしているような気がして、我が振り直すためにもここに記そうと決めた。

以前、婚活本著者の仁科友里先生に取材をしたときに、がんばりすぎて自滅する女性の話を聞いた(これは著書『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』に詳しく記述されている)。

要は、自分の中の「彼女というのはこうあるべきだ」という像にとらわれて、滅私奉公のごとく男性の世話をする。しかし、よかれと思ってしたことも、男性にとっては重たいだけということもある。結果、あまり喜んでもらえずに逆ギレをするケースもある(この時点で滅私できてないけど)。

相手を見ているようで、まったく見ていないのだ。

男性にも同じことが言える。「男性はこうあるべきだ」という像にとらわれて、女性が遠慮するにもかかわらずおごり続けて鬱陶しがられるひともいる。もしくは、まったく脈がないのに押せ押せで、女性が「私のこと全然見てくれてないのね(見てたら脈なしとわかるでしょ)」とさらに嫌われる不憫なひとがいる。

「しんどいなあ」と心身ともに疲弊しているとき、身近な人たちの優しさに感謝すると同時に、重たくて押し付けがましいひとたちに辟易とすることも多々ある。ちょっと疲れたなあと荷物を降ろしているそばから、新しい重たい荷物を乗せてこられるひとの気持ちがわからないのだろうか。

見栄っ張りで格好つけだったせいか、つい強がってしまうことが多い。その度に「もっと弱みを見せてよ」と憤慨されることがよくあった。

「心配してくれて嫌だなんて嬉しい悲鳴よ」と割り切るべきだろうか。しかし、「自分の前では弱くなれ」と囁いてくるひとたちの暴力的な優しさを、私はどうしても受け入れられない。

いい歳した大人なのだから、頼るべきときは頼るし、頼る相手だって選ぶ。

「あの人が私のことを頼ってくれない」というとき、あなたは果たして相手のことを本当に心配しているのだろうか。ただ単純に、頼られる自分という存在価値を得たいだけなんじゃないだろうか。

そんな自分のことしか頭になく、粗末な愛情を押し付けてくる人間に、誰が勇気を出して弱みをさらけ出したいと思うのだろうか。


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