2ヶ月越しのブーメラン

最近、色々とつらいことが重なり、だいぶしんどい気分を募らせていた。季節も季節で、低気圧のせいか頭も痛いし、食欲もわかない。そんなとき、ふと、数年前に祖父を亡くしたときのことを思い出した。

別れというのは、本当に突然で。思いがけない別離に、私ははなはだ不能になり、大学もバイトもしばらく行くことができなかった。行ったところで、所構わず涙が止まらないのだ。朝泣きながら起きて、夜泣きながら寝る。大げさではなく、もはや何が悲しいのかわからないままに、涙が止まらない日々を過ごした。同居していて、身内の中でも特に可愛がられていたというのも一因だったろう。

しかし、それだけ辛い思いをしながらも、心のどこかで、「これ以上に苦しむことは金輪際もう無いのではなかろうか」と、何やら安堵している自分もいた。初めて、死の恐怖までも軽減した瞬間だった。

しかし、人というのはずいぶんと都合よくできているもので(そうでもしなければマトモに生きていけないのかもしれないけど)、どんなに大怪我をしても、生きていこうとする限りは嫌でも血は止まり、傷は癒え、心の中に収まりがついてくる。

そして、人はまた不用意に転んだり、誰かに押されては、新しい傷を作り、流れる血に動揺する。

「結局私はこの苦しみに、いつまでもメソメソしたりどんよりする自分から逃れられないのか」と凹んでいた。……なんて空模様同様にどんよりとしつつ、ふと過去の自分の記事を読んでいて、あ、となる。

「むしろ、無駄に傷つき涙を流す日を増やさないためには、全て忘れてしまう傲慢さこそ必要だと思うのだ。つまりは、されたことも水に流してしまう強さ。嫌な思い出にすがり悲劇のヒロインである自分に執着しない強さ。それこそが、私が幸せでいるための方法だと。」(https://note.mu/nanaso/n/neaf3c72b87c6)

ずいぶんと偉そうなことを、言っていた。

しかし、忘れることこそ幸せ、確かにそうだ。かつて、癒えた傷を見ながら私も確かにそう思っていたはずなのに、止血するのに必死ですっかりと忘れていたようだ。むしろ、不幸であるための思考停止に走っていた。

別離の苦しみを忘れることを、“再び訪れうる不幸”だと思うか、それとも、“この不透明な世界で唯一わかる幸福”だと思うか、それこそが認知であり、その人のもつ強さの尺度なのだ。

思考の癖というのは直りづらく、ともすればものすごいスピードで元に戻ろうとしてしまう。慌てて引き止める。水をつけて、伸ばして、歪みを直すのにどれくらいの時間がかかるだろう。それでも、変わろうとする自分や、発展していく関係にこそ幸福を見出したい。

いつも偉そうなことばかり言って、“口だけ野郎”になりやすい自分。しかし、自分自分自分…と思考が堂々巡りしやすい私を、我に返らせてくれるのは、常に冷静で気持ちのわかる第三者(過去の私)の声だ。

口だけ野郎の過去の私も、役に立つなら悪くはないなあ。

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