“ファイナルアンサー?”に答えるということ。

婚活婚活と言われると、どうしてもげんなりとしてしまうし、「結婚することこそが至上の幸せだ」とも思わない。ただ、既婚者や子持ちの人たちのもつ、独特の強さや醸し出す雰囲気というのは、正直看過できないところもある。要は、「ただこの一人」と決断した姿だ(浮気者をのぞく)。これはもちろん、結婚だけの話ではなくて、仕事でも住む場所でもなんでもいい。「ただこのひとつ」と自ら答えをひとつに絞ることができるひとの格好よさというのがある。

昔から、熱しやすく冷めやすいタイプだった。日本が四季のある国でよかったなあ、ということも度々(今でもよく)思う。飽きっぽくて、ミーハーで、浮気者だ。自分ほど信用ならないものはないし、だから逆に「好きだ」という言葉を軽々しく使えない節もある(使ってるけど)。

要は、「今よりもっといい現実があるんじゃないか?」という可能性を捨てきれない。

以前、友人と一緒に同じゲームを始めた。友人は、とても頭がよく、本当の意味でスマートで、仕事もよくできる子だった。

ゲームは、自分のアバターを育てるという内容だったのだけど、彼女は始めるや否や、まったく手持ち金のない状態で、「この服が欲しい」と一番高い服を選び、ただそのためにお金を貯め、次の日にはその服を買っていた。彼女がまっすぐと欲しい服のためにお金を貯めていたとき、私はお金が少し貯まってはいたずらに小物を買い、へんてこな格好のまま貧乏になっていた。

“欲しいもの”がわかっているひとは強い。もっと言えば、そのために一心に努力する勇気をもっているひとが強い。

ゲームの話でいえば、彼女は「もっといい服が現れるかもしれない」なんて不安を微塵ももたずに、気に入った服のために黙々とつまらない資金作りに励んでいた。私はといえば、「もっといい服が現れるかもしれない」という可能性を捨てきれずに、なんとなく資金を作っては、いたずらに浪費していた。

答えをひとつに絞るというのは、つまりは“ほかにありえた答え”を自ら消失していくということだ。「もっと素敵な恋人が現れるかもしれない」「もっと自分に合った仕事があるかもしれない」「海外であれば自分は成功するのかもしれない」……そういう可能性を自ら捨てていくということだ。

“可能性”はひとを慰める。しかし、同時に歩みをも止める。可能性は、天使であり悪魔だ。

そもそも現実は、常に自らの選択で少しずつ可能性を削り取られている。その決断が大きいか小さいか、ただその程度の話なのだ。

どうせやるなら思い切りやろうと、自らを奮い立たせるのもありだ。もしかしたら勇気さえあれば、根性なしの“飽き性”からも解放されるのかもしれない。

ぼんやりとした可能性を捨て、自ら現実を選択していく。少なくとも、私はそういう人たちを格好いいなと思うのだ。依然として、アバターはどんどんヘンテコな格好になっていくけど。


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