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2016年2月の記事一覧
一緒にいるだけで世界が広がるひと
ずいぶんと久しぶりに、映画「幸せのレシピ」を観た。最初に観たのはもう何年前だろう。母親と別の映画を観に行ったとき、上映前の予告で流れたのがきっかけだった。予告があまりにも面白そうだったので、「今度これ観に行こうね」と言おうと母親の方を向いたら、泣いていた。予告で、泣く。
おおまかなあらすじはこうだ。キャサリン・ゼタ=ジョーンズが演じる主人公、ケイトはマンハッタンのレストラン「ブリーカー22」で料
賞も罰もいらないから。
『幸せになる勇気』を買った。前作『嫌われる勇気』は、国内のみならず中国でもミリオンだと知って驚いた。前作が出た当初は、中島義道『ひとを〈嫌う〉ということ』が好きだったので「既出じゃない?」なんて馬鹿にしていたものの、著者が古賀さんだと知って、ためしにと読んでみたら、いやあ、面白かった。知った風な口をきいていた自分が一瞬で恥ずかしくなった。
正直なところ、そこに書かれている内容は、とても厳しい。し
そう考えると花粉症による鼻水もアートなのか(違う?)
お笑いが好きだ。アートが好きだ。漫画が好きだ。小説を読むことが好きだ。食事よりも間食の方が好きだ。誰とも会わないのに化粧を丁寧にしこんだりする時間が好きだ。「無駄こそ全てだ」と思っていた。人生において、「あってもなくてもいいもの」こそが私を悦ばせるのだ、と。
今日は、丸の内ビルで行われたアートイベント「AMIT2016」へ。〈都市〉〈テクノロジー〉〈アート〉の可能性について考察するワンデイ・イベ
毎日こまめに埃をとる
ひとり暮らしを始めよう、と決めたのは去年の夏。理由はとうに忘れたけど、たぶん「ちょっとひとりになってみたかった」程度のことだった。社会人としての1年が過ぎ、少し財力もできていた。
さて、何を持っていこう。流石に全部の荷物を持っていくなんてことはできないから、「必要なものリスト」に箇条書きをしてみた。書籍、ぬいぐるみ、洋服……みっつめにして手が止まった。さすがに少なすぎる、と戸惑いつつ、どうも私に
自意識は万病のもと。
今朝、家を出る間際、テレビに出演していた俳優の塩見三省が「病気になってからは自分のことばかり考えてしまって」と言っていて、その言葉がなんとなくずっと耳に残っていた。その後すぐに消して出てしまったから、それをいい意味で言ったのか悪い意味で言ったのかは分からないのだけど。
本日公開された2本の記事、おかげさまでたくさんのひとによんでもらえている(らしい)。
「ヤラれ女になるな! 婚活成功の決め手は
納得がいっているわけではないけども。
自分のことを未熟だ、と思わせてくれるひとが周りにいるというのは、貴重だ。彼らは決しておしつけない。しかし、その行動を見れば、自分とはまるで次元の違う場所で思考していることがわかる。慌てて、調子に乗りそうだった口をかたく閉じる。
「私には向いていないような気がする」と言っていた編集業を勉強し始めて、半年。お金をもらいながら勉強をするなんておこがましいけど、幸い周囲で教えてくれる編集者に恵まれて、私
私ばっかり好きみたいで悔しいけど
よくも悪くも、自分に最大のインパクトを与えるのは、人だ。なんだかちょっと悔しくて、どこか認めたくなくて、今まで何かしら別の要因を見つけようとしていたけど、無駄だった。
本や漫画を読むのは好きだけど、その向こうにあるのは誰かとの「あのキャラクターのこのシーンが…」と語るときの共感。美術館で絵を見るのは好きだけど、その向こうにあるのはどうしてもひとは孤独になりきれないという希望。
そして、そんなコ
美味しいものを食べて「うまー」しか言えない自分
ただいま取材記事を執筆中。ちょっと休憩。
昔、原稿を編集の方に赤入れしてもらったとき、「中身のないものを作っても仕方がないのだよ」とお叱りをうけた。「われながらいい出来だぜ」なんて思っていたせいで、真っ赤になって返ってきた原稿にギョッとした。当時の私にとって、取材記事というのは、相手が話した言葉をそっくりそのまま世間に投げるものだと思っていた。自分が編集する余地などは考えていなかったし、たちの悪
たった一部、されど一部
風邪をひくと途端にこの世の終わりのように体が重たくなるし、誰か1人との関係がうまくいかないだけであらゆることに支障をきたすし、通信制限がかかったiPhone1台のせいで仕事の速度ががくんと下がる。
早く来月になってくれ。
綺麗なままの思い出も考えもの
誰しも、ずっと、忘れられない存在というのはあるものだろう。
よく恋愛論で、女は上書き保存、男は別名で保存…などという。それが当たっているかどうかは別として、上書きをするには、それだけの強度が必要だ。黒地のキャンバスに白の絵の具を塗っても、粘度が低ければ黒い色がぼんやりとにじみ出てしまって、いつまでも忘れることを許されない。
そんな存在がいる、というのは、はたして幸せなことだろうか。忘れたくても
馬鹿な自分を相手にしない
ずいぶんと昔「蓮コラ」などというものが周囲で流行った。私はこういうグロテスクな類が嫌いで、一度誤って見てしまった日は、もう1日中その光景が脳内をぐるぐるとして気分もゲッソリとしたものだった。
今月から、いくつか新しい企画に携わらせていただいて、わりとぐるぐるとめまぐるしい日が数日続いた。環境の変化というのは、ある程度心に負荷がかかるもので、睡眠不足もあいまって、どうやら心身ともにすこし疲弊してい
お風呂とサウナにあるテレビは至高
実家のお風呂にテレビが導入されていた。昨年末録画したガキ使を見つつ、本を読んだりお茶を飲んだりしていたら、あっという間に1時間。軽くのぼせながらも、一気に、今日という日が満ち足りた気分だ。
上質な暮らし、というものを考える。いわゆる「暮らしの手帖」的な(読んだことないけど)。サードウェーブなんて言葉も流行った。丁寧な生活。
なんとなく、私にとって上質な暮らしというのは、「余白の部分」をピカピカ