車の助手席について
ついこないだ助手席にてモンブランを食すためシートベルトを外しモンブランを食べていたところ、警察に目をつけられ母親の免許に王手をかけてしまった。モンブラン片手に焦る私はさぞかし滑稽だろう。しかし警察は40km/hで走る車の助手席を良く見れるものである。モンブランは美味かった。
話は変わるがまず車をイメージして欲しい。車は4人乗りの軽でも、8人乗りのワゴンでもいい。少なくとも4人乗り以上の車をイメージして欲しい。
運転手が運転席に乗り込みさぁ貴方が乗り込む番だ、となった時貴方はどこに乗り込むだろうか。
十人十色の回答があり色々な答えがあるだろう。ここで後ろの真ん中を選んだアナタは羊タイプ!みたいなネットの胡散臭い占いモドキのことをするつもりではない。と言うかそういうのあるのだろうか、あったら寧ろ教えて欲しい。
私は迷うこと無く助手席を選ぶ。何故か、これが分からない。何か助手席に座りたがる心理があるのだろうか、私は車酔いはした事がないし乗り物酔いすらしたことがない。だから前でないとダメな理由もないし、ジェットコースターは前の方が怖いというしそもそも車にスリルを求めてはいない、安全運転で頼みます。
確か事は私が幼稚園児か小学生の時まで遡る。まだまだおチビだった私をまだ酒乱で暴力を振るう前の父親が膝に乗せて助手席に座らしてくれたのだ。それまでチャイルドシートで両親の後頭部と無機質にそびえ立つシートの背面しか見てなかった私にとって前の席はまるで異世界であった。当時は備え付けだった喋って動く迷路みたいなテレビ、見たことない文字があるレバー、公園のアリの顔みたいな運転席、そして絶え間なく動く前の景色。
その景色と情報は私を虜にした。子どもにとって車移動とは動きを制限され両親も運転に集中して構ってくれぬ退屈で苦痛な時間であった。私はあまり文句を言わない子供ではあったがやはりおもしろくないものではあった。それを一気に変えてくれたのが助手席からの景色だった。
それから私は助手席に載せて欲しいとせがんだ。私は小さい頃から変に悟ったおもしろくない子供だったのでものをねだったりワガママを言うことは大変珍しかった。ウルトラマンの人形や仮面ライダーのベルト、最新ゲームよりも助手席の景色が私にとっては価値のあるものだったのだ。
ただ現実はそうはいかない。変に落ち着いてるとはいえまだ子供も子供、好奇心で運転中にイタズラでもすれば事故は免れないしもし急ブレーキしよう物なら前に突っ込んで転げ回る。なんなら1回急ブレーキですっ飛んで母の肝を冷やした。だから中々乗せて貰えなかった。
ただいつものようにねだるから根負けした母が1度だけ助手席に載せてくれたのだ。あの未知なる世界に乗せてもらえる。まだ見ぬ世界へと脚を踏み出すがごとくワクワクして高すぎる車高にしがみつきながら椅子をよじ登って座った。
いつもより大きく聞こえる「いーてぃーしーナンタラ」、タッチすると動く矢印のテレビ、押すとチカチカする赤三角のボタン…私は狂喜乱舞した。
然しその帰り道、うっかり母が急ブレーキをし私はすっ飛んだ。シートベルトの左肩から袈裟斬りの様にかける部分、そこが身長が足りなくシートベルトの間から頭を出すようにしかシートベルトができなかった。だから急ブレーキした時すっぽ抜けてしまった。
母は大きく取り乱した。私は気にしていなかったし寧ろ大冒険の最中にいるつもりでいたから大いに喜んだ、が母はそうはいかない。母はもう暫く助手席には乗せないと言った。当時は納得出来なかったが今思えばそれだけ反省し私を大切に思ってくれたのだろう。だが幼い私は「母の気まぐれで禁止された、私を怒らせて楽しんでるんだ」としか思えなかった。
私は大いに不貞腐れた。まるでおやつをすんでのところで取り上げられたかのように不貞腐れた。先程書いた通り私はあまり駄々をこねず、おやつを取り上げられても怒らない子供だった為母は私が何処か子供らしいところを見せて少し安心したらしい。
だから母はこう言った
「シートベルトができるくらいお兄さんになったらね」
幼い私はそれを聞いてどうにか不貞腐れるのを辞めたらしい。なんと単純な。然し子供にとっては甘美な響きである。お兄さんになったら解禁される。私はそれが楽しみでずっと待ち続けた。
そして数年経ったある日モンブランを食いながらふと思ったのだ。何故いつも私は助手席に乗るのだろうか。