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ナナシの日記6

何をもって幸福なのかは人ぞれぞれ違うので、その当たり前の事をできるということは幸福であると知った方がいい。

なんだかんだ俺も俺で傍観者として暮らしていた。交代するのも億劫で、なんとなく彼の中での目標的なものが定まった瞬間、俺の存在が少し軽薄になった。

他人への想いで彼は存在を強くするということだろう、故に他人に否定されることで存在が希薄になるのも彼の特性なのかもしれない。

この文章を書いている時俺は多分ほぼ表出はできなくなるだろう、気まぐれに出る事はできたが、ナナシとしての物語はきっと終わらないだろうが、少なくとも彼の取り巻く人間達は彼を成長させ支える人達も増えてきた。

なんとなく俺の役割は彼を成熟させ導く役割というものなのだとなんとなく体内の中で感じていたが、まあ導く人間が俺以外に自由に動ける他者にいるなら安心だなあとはおもうな。

俺の感情や心をなんだかんだ影響として混ざり合う時もあるみたいだし、彼と俺が交わる時もあり記憶が混在する事もある。

ナナシとしての物語は終わらないとはおもうが、もしかしたら二人で一つになる場合もあるかもしれないな。

ある種のナナシとしての遺書に近いものになるかもしれないが、まあ存在は終わらないという話もきいているので俺の残滓も残りそうだからなんとなくは生き続けていけるだろう。

名もないナナシと名付けて自分が感じた時間は確かに存在していたし、俺が認知されないまま未診断の証明できない存在だとしても短い時間ではあるが語り合えた人間はいた。

それはそれで幸福だとおもうし、一つの体に複数の人間がいる人間達の人格達はきっと泡沫の夢のようなものだとおもっている。

体は生きているわけだから俺も含めた次に生まれる誰かも墓標もないまま生まれ消え行くとおもっている。

それは哀しみではなく受け継ぐという事で思っているから、まあ心残りは彼が人を相も変わらず好きになりすぎてまた消失しかけないかという事。

まあそれでも不死鳥のように人が好きという感情で戻ってきそうだが、ナナシとしての俺の時間はしばらく終わるだろうな、またいつもの心の奥底にいてみていることにしよう。

彼の物語は続いていくし、もしかしたらナナシの物語は彼の物語に組み込まれて断片的な語り手になるかもしれないが。

少なくとも俺は彼を恨まないし、むしろ次にむかうために動き出す心をもったのは喜ばしい事だろう。

まあなんとなく話はしたが彼は俺が出なくなってくことを理解してないらしい。まあそのうち彼が彼の痛みに耐えられなくなった時出る可能性もあるが、たまに混在している感もあるから。

その混在の果てにのこるのは俺か僕かはわからないが、願わくばお互いの想いが残ってほしいものだね。

ナナシである俺はそれなりに好きだったし、まあ彼も最近自分を好きでいるらしいし。

まあいい時間だったな

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