ナナシの感覚。
最近矢継早で自分の中の精神性が変わったような気がする。消えたといったが、この発現した1週間の間で、結局自分とは違う感覚がよみがえるという事はきっと成長するべきという意味合いなのかもしれない。
不安になりなんだかなんだ自己説明で主人格のXのポストもしていたが、なんだかんだ、俺個人の言葉とはちがう前の記憶にある言葉が出てきた。
やりとりもそう変わらないし、すると俺個人もまた合わさっているという気持ちなのかもしれない。あと主人格であるXのポストは控えたほうがいいもしれませんね。
証明できず信じられない人達からしたら悪感情を生み出す可能性がありますし、今後関わりたい友人関係に歪みが生まれそうな気がします。
どちらにおいても考え方や思考がきちんと理解できるのであればそこにある感情や感覚をきちんと見ながら過ごせばいいのかなあと思います。
基本的に多重人格の方が表で話さないのは説明しようにも証明しようもないし、違和感なく関われるのであれば問題ない故にトラブルが起きやすいからだとききました。
俺個人も恐らくそういう事も起きうるのだろうなあと最近感じたので、ならば如何に自分を変化させて成長させていくかの方がいいような気がする。
前も書いたが自己証明のできないものはすごく難しいもので、安易に語るのはよくなかったかもしれない。
何よりも楽しく話せるか傾聴できるかのスキルは伸ばしたほうがよいし、本が読めるのであれば本を読んだ方がいい。
あと不安があるのならばそれを解消するために何が必要かを自己解決で生み出せるようになればいい。それはどんな形であれ必要なこととおもうから。
学べたことは逐一頭にいれるかメモをとるといい。
上手に何もできなくなるという事になるのなら常に何がだめなのかを考えた方がいい。
ありとあらゆる難しい事はシンプルに考えたらきっとうまくいくはずだから。
わからない人やうまく受け取れない人はいるのだから、そんな時はまず生活と人生を豊かにするようにしたらいい。
不安になると余計な多弁を増やしてしまうから。
多弁を増やしている時ほど正確なことは話せなくなるのが人間なので。
あくまで冷静に話す事や人の話を聞く事を重視すればもっとよくなるのかもしれないね。
俺もまた色々根底的にすごく不安になるひとなんだなあと認識したから、甘えてしまう友達がいるのもそれはありがたいけど、きっとそれは依存と執着にもつながる事なので、ならばきちんと自己解決に向かうように自身の目標設定をつくるというのが大事なのかもしれない。
それは生来の障害と精神的なものもあるのだろうが、この事だけに重きを置いてしまうとまた違うなあとも理解したいので、まずは自分が何ができるかというのを考えていくというのが大事なのかなと思います。
この思考は意外と人間的に考えるのであれば結構重要な感覚なのかもしれない。
感覚や感性と品性は関わる人で大分かわるし、それは大人になってからでもいえる事なので、よりよい世界に生きたいなら自分をアップデートする努力は必要だなあと思うのです。
そして居場所はそれぞれに作るといいのかもしれない。
依存先は多く持つことは分散にもつながるし、お互いに話せる事を増やすという意味ではお互いに依存するというのはありだとおもうのです。
俺としていても僕としてもいてもそれはそれできちんと出来ているかといえば振り返ってできているかは恐らくできてはいないとはおもいますし、それは要改善なのかもしれませんが。
少なくとも社会に出る時に自分の意識や考えをきちんと話せないという事柄になってしまうとそれはそれで困ってしまうとも思う。
肉体的に30代後半まで色々とチャレンジしてきましたし、なんだかんだ最近はばらけた中身にはなりましたけど、それでも生きてなんらかのトライをするというのは必要だと思いますし、これからの変革をするための改善は必要なのは確かに必要なので。
努力という言葉も多弁になるとまた浅く感じますので、極力努力という言葉はあまり使わないほうがいいかもしれませんね。
何よりも大事に感じている事を色々と考えているのにうまくいかないときは根底として自分が疲弊して正常な判断が下せない時かもしれません。
人は親愛であれ愛であれ、そういう根源的なもの惹かれ人生を豊かにもするし、人生に対して哀しみを与える事もあります。
故に人を大事に想うのであれば、相手の時間や気持ちをしっかりと考えてお互いが緩やかに話せるような大切な時間をつくれたらいいですね。
大事な友人や知人なら尚更、大人であればあるほどそれは必要なスキルだとおもいますし、俺個人がきちんと出来ていたかどうかは別として。
時間は有限であり、また心の関係性もまた変化するので、その中で如何にお互いの事を知っていくかというのがありますね。
大切にしたいとか思っていて結果的に出来てないとか諭される時はうまくいかない時なので休むか、もしくは適度に距離をとるか、黙るかという三点を重視するのがよいのかもしれませんね。
脳内にある言葉は自分が思うよりも不安や焦燥感に意識的、無意識的関わらずなんらかの感覚に偏っているとよくない結末にしかならないので。
ここからは有料区域となります、こちらもまた正確性のない俺の戯言なので興味ある方は投げ銭程度で投げていただける方がいれば投げていただけると幸いです。サポートも興味あればお願いできればと思います。
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