「甘えるな」と言ってはいけないのか?

こんにちは。

突然ですが、発達障害者を支援する側の人なら、一度は呑み込んだことがあると思います。「甘えるな」という言葉。

わたしも散々飲み込んできました。

この「甘え」という言葉がタブー視されたのはいつからでしょうか。

かつては「うつ病は甘え」という言葉があり、現在は否定されています。

同様に、発達障害もまた、脳の発達や特性によって生じるものであって、「甘え」ではない。そんなことを言ってはいけない。
…というのが昨今の常識です。

そこには同意します。
発達障害は症状であり、そこから生じる「コミュニケーションの苦手さ」「不注意」などといった事柄は本人ではコントロールできず、本人が悪いわけでもありません。勿論、甘えでも。

じゃあ、発達障害者が起こす何もかもは甘えではないのか?
叱ってはいけないのか?
これに意を唱えたいというのが今回の主張です。

結論から言います。
「甘え」は存在します。

今まで、「でも、発達障害だから…」とグッと堪え、耐えてきた支援者さん(特に身内に該当者がいる方)に伝えたい。

何も言えないのって、しんどいですよね。

だいぶ溜め込んでますよね。

「誰も悪くないんだから」と堪えてこられましたよね。

𠮟っていいんです。

発達障害があるから、何も悪くない、ではないんです。

少なくとも私はそう思っています。

ただし、大事なのは、「甘え」と「甘えじゃないか」を区別することです。

例えば、
「ADHDで忘れ物が多く、何度言っても忘れ物をしてしまう」
ありがちな光景ですね。
これは特性によるもので本人でコントロールできないことであるため、甘えではありません。

が、これはどうでしょう?
「ADHDで忘れ物が多いので、家族と前日に必要なものを確認してまとめておいたが、余計なことをするなと拒絶し、結果、大事なものを忘れてしまいイライラして家族に八つ当たりをする」
勿論年齢にもよりますが、特に青年期以降でこれは「甘え」だと私は思います。

具体的に見ていきましょう。

ADHDで忘れ物が多いので、家族と前日に必要なものを確認してまとめておいたが、余計なことをするなと拒絶し、結果、大事なものを忘れてしまいイライラして家族に八つ当たりをする」
これは発達障害の特性によるもので、本人でコントロールができないので、甘えではありません。ここは叱ってはいけません。

「ADHDで忘れ物が多いので、家族と前日に必要なものを確認してまとめておくルールにしたが、自分でやるから放っておいてと拒絶し、結果、大事なものを忘れてしまいイライラして家族に八つ当たりをする
ポイントはここです。

・周囲の人が環境を整えるなどでき得るサポートをしている(事前確認)
にも拘わらず、

・自分の能力を過信(自分で忘れずできるという自己モニタリングの齟齬)
・非のない相手を責め立てる(八つ当たり)

これは「甘え」だと思っています。

わたしならこう言います。
「家族はあなたのサンドバッグではない。
感情をぶつけるのはやめてほしい。
ましてや今回はあなたが支援を拒絶した。
こちらは求められたら手助けをする手段を用意していた。
それを拒絶し自分でやると判断したのはあなた。
それで周りに八つ当たりするのは甘えすぎている」


「甘え」は禁句ではありません。

非常にデリケートな言葉であり、無暗に乱用していい言葉ではありませんが、決してタブーではないのだと、わたしはそう思います。






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