「その話題、違くない?」と感じる話題
こんにちは。りさです。普段はINFP・HSP傾向のある自分について書いていますが、今回は趣向を変えて、最近思ったことについて書きます。
テーマは、雑談中に感じる、「その話題、なんか違う…」という感覚になる話題についてです。早速見てみましょう~。
1.血液型で性格診断
いわゆる、A型はこういう性格で、B型はこういう性格…といったやつですね。もちろん皆さん学術的根拠はないことを知っていると思います。
しかし、そこまで打ち解けていない方の雑談にたまに出てくると、だいたい年代が分かります。この内容が研究され始めたのは100年ほど前、流行ったのは、50年前からということで、最近では2008年に『〇型自分の取扱説明書』が出版されて話題となったので、そのくらいの世代ということが分かります。
血液型と性格との相関性は科学的に証明されていないので、「〇型は〇のような性格」ということは言えません(ただ、関連性が全くないことは証明されていないので、検討の余地があるのかもしれません)し、個人的にはこの考え方をあまり支持しません。
なので、この話題が雑談で上がってくると「?」と思います。その内容をきっかけに人柄について話したいだけなのだと思うので、こうやって目くじら立ててそれについて書く私の方がどうなのかというところです。不思議なことに、こういったきっかけがないと、雑談にその人の性格や人柄について話せないような雰囲気もあったりします。そういった話題が私の周りの人は苦手だったので、血液型性格を切り口にして話を進めようとしていただけなのかもしれません。
この血液型性格がなぜその世代でブームにすらなったのか、おもしろい論文がありましたので、興味がある方はご覧いただくといいと思います。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/35/2/35_234/_pdf/-char/ja
2.年齢や性別におけるライフスタイルについて
これは例えば、20代を過ぎたシングルに対して「彼氏は?彼女は?どんな人がタイプ?」とか、中年の主に女性に対して「旦那は?子どもは?家庭は?」と振られる話題のことです。
これは今やセクハラと言われたりもすると思います。
これを話し合う両者の間で「そのことについて話したい」の合意があればいいと思います。親密な関係にある人のことについて話したい、とか、家族のことについて話したい、とか、お互いに状況を知っていて、かつ話すことに抵抗がない場合はこの話題が出ても全く問題ありません。
私が気になるのは、これが、お互いがそこまで深い関係のない「雑談」で出てくる場合です。
ようやく、「個人は他人や社会が定義するもの」ではなくなってきて、年齢や性別のかつて典型例だと思われていたようなことは誰でも彼でも当てはまらないことが少しずつ浸透してきています。
その中で上記の話題は、「他人や社会の定義」を目の前の人に勝手に当てはめる行為だと思います。私はそれが好きではありません。
20代では異性のパートナーが必要。
女性は子どもを産み育て、家庭を円満にする。など
きっともう古い考え方だとは思います。
統計的な側面や心身の成長過程で上記のことが当てはまる場合もあります。ですが、当てはまらない場合もあります。その場合、上記の話題を振られると「当てはまらない場合」が考慮されなさ過ぎている感があります。
「いや、パートナー必要ないし」とか「子どもはいない」など、そういって受け手が「そうなんだ」と受け入れられたらそれでいいのですが、上記のようなプライバシーに触れておいて「パートナーはいた方がいいよ」とか「子どもがいるといいよ」という価値観の押し付けがあるとげんなりしてしまいます。
ですが実は、例えばこの話題を禁止したとして、人は何を話せばいいか分からなくなってしまうと思います。そうなんです、こういった話題は雑談の定型として受け入れられているから自然と出てきちゃうし、それ以外の話が出てこないのかなと推測します。つまり、この話題が出てくる場は、「定型文でしか話ができない」状況なのかなと思われます。
3.上記の内容は何に起因するか
A.会話力のなさ
会話がドへたくそな私がこれを言えるはずもないのですが、上記のような話題を出すときの人の心理の共通点があります。それは、
上記の『話題の典型例』がないと、会話ができない、ということです。
「(上記の話題は)いろんなところで聞くし、割と盛り上がるから雑談に取り入れよう」と思っている方々が使用する話題なのだと思います。
その場合、その話題の是非や良し悪しはあまり気にしません。雑談の間がもてばいいのですから。
ただ、私のような性格で、会話に安心と心の交流を求めるタイプでは、定型の話題にはどうも違和感を感じてしまう、ということなのです。
話題などどちらでも良くて、人と集まって楽しい時間を過ごしている(話題の内容ではなく、会話の音声のやり取りさえあればいい)という満足感が大切な方は、やっぱり私とはタイプが違うのだなぁと思います。
B.想像力のなさ(+マイクロアグレッション)
上記の内容はいずれも、
それが当てはまらなくて不快に感じる人、を考慮していない部分があります。
これは「当てはまらない人がいるかもしれない」という想像力の欠如かなと思います。
私も想像力が少なく、自分の周囲以外の事象への想像力が足りないとは思います。なので、「当てはまらなくて苦しい思いをしている」方には声を上げてほしいなと思います(そうすることでやっと私がその想像にアクセスできると思うので)し、私自身も「社会現象のこういうことで苦しい気持ちになる」ことを発していきたいと思います。
その想像力の欠如は、マイクロアグレッションに直結していると思います。
「当てはまらない人」を「存在しないもの」としてしまっているからです。
存在の否定はある種攻撃ではないかと思います。私も含め、無知であることを顧みなければならないと思います。
C.考え方が社会通念に縛られている状態
上記のBとも関係しますが、想像ができないというのは考え方がその人が生まれ育った当時の「社会通念」に縛られている影響が大きいと考えます。
性格の話をしたかったら血液型性格を使いましょう
20代ではパートナーがいるはずだ
女性は子どもを産み育てるものだ
上記の考え方が社会の多数派を担ってきたからこそ、「それが常識だ」と思ってしまう場合も多いかと思います。
そして、まだ「常識外」のことを知る術もなかった時代を生きた方々ですと、その考え方はより強固なのかもしれません。
それを「常識」と捉えて考え方を固定させてしまうのも人間の脳の働きですし、自然現象ではあるのでそういった方を責めるつもりもありません。
ですが、だからといって話題から見えるマイクロアグレッションは見過ごせないし、私の中の違和感はいつもあるなあということでこういう記事を書いてみました。
そして、ちょっと力づくの話かもしれませんが、占いってこの「常識」を排除して会話をしたい人が好むものなのではないかと思ったりします。通常の会話は、その個人を定義づける要素として年齢や性別、生活環境がある(話している当人たちにとっては無意識の範囲)と思いますが、占いでの会話は、その個人を定義づける要素を生年月日や血液型など『社会の常識』と関係ない部分に設定しているので、「常識」をベースにせずに人生のことを話せたりする側面があると考えられます。「常識」的な考え方に疲れてしまったり、「常識」をベースにして語られる論はもう聞き飽きたという方は、そういう方面を好むのではないかなと思ったりします。
おわりに。
私は、現代人は私も含め、実は大多数がまだまだコミュニケーション力がないと思っています。自分のこと、相手のことを理解しようという姿勢がないとコミュニケーションは成り立ちません。「理解しよう」という文化がまだまだない上に、どう理解したらいいかもわからない、という状況かもしれません。
今後はその部分がもっと明らかになって、個人とは何なのか、私はだれなのか、あなたはだれなのかを知っていく中で、違和感のある形式にとらわれない、人間が本来必要とするコミュニケーションが確立されていけばと願います。
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