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あの頃を、思い出す。

そう言えば、十数年前は今日みたいに、分刻み(というとちょっと大げさだけど)のスケジュールを軽やかに渡り歩いていたな〜、と思い出す。

当時は学校行って、合間に筋トレ・ジョギングして、バイトやって遊んで、すごく楽しんでいた。ちょっと過密スケジュールだったかもしれないけど苦しさはなくて、流れるように過ぎていった。

今日の感じは、それにとてもよく似ていた。

仕事が終わって、知り合いの高校生の英語レッスンをして、その後にオンラインの集まりのグループトークの呼びかけ人として参加した。つっかかりが全くなくて、流れるみたいだった。

「あの頃は良かった」って言うのは好きじゃない。いつだって今が最高だって言いたい。ただ、あの頃の流れるような感じはとても良かったと思っている。だから、今日はその流れを感じられてうれしかったのです。あの頃とは、また少しちがう自分で。

少しちがう自分という意味では、今日のグループトークではとても自然だったのと同時にたくさんの発見があった。一番は、まだまだ力不足だとわかったこと、どっしり構えている感が全然なかったよー苦笑、今の一人反省会では、自分の器量って全然開発されてないな!ということ。これじゃ自分の目標を達成できない…!と今割合はっきり思えている。怖かったけど、それがわかって本当に良かった。

拙い進行だったけど(話の振り方とか、雰囲気の作り方とか、グループ内の温度のバランスの取り方とか、やりきれなかった…!)、グループの皆さんが理解力、会話力、対応力がすごすぎて私が困って閉ざされることが全然なかったから、本当にただただ感謝でした。

もちろん私が全部する必要なくて、ほんの少しだけ自分のグループへの想いを添えるだけでいいんだよなと思ってはいるけれど、いろいろ観察して、自分ができることをしたくなってしまう強い癖が出るのは相変わらずなんだなというところです。この強い癖を納得いくまでやり遂げて、自然と解放できるときに、私はまたひとつ成長できるのかもしれない。

ここは今決着がつかない部分なのでぜひ読み飛ばしてほしいんですが、今日お話ししている中でいいなと感じたのは、権力の強弱や熱量の不均衡が強く起きなかったこと。進行役が求心力を持って周りを抑圧するみたいな関係性があまり好きではなくて。それで安定する場もあるんだろうけど、私が目指しているのはもっと違うところにあるんだろうと思ってる。一部の人だけすごく盛り上がるのもちょっと違うし、なるべく全体が均衡に調和してほしいと願う傾向が私にはあるのは自覚している。そこはもしかしたらちょっとこだわりが強いところなのかもしれないし、実は私がある種求心力を剥き出しにしてみたいと思っているから、それもやってみたいしでもダメなような気もするしやきもきしているのかもしれない…と、こんな分析に潜り込んでしまうのは繊細さんであるがゆえですね…。でもこういうことちょっと気になるとじゃれずにはいられないのです。しょうがないのです。笑っておこう。

今日みんなで話したテーマは、思い出に残っている音楽について。これがもちろん一人一人違うんだけど、みなさんのその曲と出会って感じたこと、想ったことのお話を聞いて、新しい世界が開けるようだった。私は上手にその感動を伝えることがその瞬間にできなかったけど、みなさんのひとつひとつのお話はまるできれいな色をしたカラフルなあめ玉みたいで、味わっていると今までに知らなかったおいしい味が口の中に広がっていくような感じだった。それを味わっているときの私って「おいしい、おいしい…!」としか言えなくなっちゃうんだよね…笑 こういうテーマでお話しできて、本当にいい時間だった。

さらにもっと言えば、自分が若い頃一人きりで抱えていた(いるつもりだった)自分の世界で絶対的な存在として崇めていた音楽を、やっと、そしてきっとはじめて、とてもフランクな気持ちで他者と共有してみて、それがとてもよかったんです。先日も書きましたが、私は自分が作った小さく狭く安全な箱庭にとにかくいたくて、その感覚を脅かすものは全て敵のように感じていた時期が長かったです。そのときその箱庭で絶対的な存在だったのが、その当時大好きだった音楽でした。だから、その音楽を人と共有するなんてできなかったんです。もしそれが否定されてしまったら?自分の望まない形での共有となってしまったら?相手の興味のない音楽を押し付けたくない…そんな不安感が強かったので、私はその音楽を自分の箱庭に大事に、大事に、大事すぎるくらいにしまっていました。怖い思いをしたくなかったので。実際それは、私にとってストレスだったんだと思います。そしてようやく、今はその共有にまつわる不安が減ったと感じていて、やっとその音楽のことを強く意識しすぎずに話せる、またそうすることで他の方の話も受け取ることができる、バランスの良い状態になってきたような気がします。まだまだ偏ってはいますが。

そんなわけで、自分と外部とのコミュニケーションに活路が見いだせそうな感じがしたのと、いろんな人の感性に触れてすごく充実したのと、私はこういう人たちや雰囲気の中でもっと自分を発揮していきたいし自分を使ってもらえるようになりたいと思った。まだまだよちよち歩きだけど…。

今日はとにかく感じたことをそのまま書いてみたけど、最近は自分の内部のことを深く書くときは敬語になるんだな〜って発見。その方が自分に浸りすぎないで、誰かに聞いてもらえるように外を意識してかけるからなんだろうなと。これってとってもおもしろい。

これからはこういったちょっと深掘り文も、もう少し読みやすいように書けたら良いな…と新しい目標も生まれました。今日のは浮かぶのをとにかく書いた感じで、前々回あたりの歯切れの良さがなかったな〜。それもいいとして、今日は寝たいと思います。おやすみなさい。

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