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いまいちど、アニメ・漫画における「日本らしさ」を考えたい

※個人の雑感です

日本のアニメ・漫画文化の位置とは?


アニメや漫画、ゲームといった日本のポップカルチャーは、今や国境を越え、世界中で親しまれる文化的な現象となっています。その一方で、それらがもはや「日本独自の文化」として語られることは少なくなり、むしろグローバルなポップカルチャーの一部として進化を遂げています。

韓国がウェブトーン漫画という新たなジャンルを確立し、アニメに匹敵する高品質な作品を生み出す一方で、中国は写実的で映像美を重視したアニメ作品を次々と送り出しています。

このような状況の中で、「日本らしさ」とは何かを改めて問い直す必要があります。

物語の日本的特色とは?

日本のアニメや漫画は、キャラクターの「萌え」や「可愛い」文化が注目されることが多いですが、それだけではこの文化の思想的な深さや歴史的な背景を十分に説明することはできません。

日本のアニメ・漫画の根幹にあるものは、単に表面的なスタイルや美学ではなく、それらが培ってきた物語性や哲学的探求にあるのではないでしょうか。 例えば、宮崎駿監督の作品は、美しいビジュアルやキャラクターだけでなく、自然との共生、人間のエゴとその代償といった深いテーマを描いています。また、手塚治虫が生み出した数々の作品には、生命の尊さや人間の倫理観を問う普遍的なメッセージが込められています。

これらは単に「楽しむ」ためのエンターテインメントではなく、人間とは何か、世界とは何かという哲学的な問いかけを含む作品として評価されてきました。

日本のアニメや漫画が持つ哲学的、思想的な深さは、歴史的な背景とも密接に関わっています。たとえば、日本の伝統的な物語文化は、アニメや漫画の根幹に影響を与えています。 江戸時代に流行した浮世絵は、視覚的に物語を伝える手法を発展させました。浮世絵には日常生活や歴史、神話が描かれ、その構図やデザインは後の漫画やアニメの基盤となっています。

これらのビジュアルストーリーテリングの手法が、現代の日本文化における「物語の視覚化」に通じています。

能や歌舞伎は、象徴的な動作や言葉で深い感情や物語を表現する伝統芸術です。これらの表現技法は、日本のアニメや漫画の演出やキャラクター作りにも受け継がれているように思われます。作品に奥行きを与える重要な要素となっています。

戦後日本は、敗戦という現実を受け入れつつ、未来への希望を模索する時代でした。この時期に手塚治虫が「鉄腕アトム」を生み出し、人間とロボットの共存というテーマを描いたことは象徴的です。戦後の日本人が抱えた倫理的な葛藤や未来への期待が、アニメや漫画の思想的なテーマに色濃く反映されています。

特に注目すべきは、日本のアニメや漫画における「ロボット観」です。多くの日本作品では、ロボットやAIは人間社会に友好的な存在として描かれています。手塚治虫の『鉄腕アトム』に始まり、『ドラえもん』に至るまで、日本のロボット文化には「科学技術は人類の友となる」というビジョンが見られます。

西洋の多くの作品が「ロボットの反乱」や「AIの危険性」をテーマにする一方で、日本の作品はロボットを「家族」や「パートナー」として捉えることが多いのです。

もちろん、日本の作品にもロボットやAIが反乱を起こすストーリーは存在します。しかし、それらの多くは単なる脅威ではなく、「人間のエゴ」や「技術の誤用」による悲劇として描かれます。たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』や『機動戦士ガンダム』では、技術を用いる人間の残虐さや代償を描きつつ、調和への問いを投げかけています


日本らしさとは?

韓国のウェブトーンや中国の高品質なアニメが台頭する中で、日本のアニメや漫画がグローバル市場で独自のポジションを維持するためには、「日本らしさ」を再定義する必要があります。

作品が持つ哲学的な深みをどう伝えるかが鍵となるでしょう。 また、現代の日本アニメや漫画が直面しているもう一つの課題は、「日本発の文化」がグローバルな文脈で再解釈される過程で、日本の文化的意図や背景が薄れてしまう危険性です。

「侍」や「忍者」といったテーマがエキゾチックなステレオタイプとして消費される一方で、その背後にある価値観が軽視されることを防ぐためには、文化の根幹を再評価し、発信する努力が求められます。

日本文化には、自然や調和、そして輪廻に基づく独自の哲学が根付いています。この哲学は、日本のアニメや漫画、ゲームにも色濃く反映されています。

自然調和

日本文化は、古くから自然との調和を重んじる価値観を育んできました。アニメ『もののけ姫』や『となりのトトロ』では、人間と自然の対立や共生が主要なテーマとして描かれています。これらの作品は、「自然は単なる資源ではなく、共に生きる存在である」というメッセージを伝えています。
しかし、都市化の進行はこうした自然との調和を軽視し続けてきました。環境問題を論じる際、破壊を擁護する側も、調和を信奉する側も、真に自然との調和を議論できていたでしょうか。

和と個人

日本の思想には、「和を以て貴しとなす」という価値観が深く根付いています。この価値観は、個人よりも集団や社会全体の調和を重視するものであり、アニメや漫画におけるキャラクター同士の協力や葛藤解決の物語に反映されています。しかし、昨今の作品では、個人の能力を限界まで引き出すという作品が多いように思われる。あるいは、個人にあまりにも多くの負担を強いる作品が多い。特にピッコマの韓国、日本作品はそれが顕著である。性別を問わず多くの作品が個人の力量にすべてをゆだねすぎてしまっている。それは現実社会の反映であると考えると、日本は個人に対する責任論があまりにも過度に強化されたのではないかと不安になる。

『進撃の巨人』におけるエレン・イェーガーに対する過度な責任と負担は、人類存続を破局させる要因となっていました。しかし、彼を阻止したのは、調和と共生でもありました。エレンは現代社会における我々を写す鏡であり、彼の仲間は我々が望んでいる調和なのです。

『鬼滅の刃』や『チェーンソーマン』は、考え方や思想は異なれど共通の物事に協力し、取り組み、時に逸脱者との共生を図ることで成功を収めようとするプロセスを描いています。これらの協力関係というものを我々は再考しなければならないのかもしれません。

輪廻転生

また、日本の宗教や哲学には輪廻転生の思想が見られます。これは、生と死が循環するという考え方であり、多くのアニメや漫画で「再生」や「転生」といったテーマが描かれる理由の一つです。たとえば、『千と千尋の神隠し』では、主人公の成長と浄化が描かれ、物語全体が輪廻的なテーマに彩られています。

現在、こうした死と再生は、単なる消費文化を満たすための物質として利用され続けており、今日の日本ではこれを深く考えることはしなくなったのではないでしょうか。

俗にいうなろう系は輪廻転生を肯定しますが、それはあくまでも前世あるいは現世への否定から始まる物語です。

これらの作品では、転生は主人公が過去の自分を乗り越える機会ではなく、単なる「舞台転換の手段」として扱われています。主人公はしばしば異世界で「チート能力」を得て、圧倒的な力で周囲を支配し、現実世界で叶えられなかった願望を満たします。この設定では、伝統的な輪廻転生における「業」や「浄化」といった哲学的な要素がほぼ欠如しています。

伝統的な輪廻転生の思想では、魂が過去の行いや他者との関係性の中で浄化されるプロセスが重要視されます。しかし、「なろう系」ではこうした倫理的・社会的な視点が欠けており、単に「現実では叶わなかった夢を実現する手段」として異世界転生が描かれることが多いのです。

これらの作品が若者を中心に支持される理由として、現実社会におけるストレスや自己実現の困難さが挙げられます。「親ガチャ」という概念が若者の間で叫ばれることは、こうしたなろう系がなぜ人気なのかを浮き彫りにしているように思えます。

その一方で、伝統的な物語が持つ哲学的な深みや教訓が失われつつあることへの懸念も強まります。

「なろう系」はそのシンプルさゆえに批判を受けやすいものの、これらの作品が「現実逃避」や「願望充足」のためだけのものとは限りません。中には、異世界での経験を通じて現実の自分を見つめ直す物語もあり、輪廻転生の哲学的テーマを新しい形で取り入れる可能性を秘めています。転生が単なる舞台装置ではなく、主人公の成長や浄化の手段として機能する物語が増えることで、輪廻転生というテーマの本来の価値が再評価されるでしょう。

まとめ

日本のアニメや漫画、ゲームが進化し、世界に浸透する中で、それらを「日本らしい文化」として再評価するには何が必要なのでしょうか。

それは、単に形やスタイルだけを守るのではなく、そこに込められた思想や歴史的な背景を正確に伝え、未来へ継承することです。

ロボットやAIが友好的に描かれる日本独自の視点は、現代社会における技術と人間性の在り方について重要な示唆を与えるでしょう。日本の歴史的、文化的な思想、自然調和や輪廻転生、和と個人主義への批判など、これら多くの「日本らしさ」を問いかけることもまたフィクション世界を構築していくうえで重要な要素となるでしょう。あるいはなろう系の人気の裏に秘められた現代社会の課題を哲学的教訓に昇華してこそ、物語といえるのではないでしょうか。

この視点を含め、日本独自の物語性や哲学を探求し続けることで、他国の文化とも調和しつつ、真の意味で「日本らしい」文化を築き上げることができるのではないでしょうか。


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七尾えるも
この度はチップをありがとうございました。