パイパイ仮面をただの俗歌と呼ばないでー自由と解放の哲学ー
お茶の間が凍り付く。
この文章を久々に聞いた筆者であったが、先日フジテレビのFSNでホロライブVTuber・宝鐘マリンさんが最近発表した新曲「パイパイ仮面でどうかしらん?」を披露した。
筆者はネット上で今のところ賛否両論を目撃しているが、一ファンとしては、ファンの皆さんに言いたいのは「パイパイ仮面を単なる流行歌やマリン船長のおふざけ」という認識でいてほしくないという点である。
実際問題、軽快なBGMと船長の妖艶なダンスによって隠されてしまうが、その歌詞はかなりドラマティックであり、かつ人々の自己実現や自由に対する渇望を表現しているのである。
なお、そう考えているのは私だけかもしれないので、この記事はあくまでも「個人の解釈と感想」であることをご承知おきください
1. 固定化された自己の変革
歌詞の冒頭
「苦い恋の果て 残された 出どころ不明の金の山 あいつの気配がするものは 未練ばかりで食えやしない」
これは、彼女が遭遇した失恋に対する痛みの後に、残されたものが描かれている。それはどこからともなく湧いて出てきた金(富の象徴)であった。しかし、彼氏が過去に残した物などからは、感情が残っているが、それが自分を満たしたり、前進させるうえで役に立たないという女性の気持ちを表現している。
かのようにみえるが、これを広く一般的に考察すると
過去や今までの人間関係が「自分というもの・自己」を形成している。しかし、それが自分にとっての幸福や人生にポジティブな影響を及ぼすわけではない。失敗をすれば、ネガティブな影響を与え、自己実現や自由を阻害するという心情
なのである。
だからこそ、「仮面」をつける。
「あたしは生きながら 化けてでる 鏡の前で早変わり」
この歌詞では、パイパイ仮面に変身することで生きることへのエネルギーや活路を見出そうとする様子が表現されている。
「自分とは何か?」という自己認識や再定義を行なうことで、新しい「自己」を確立しようと試みる人間を表現している。そのためには鏡の前で自己を見つめなおして、迅速かつ劇的な変革をするのだという決意が表明されている。
だが、「仮面をつける」という行為によって、自己の再認識に自信のない様子が挙げられる。Vtuberにしろ、顔を出さない配信者にしろ、こうした「仮面」を付けることで、自己認識に自信がなくとも、自己実現を行なえるのだとする心情や、社会によって固定化された「自己」のイメージから脱却をしようとする心情がうかがえる。
2. 匿名化された自己と固定化された自己からの解放
「匿名のワナに酔いしれて」というフレーズはまさに現代のインターネット社会を象徴しているといえる。仮面によって保障される匿名性は、社会のあらゆる制約や自分に課された役割から解放され、自由に振る舞える状態を意味している。自己を隠すことで、普段できないような大胆な行動や発言が可能になるのである。
VTuberとしての仮面をつけているマリン船長の心情も表現しているのではないだろうか。
しかし「ワナ」という表現を用いていることから、匿名性の高い社会の裏側では道徳や倫理が希薄になるというリスクが存在することも指摘している。
3. 虚しい「仮面」を前提にした自己実現
サビの「パイ パイパイ パイパイパイ ヤッパイ パイパイ仮面は 大富豪」や「散財万歳コインシャワー 刹那を生きろよ 瞬間クライマックス」といったフレーズは、富や贅沢、刹那的な快楽を追求する姿勢を示している。
過去や未来ではなく「今この瞬間を最大限に楽しむ」という生き方を強調しているが、彼女の行動の背景には失恋が存在する。そのため、刹那的な快楽がもつ虚しさをも指摘している。
加えて「刹那を生きろよ 瞬間クライマックス」というフレーズは、現代社会における消費文化や瞬間的な快楽の追求を風刺しているとも解釈できるだろう。
そもそも金の山は出所が不明であるため、彼女からしたら棚からぼたもちの状態である。そうした富を全てばら撒いて消費することを「散財万歳」と誇張し、皮肉るところもまた消費文化の虚しさや儚さを表現しているといえる。
しかし、「パイパイ仮面は大富豪」である。しかし、これは元々出所不明の金で得た称号であり、本来の自分は「大富豪」ではない。富は表面的な仮面であり、真の幸福とは無関係なのであることを暗示している。
我々も、インターネット社会においては匿名の仮面を付けながら、時に自分を誇張し、時に自分を卑下する。アイコンやサムネイルにアイデンティティを求める。時にショート動画を通じて、何とか自己実現や他者からの承認を必要とする。
我々は大富豪を名乗り、仮面で自己を隠している「パイパイ仮面」と同じなのである。今我々の置かれている現代の匿名性の高い消費社会は「見せかけだけの虚しい幸福感」をもたらしているに過ぎないのである。
4. 仮面を付けなければならない理由
「悪い奴だとは 知りつつも 恋は盲目とめどなく 愛のために 血も青くした あたしはとんまな道化師さ」
この部分では、相手の本質を知りながらも、恋愛の中で盲目になり、自己を見失う状態や自己を変えてしまった後悔が認識されている。
これは「彼氏」に限った話ではない。
現実社会で築いてきた人間関係の多くを「悪い奴」と表現している可能性がある。しかし、そんな人たちとの現実を無視して、自分は「盲目」を選択していたという矛盾を認識している。
例えば、それはVTuberが「中の人」と「キャラクター」のどちらが重視されるかという問題にも行きつくかもしれない。人々は中の人の自己よりも、キャラクターとしての自己を優先する。なぜなら、「中の人」という真の自己は、多くの人々に認められないからである(無論、アバターがなくても中の人は愛されたという意見もあるだろうが、そもそもVTuberでなければ中の人は注目されなかっただろう)。
すると、あたしは「あなたたちとの恋のために血を青くする」しかなくなってしまう。
「血を青くする」は貴族など、普通の人々とは異なる高尚な存在であるという一種の表現方法である。歌詞の中では「愛のために 血も青くした」としているが、そのようにした「あたしはとんまな道化師さ」と自虐を込めて皮肉っている。
つまり、以前の人間関係や社会の中で、無理やりに自己を取り繕ってきた。それは現実社会での自己実現や他者からの承認を目的としていたが、結局、現実を生きることでは真の幸福と自己実現は叶わなかった。
だからこそ「仮面」をつけなければならないという心情を吐露しているのである。
5. 自由への渇望
「虫籠の蝶は 飛ばなけりゃ 虫ケラのままで終わっちまう パイパイ仮面が解き放つ 今宵も羽ばたけよ」
蝶は羽ばたけば美しく、蛹から美しい姿に変化する生物である。しかしそれも「虫籠」に閉じ込められていれば、本来の魅力は発揮されない。
つまり、自己実現は他者や社会からの制約や圧力で難しくなることを暗示している。
「飛ばなけりゃ 虫ケラのままで終わっちまう」という歌詞は、羽ばたけるにもかかわらず、飛ばないことは自分の可能性や価値を見いだせず、自己実現をできないままで終わってしまう焦りを強調している。
個人が持つ価値は、行動しなければ決定されないことを示しているのである。
そして、個人の価値を発揮するには「パイパイ仮面」が必要なのである。彼女は、他の人々にも蝶のように羽ばたくよう勧めながら、ともに仮面をつけて踊る。
そして、パイパイ仮面は踊る。
仮面を付けることで、自らが認識してきた社会的な束縛からの解放や自由を求めて踊るのである。
6. 自己実現を果たした人間に生まれる余裕と寛容さ
「今日もあいつはどこかの国で どんな悪さ してるやら あたしは いつでも あんたの港 疲れた時には戻っておいで」
これは、分かれた彼氏への思いと、再会への期待が表現されている。しかし、この表現は自己実現を果たした人間に訪れる、余裕と寛容さを意味しているのである。
寛容や余裕のない現代社会においては、人々が自己実現を十分に果たせているとは言い難い。そこには経済的、社会的なしがらみが複雑に絡み合っている。
しかし、自己実現を果たした人間は、今まで自分を馬鹿にした人間に対しても余裕をもって接することができる。例えどんな悪さをしていても、私はここで踊って、幸せになる。だからこそ、あなたも幸せになりなさいという余裕が生まれているのである。
偶然にも富を得た女性は、パイパイ仮面という匿名性を身に着けることで、自らの自己実現を果たし、さらには人々を解放した。匿名性とは諸刃の剣であり、刹那的な快楽しかもたらさないかもしれないし、パイパイ仮面はその虚しさも知っている。しかし、彼女は仮面を付けなければ自己実現ができなかった。ほとんどの人間は仮面を付けたとしても、パイパイ仮面のように上手くはいかないかもしれない。だが、何事も行動しなければ叶わない。そのために、パイパイ仮面は踊る。富を使って、皆と踊る。皆の自由を求めて踊る。そして、現実社会における人々を解放していくのである。
私たちの社会にも彼女のような解放者が必要なのかもしれない。