ぶれる大人たちと日大問題
現在、揺れている日本大学アメフト部「フェニックス」の麻薬汚染問題について、思いのたけを告白いたします。
この麻薬汚染は、日大のみならず大学という空間すべてにおける社会的な問題であるように思います。第一に、この問題は「日大」だけの出来事ではないということを理解していただきたいです。
日大の麻薬はどうやって始まったかといいますと、週刊誌報道によれば外国人留学生たちが日本人学生に薦めて、そこから麻薬文化が継承されたとする経緯があったようです。
私としては、外国人留学生がどうやって麻薬を持ち込めたのかを明らかにする必要があると思います。
さて、今回の話題は「大人」ということですが、これはどこまでが「大人」と呼ぶに相応しい基準というものがあるでしょうか?
実は大人といいますと、たいていの方々は20歳以上の成年をそう呼びます。しかし、「大人」というのは老人になっても呼ばれるため、非常に幅広いということがわかります。
少子高齢化といわれれば、現在の日本社会のマイノリティは「若者」と呼ばれる人たち、あるいは「子ども」であり、マジョリティは圧倒的に「大人」といえるでしょう。
日大問題は、そんなマジョリティの暴力と暴走という典型的な問題でもあります。
澤田副学長の問題
今回の件は、そもそもが澤田副学長の初動調査の遅滞と疑惑に端を発しております。検察OB、いわゆる「ヤメ検」と評される澤田氏ですが、彼自身が麻薬疑惑のあるアメフト寮の調査を行い、麻薬を発見し、大学へと持ち帰ったという経緯がありました。
澤田氏は警察に相談したと主張しておりましたが、警察側は「相談はなかった」と食い違いが発生しています。
しかし、そもそも大麻取締法では、麻薬を「所持」することは違法です。それを考えますと、澤田氏が学生から大麻を「押収」したとする主張は、正直な話、既に一線を退いた民間人が大麻を保有していたと解釈することができます。
澤田氏の「押収」もまた大麻取締法違反ではないか?という疑いがあります。
元検察であるにもかかわらず、そこにまで思いが至らない法律業界の関係者が果たして存在するのでしょうか?
日大の見えない体制
次に、問題になるのは「理事長」と「学長」の権限の違いです。日本大学について調べますと、事務方の長は「理事長」であり、教育方の長は「学長」であるという二大権力制を採用しているのが日大の学校運営方針のようです。
林真理子理事長には学生に対する権限はないと思われます。マスコミや世論を見ていますと、この点を理解せずに理事長を批判している方がいますが、林理事長は「組織の管理・運営の責務」を担っているのであって「学生の管理・運営の責務」はあくまでも学長の責任にあるということを考えなければなりません。
このような誤解が生じたのは前理事長の田中氏の強権政治によるものであるといえるでしょう。つまり、理事長が学生の管理・運営にまで口を出してきて、それを是認したのが田中派と呼ばれる教職員であるということです。
つまり、田中氏の体制が異常であっただけで、本来の理事長は、学生の犯罪について把握することは難しいと推察することができます。理事長は学長や副学長が情報をシャットアウトされてしまえば、学生管理について把握することは困難な立場であるといえます。
そうはいっても、反田中派の教職員に話を聞くなどはできたはずですので、たとえ、そのような体制であったとしても、林理事長が責任を免れるかといえばそうではありません。
しかし、本来の学生管理の主体は学長・副学長であるということは心にとめた方が良いでしょう。
アメフト廃部問題
さて、ここからが本題です。
日本大学の執行部は、アメフト部の廃部を検討中であるとの声明を発表しました。60年の伝統あるアメフト部を解体し、消滅させようとする動きが運営側から起きたのです。
現状、大麻を使用した部員は10名以上いるとのことですが、正確な使用者の捜査は継続中であるため、推測の域を出ません。
アメフト部員の多くが大麻がらみで逮捕される可能性があることから、日大の方針としては廃部を決めてしまいたいと考えるのは組織論的には合理的な動きといえるでしょう。
一方で、廃部阻止のための署名運動が起こりました。
背景には「伝統と格式ある部であるから」「無実の部員の方が多いから」というものです。
大学の方針にOBOGや他大学の関係者から「待った」がかけられたのです。
さて、この問題には二つの大人の事情というものが隠れ潜んでいます。そして、両者もお互いに「子どもたち」を無視しながら、動いているということです。
私見を述べますと私は廃部には反対です。
大学は、「学生たちを信じる」といいながらも、結局は廃部を行うことで「信じていなかった」という矛盾したコンプライアンスを機能させています。学生を信じているのなら、廃部にする必要はないはずです。
日大の許容量をはるかに超える対応を迫られ、執行部は「早く無くして楽になりたい」という腹積もりが透けて見えてしまっています。
そのため、大人たちが「楽になりたい」ため、学生を「犠牲」にするのです。
もし、このアメフト部廃部がまかり通ってしまうと、日大は今後「不都合な学生組織や集団は排除が適切」という前例を作ってしまいます。つまり、理事長が気に入らなければ学生を弾圧することも可能なのです。
加えて、そもそもの原因は理事長の怠慢、澤田副学長含めたスポーツ部の体質の問題です。
この組織図を見ていただければわかるかと思いますが、理事長の権限に「競技スポーツ部」は含まれておりません。これはあくまでも「学長」以下の管轄であり、学校教員の管轄です。
しかし、私は「伝統と格式ある部だから反対」という意見にも賛同はできません。私が廃部を反対するのは、上記のように「大人の怠慢が学生を犠牲にしている構図」が存在するからです。
上の組織図を見てもらうと、学務・研究推進・学生と並んで競技スポーツが「部」として存在します。さらにその下にはスポーツマネジメントやプロモーション、サポートなどのサブカテゴリーも存在します。
競技スポーツ部は、他の部よりも明らかに「組織化」されており、学校資金の投入がかなり重点的に行われていることが分かります。
さて、私が「伝統と格式ある部」に反対する理由はまさにここにあります。
今一度、考えてもらいたいのは「アメフト部員ではなく、他の一般学生が大麻を使用していたならば、問答無用で警察に突き出してましたよね?」という問題です。
これは一般学生の退学や事案情報を集めなければわかりませんが、私個人としては「伝統と格式あるアメフト部員だから」、逮捕された部員は「(澤田氏に)隠蔽してもらえる」と考えたと解釈することもできます。
つまり、アメフト部やそこに所属する部員に蔓延する特権意識のようなものを大学側が助長している問題です。
学生自身が勝手にそんなことを考える必要性がありません。そこにはアメフト部に所属してから生じる「空気」というものがあったのではないかと思われます。
そしてその空気を作り出すのは「大人」たちです。それは「伝統ある部だから」といっているOBOGもそうです。あなたたちも「大人」です。
いつまで学生気分が抜けないのか。
組織図ですら透けて見えるこの特権的な体制を視た「一般の学生たち」は何を思うでしょうか。
今のところ、新聞やテレビを見るに、学生が気にしている様子はありません。しかし、それは競技スポーツ部を身近に接していないのだから当然といえるでしょう。
明治時代に開国して以降、国民は未だに「国家」や「首相」というものが何か理解できずにいたといいます。国民教育によって徐々にその理解が深まったことで、我々は国家や首相、政治体制というものを理解できています。
しかし、学生に「大学組織」について聞いたところで「気にしない」と言うのは当然でしょう。これはジャーナリストの取材方法が明らかに間違っています。専門的な教養と知識を学ぶ学生が、どこで大学組織について教育を受けるというんでしょうか?
こうした大人の怠慢の犠牲になっている学生を見ると、とても忍びなく思います。
どうかこの問題について、学生たちの平穏を乱すことがないよう「大人たち」は慎重に動いてもらいたいものです。
以上