見出し画像

すごろくが進まない

ゲームは後半戦。株で大儲けして億万長者になったり、超安牌で先に進みゴール王手になったり、社長だったのに急に会社が倒産して借金しちゃったり。おいマジかよ~!と、波乱万丈の人生に大盛り上がりしてるのに「まだそこなんだ…」って哀れ見の目で見られるヤツがいる。

そう、私だ。

サイコロは1の目しか出ない。進んだかと思えば2マス下がるとか一回休みとかばかり。元気を装うものの顔から滲み出る悲愴感が隠せていない。ゲームならまだ良いのだがあいにく私はリアルの人生で今こんな感じになりつつある。

結婚式、久々に会う友人との飲み会、帰省した実家での両親・兄貴夫婦との団欒。全部最高だがその反動は大きい。一人だけの家に帰ってくると胸がぎゅーっと締め付けられる。月が綺麗な夜は尚更のことつらい。




平日夜。前は終電が無くなるまで飲みに行ってたけど今は在宅勤務。夜は1時過ぎまで働き、テレビもネットも付けず、何の音もしない部屋で夕方買って放置していた冷めたオリジン弁当の唐揚げにかぶりつき、レモンサワーで流し込む。もうお腹は一杯なはずなんだけど胸焼けするまで食べてないとやってられない。こんな時に電話できる相手がいればなあとスマホを手に取り、マッチングアプリを起動する。

ちょっと良いなと思っていた人は退会していた。もう彼女ができたのかな、いや、やっぱりただブロックされただけなのかな。無意味な思考を巡らせながらまた新しい男性からのイイねにマッチングする。

好きでも嫌いでもない、この人とのやり取りの先に何が待っているのか期待も不安もない。無機質に「普段は在宅ですか?」という決まり文句を送る。何百回同じことをしたのだろうか、寝れないときに羊を数えるように過去の履歴をたどりながら寝落ちする。

別に結婚が全てではないし恋人が必須だという恋愛至上主義には反対だ。ただ、「自分という人間は人と関係が築けない根本的な欠陥を抱えているのだろうか」という孤独感が拭えない。それは薄く粘っこく体に纏わりついて離れない。 




そういえば昔テレビで放送されていた「任侠ヘルパー」というドラマが大好きだった。ヤクザ役の草彅が「弱きを助け強きを挫く」を学ぶべく老人ホームで働く物語だ。誰も面会に来ない、人生の最期を一人で迎え悲しむ老人に草彅が吐き捨てるセリフが強烈だった。


「孤独はなるもんじゃねぇ。選ぶもんだろ」


確かに今のこの状況は自らの選択の結果である。自分のせいということもわかっている。ただ、自分を責めたらメンタルが壊れてしまうから本質的な問題にフタをしている。

先延ばしにすることに意味ないとか、逃げだとか言う人もいるだろう、たしかに正論だ。でもその言葉は今この瞬間の私を救ってくれない。解決できなくて悩んでいるのに、解決せよと言われても困ってしまう。

恋人ができて、同棲して、結婚して、子供が生まれて、家買って、車買おうかそれとも二人目か、ローンは養育費は…、同級生が悩んでいる人生のステージから完全に周回遅れを喰らっている私は孤独に押し潰されそうになっている。久々に会った友人の「変わってないね」という言葉はきっと親しみを込めてのものだろうが、鋭意な刃物のように心に深く突き刺さる。

本当につらいとき誰でもいいから声を聴かせてほしいという願いすら叶わない。寄り添ってくれる人も、寄り添ってあげたいと思える人もいない。友人と最後にLINE をしたのは何ヵ月前だろうか…無料スタンプは全て有効期限が切れていた。友人たちのトップ画は次第に結婚式や子供の写真に変わっている。完全に置いてきぼりだ。




絶対的な孤独。ただその代償と引き換えに全てが自由で、仕事に心血を注ぐ時間だけはある。パートナーや子供ができたらありとあらゆることに目を配らなければならないけど今は一つの物事に全てをかけられる。100対0で仕事。もうこれ以上頑張っても本当に何も変わらないの?を自問自答する毎日。

全力疾走で駆け抜けられる期間は高々あと数年だろう。私は今この時間を私のためだけに使っている。その実感だけが今のわたしを支えているのだ。


金曜の深夜3時、ギリギリ気を使う暴飲暴食として異常な量のパイナップルを食べて寝る。土曜日は美容院に行ってヘッドスパを頼んで気分スッキリ。ドトールで好きなだけ仕事をして自己満足する。大戸屋では女子力向上を狙って揚げ物ではなくて魚を選ぶ。肌質改善するかはわからないけどよくなる気がするだけで構わない。夜はレイトショー。カップルに囲まれながら「ザ・バッドマン」を見る。

最高の週末だ。もうそれでいいと思っている。すごろくが進まないんじゃない。私が止めている。わざと。わざとなんだよってね。


おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?