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ウィッチ・ハンター



 ここは、酸性雨降りしきるメガロポリス、ヴァル・サ・シティ。
 高さ二〇〇〇メートルを超える巨大なビルが乱立するこの街で、人々はその足元を這うように生きていた。上を見上げれば、街を覆う思考雲の黄緑色の閃光が迸り、その下を宇宙船がサーチライトで雨を切り裂きながら飛んでいる。
 増築に増築を重ねたビル群はその高さゆえに、他のビルへと枝を伸ばさなければ自重を支えきることが出来ない。一本でも倒壊すれば、他のビルもドミノ倒しめいて倒れていくだろう。
 かつて町中に張り巡らされていた道路も、今はその面影を残すだけで、歩道と車道のほとんどは違法出店された屋台と、人口爆発でごった返す人ごみに飲み込まれてしまっている。
 そんな中を、一人の少女が走っていた。
 蛍光オレンジに光るチューブをあしらった、銀色のブルゾン。その下には水色の簡易服を着ている。そしてその禿げ上がった頭部には、悪魔的なタトゥーめいて、様々なバーコードや記号、その他判別できない文字がびっしりと書き込まれていた。
 何かに怯えるように周囲にせわしなく頭を巡らせながら、少女は走る。
 少女以外の人間は皆、酸性雨から身を守るべく、傘をさして歩いていた。その顔は、マスクやゴーグル、顔全体を覆う仮面によって隠されていた。
 脳の一部を機械に置き換え、常にネットというパブリックな空間と接続している彼らは、現実世界では逆に、いや、だからこそ、その顔や姿を隠したがる。
 彼らは現実の自分、本当の自分を知られたくないのだ。
 だが、彼女はネットに繋がっていない。彼女の家は電脳化手術を受けれるほど裕福ではないし、彼女もその必要性は無いと思っていた。それでも、彼女は確かに『孤独』を感じていた。周りの人間は何かと繋がっているのに、自分だけ繋がっていない。周りと違う、という疎外感が、彼女の不安を煽る。
 人々の纏うプライバシーの霧をかき分けながら、先の見えない道のりを進んでいく。声を上げても霧は返事をしないし、顔を見上げようとしても、そこには顔はない。頭上には、猥雑なネオンサインが激しい点滅や、極彩色の光でうるさいほど自己主張しているだけだ。
 目に涙が浮かぶ。
その涙も、酸性雨と一緒に流れて行ってしまった。この雨は、大事な物を洗い流してしまう。心さえも。
そんな彼女をあざ笑うかのように、頭上のヌードバーの看板が火花を散らして点滅した。

大通りに出店されたうどん屋の屋台。そこに座っている女性は、一人静かにうどんの麺をすすっていた。他に客はおらず、ハチマキを巻いた店主はつまらなさそうにブラウン管テレビを見ていた。
長い黒髪に、黒の革コート。目元は銀色のサイバーサングラスで隠している。美人だが、どこか作り物のような冷たさがある。
『まもなく、午前一時をお知らせします……』
顔をLEDパネルで覆ったキャスターが大写しになり、ノイズのちらつくテレビがそう告げる。パネルには『この番組はイニシエ・コーポレーションの提供でお送りしております』の文字が流れている。
女性は、雨が粗末なビニール屋根と通行人たちの傘に当たる音を聞きながら、麺をすすった。
少し灰色がかっためんつゆに白い合成麺が入ったうどんは、お世辞にも体に良いとは言えない。それどころか、リピーターを生み出すために少量の麻薬成分が含まれている。
『……次のニュースです。一か月前に起きたユニコーン・ビル爆破事件の犯人が、先日、射殺された模様です。犯人の女は魔法を使って警察隊と戦闘を繰り広げた後、駆けつけた対魔法特殊部隊が射殺しました……』
 〈灰の大戦〉から三百年。銀河を支配していた神は姿を消し、世界には自由と混沌が残された。
 魔法という存在自体――龍理ろんりと呼ばれる世界の定義コードを書き換える術――もこの宇宙から消滅したはずだったが、遺伝的特異点、技術的特異点として、今も存在し続けている。
 その時、サイバーサングラスに赤い走査線が奔った。
『〇六より〇九。尾行訓練の最中なんじゃないのか?』
(……誰もついてこないのよ)
 無線の奥から、相手の呆れたようなため息が聞こえた。
『まぁ、とにかく事件発生だ。詳細は今送る』
 ネット経由で送信された情報が、彼女の電脳にダウンロードされる。彼女――名をシエラという――は全身を機械に置き換えた、サイボーグだ。そして、対魔法使特殊部隊、通称AWSTのメンバーでもある。
『つい十分前、魔法使収容所ウィザード・アサイラムから一人脱走した』
(気づくの遅いわね。警備は居眠りでもしてたの?)
『全員黒焦げにされた』
 シエラの視覚情報に脱走者のデータのポップアップがマージされる。
(イグス・アルティラ。十五歳。スラム街での魔法使用によって逮捕。その後、被検体として実験棟に移動……なるほど。で、今はどこに?)
『グリッドB―57を移動中。今、ロヴが追ってる』
(わかったわ。飛行用ロヴ、一機こっちに回して)
『了解。通信終了』
 その背後で、にわかに通行人たちが騒がしくなった。その頭上から、四つのプロペラを備えた全長約一メートルの飛行用ロヴが降りてきた。真っ白なボディにはVSPDのペイントが施されている。
汁だけ残されたどんぶりの上に箸を置き、彼女は立ち上がった。ポケットを探り、貨幣トークンをカウンターテーブルの上に置く。それはうどん一杯分より、若干高い金額だった。
「お釣りはいらないから」
 シエラは驚きに目を見開く店長をしり目に、コートの裾をはためかせながら、ホバリングしているロヴに近づき、小跳躍してランディングギアを掴んだ。ロヴは一瞬、彼女の体重によってその機体の高度を少し下げたが、プロペラの出力を上げて、酸性雨を蹴散らしながらビルの群れに消えていった。

 この街では、人々は自分の時間に従って生きている。ここ数十年ずっと空を雲に覆われているせいで、昼も夜も忘れ去られてしまったからだ。
 午前一時を回った現在でも、ビルの壁面に映し出された広告映像は騒々しいコマーシャルをまき散らしている。
 街の中心部はもっとひどい。ビルというビルの壁面に広告が映し出され、まるで広告の見本市のようなありさまだ。
「ラバーズの新曲登場‼」「魅惑のイルカセラピー」「未来を明るく!」「コルフ月品」「待望の新作。メキシカンニンジャ十八‼」「強力わかもと」……
 シエラのサイバーサングラスに、鏡のように映る色とりどりの広告映像。消費者を生むために過激な映像に、サブリミナル効果をも使う。まさに行き過ぎた消費社会の生み出したモンスターだ。
 彼女がぶら下がっているロヴは、ビルとビルの間に作られた連絡通路を器用に潜り抜けて街のビル群から抜け出し、無法地帯へと出た。
 先ほどまでの色鮮やかなビル群から一転、背の低い、薄汚い雑居ビルや、ありあわせの材料で作ったバラックの住居で構成されたスラム街。莫大な消費の裏で、困窮者は多い。
 未だ逃走を続けるイグスを追っている、飛行ロヴの視覚を借りて、現在の状況を確認する。
 ライトに照らされて走っている、銀のブルゾンを来た少女。ズームしてその顔を確認する。
 まだ幼さを残す顔立ちに、バーコードが描かれた頭部――あれは実験棟に移されたときのものだろう――もある。
(目標を発見。地上に降りる)
 降下ワイヤーをロヴのランディングギアに固定すると、地上約二百メートルを飛行するロヴから飛び降りた。両手両足を広げ、全身に風を受け、コートの裾がバサバサとはためく。始めは自由落下していたが、降下ワイヤーのブレーキをかけながら徐々に減速していく。
 コンクリートで作られた雑居ビルの屋上に降り立つと、腰のワイヤーを外した。GPSとリンクさせて、イグスの現在位置を視覚情報にマージする。
 太もものホルスターからディーテック・ガン――簡易魔法構造体(SMS)弾を装填した銃――を取りだし、スライドを引いた。

 イグスは必死に狭い裏路地を走っていた。上を見上げると、真っ白なボディの飛行ロヴが、こちらにまぶしいライトを当てているのが見える。
 目を瞑って、必死に祈った。
 あの目障りな機械が燃えて爆発するイメージが、脳内に広がる。すると、執拗に彼女を追いかけまわしていたあのロヴが急に発火し、爆発した。
 その時、何かにぶつかったイグスは跳ね返って、地面にしりもちをつく。
「あっ……」
 正面には、黒いコートを着た、長い髪の女性が立っていた。ロヴの爆炎で、女性の銀色のサングラスがオレンジ色に照り返す。
「さぁ、おとなしく投降しなさい」
 黒光りする銃を構えて、女性は言った。
 キッと睨みつけると、頭の中で炎のイメージを作り上げた。ゴウゴウと、女性が燃えるイメージ。
 だが、何も起こらなかった。
 黒いコートの上でパチッと小さな火花が散るだけで、イメージ通りに燃えることはなかった。
「無駄よ。あなたの魔法ではこの龍理ろんりシェルを破れない」
 よく目を凝らしてみると、そのコートの表面では無数の幾何学的な模様が虫のように蠢いていた。魔法を構成する龍理式ろんりしきを分解するための分解機ディスアセンブラーが、表面にコーティングされているのだ。
 自分を構成していた世界が否定されたような、得体のしれない恐怖が、イグスの体を動かした。だが、破裂音が響いて右足の感覚が消えた。
 女性のディーテック・ガンから放たれたSMS弾が右足に着弾し、ダイヤモンドのような魔法新生物の結晶を発生させる。それはどんどん周囲の細胞を喰らいつくし、結晶を成長させていく。
「ああっ……」
 右足が消えた恐怖、じわじわと迫りくる死への恐怖で、イグスは失禁した。女性は銃口を頭部に向けて、ゆっくりとした足取りでこちらに近づく。
 そして、引き金を引いた。

 ダイヤモンドに包まれたイグスの顔を見下ろしながら、通信を入れる。
「ミッション終了。回収を」
『了解。回収班をそちらに向かわせる』
 しばらくすれば、彼女の体は完全にダイヤモンドに覆われ、やがてそれはイグス・アルティラではなくなるだろう。
 だが、何も感じない。何も考えない。必要なのは、任務の遂行だけ。
 シエラは、前方にそびえる摩天楼の群れを見た。
 ここは、酸性雨降りしきるメガロポリス、ヴァル・サ・シティ。

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