Re:member Green
※この小説は𝕗𝕚𝕩𝕣𝕠𝟚𝕟(ふぃろ)@お仕事募集中(twitterID:@fixro2n)氏のイラストを元に書いたものです。本人から許可を得て掲載しています。この場を借りて、掲載の許可を頂いたこと、そして何よりもこの素晴らしい世界観を生み出してくださったことに感謝します。
一際大きな揺れに襲われて、エイミーは目を覚ました。
トラックの荷台にある幌に身を預けるようにしてしばらくまどろんだ後、防弾ベストのポケットに手を突っ込んで、そこから縦長のスイッチを取り出した。親指で押せるようになっているボタンにはカバーがしてあり、そのスイッチから伸びるコードはベストの中に繋がっていた。
命の重みを感じると同時にホッとしたエイミーは、そのスイッチを再びベストの中にしまい込んだ。
他に乗っているのは拠点に運ばれる物資と、端っこの方で眠っている少女だけだった。彼女が誰かは知らないし、たぶん知ることもないだろう。
ぐるぐると回り始めた頭を振って考えを追い出すと、幌をめくって外を見た。
月夜に照らし出されているのは、荒れ果てた道路と、樹に侵食されたビル群だった。
夜に外出するのは、これで恐らく三度目だろう。昔、姉と一緒に夜に出た時には、母親にこっぴどく叱られたものだった。
当時の恐怖を思い出して、ライフルをぬいぐるみのように抱きしめ、深く息を吐いた。
日が沈んだとはいえ、例の緑化獣(Gモンスター)が出ないとは限らない。近頃も、地元近くのコロニーで日没後もGモンスターを見たという報告もある。
今思い出したところでもうどうしようもないな、と思いつつ身を強張らせる。備えていてもいなくても、来るときには来るもんだと、コロニーの警備隊にいた頃は、よくそんなことを言われた。
故郷(コロニー)を離れて今日で三日目。予定より少し遅れているものの、今晩中には着くだろうというのが、このキャラバン隊の考えだった。
するとその時、巨大な何かに吹き飛ばされたようにトラックが横転し、荷台の中でエイミーは荷物と共にタンクローリーよろしくかき回された。そして次の瞬間、ぐしゃりと何かがへしゃげるような音が聞こえたかと思うと、トラックは仰向けになった状態で静止した。
正面で宙を舞っていた木箱に潰されなかったのは不幸中の幸いだったが、崩れた荷物が全身に覆いかぶさり、まさにゴミ山に埋もれたような有様だった。
全身を襲う圧迫感に息が詰まる。一瞬の出来事だったが、何が起こったのかを理解する前に、エイミーの身体は山から抜け出そうともがいていた。
「こんなところで……止まってられないのに!」
外からは散発的な銃声が聞こえてきていた。キャラバン隊が何かと戦っているのだ。いや、何かではない。エイミーはその正体を知っていた。
助けも見込めない。そして外の『敵』。このままでは確実に死ぬ。
恐怖に突き動かされ、荷物の山から自らの身体を押し出すと、ずるずると這いずるように抜け出した。それから手に持っていたカラシニコフからマガジンを引き抜いて弾が入っていることを確認すると、弾を装填した。シャコンという小気味良い金属音が、薬室に弾が装填されたことを告げる。
馴染み深い感触に安堵したのもつかの間、背後からの叫び声に思わず体を震わせた。それと同時に鳴り響く連続した発砲音。
トラックの影から慎重にその様子を覗くと、そこに奴はいた。
蟹のような形をしたGモンスターの腕が、兵士の胸を貫通していた。叫びと共に放たれる弾丸が、その甲殻を虚しく叩く。
そして腕が引き抜かれると同時に、その穴から噴き出した枝葉が全身を覆った。
緑化症の患者を見るのはこれが初めてではない。それでも、目の前にいた人間が一瞬にして植物になってしまったことに、ショックを受けずにはいられなかった。
蟹が、その金属でできた骸骨――第三次大戦で使われた類人兵器の成れの果てだ――をこちらに向ける。そして反射的に影に隠れたが、あいつの目は、確かにこちらを見ていた。
見られた。認知された。フラッシュバックした奴の赤く光る瞳に全身から冷や汗が噴き出し、足がすくむ。
こうして正面から近くでGモンスターを見るのは初めてだった。苔むした甲殻とその隙間から見える枝の筋肉。無機物と有機物の無秩序な融合体。
警備隊にいた頃とは違う。近くに頼れる仲間はいない。Gモンスターと自分の一対一。それにその足音がゆっくりとだが、確実にこちらに近づいてきていた。
このまま隠れていても、相手に先手を取らせるだけだ。それだけは何としても避けなくては。
唇を舐めて湿らせると、一拍の呼吸の後、トラックの影から飛び出した。
そしてその頭部に銃口を向ける。
力のこもった指先が引き金を引き、カラシニコフの内部機構を作動させた。
ストロボのようなマズルフラッシュが、自身の影を道路に焼き付ける。
空気をゼリーのように引き裂いて飛んでいった弾丸だが、甲殻で弾かれて甲高い音を鳴らすだけだった。震える銃口を向けながら、ゆっくりと後ずさる。
気づけば、周囲は地獄のような有様になっていた。
数体のGモンスターが輸送車をひっくり返し、生存者たちを次々と植物に変えていっている。斜め後ろでは、エイミーの乗っていたトラックの運転手が、半ば植物になりながら、こちらに助けを求めていた。
コロニーで出発前に交わした素っ気ない挨拶が脳裏をよぎる。
あそこまで侵食されてしまえば、もう助けることはできない。
一緒に乗っていたあの少女はどうなったのだろうかと首を巡らせるが、それらしき姿は見当たらなかった。
もうすでに植物になってしまったのだろうか。周囲には、すでにいくつもの木が乱立し始めていた。どれもさっきまで人間の形をしていたものだった。
全滅は時間の問題だ。
その事実に絶望しきり、構えていた銃口を下す。
「こんなところで死ぬなんて……」
誰に言うでもなく、一人呟く。
緑化症になってしまった姉を救うために志願した。
誰かのためになれると思って志願した。
なのに、まだ始まってすらいないのに、こんなところで終わってしまうなんて。
エイミーは自分の運命を呪った。
そして次の瞬間、Gモンスターの腕が振られ、エイミーの身体は紙人形のように吹き飛んでいた。
側に立っていた木にぶつかり――それは一番最初の犠牲者だった――左腕が嫌な音を立てて折れた。
悲鳴を上げ、左腕を押さえる。今まで感じたことのない痛みに、思わず涙がボロボロとこぼれた。
そして無様にも痛みでのたうち回りながら、こちらに迫ってくるGモンスターを見上げた。死の実感が体中に広がり、その冷たさがじんわりと四肢を麻痺させていく。
もたげられた腕が振り下ろされようとした、その刹那。
横から飛んできた徹甲弾が、その甲殻を貫き、内部の組織を滅茶苦茶に破壊した。木片が散らばると同時に、衝撃で揺らいだ巨体が、ゆっくりと倒れる。
撃ってきた方向を見やると、数台の装甲車と、その前を走る歩兵たちが見えた。
その時、誰かに襟元を掴まれたエイミーは、ずるずると引きずられながら、戦闘領域から離脱していった。
遮蔽物の裏側に隠され、エイミーを引っ張っていた人物が、片膝を立ててこちらを見た。顔はスカーフに隠れてよく見えなかったが、どうも女性らしいというのは分かった。
「大丈夫。絶対に助けるから」
それから何か注射機らしきものをエイミーの太股に注射すると、そのままどこかへ去ってしまった。
彼女の姿を追おうにも、急に襲ってきた眠気に耐え切れず、意識は深い闇の中へと落ちていった。
◇◆◇
自分が寝ていると自覚した時、エイミーは少し後悔した。このまま眠り続けていれば、あのひどくグロテスクな世界に戻らずに済むのだから。
しかしこうして意識が戻ってしまったからには、いつかは起きなければならない。
だからエイミーは、瞼を開けた。
一瞬、眩しさに目を細めつつも、だんだんと周囲の状況を掴むことができた。どうやら自分はテントの中にあるベッドに寝かされているらしい。
起き上がろうとすると、左腕から鋭い痛みが走った。エイミーは小さな悲鳴を漏らし、再びベッドに体を沈み込ませる。
「痛むかい?」
声の方向に向くと、そこには本を片手に持った女性が椅子に座っていた。本の上から覗く鋭い目つきに、あの時助けてくれた人なのだと直感する。だがその瞳は、左右で色が違って見えた。右の瞳は透き通るように青く、左は曇天の空のように灰色だった。
「あの、あなたが私を助けてくれたんですか?」
「まぁね。君のような人間は貴重なのよ」
そして本をパタンと閉じると、それを棚の上に置いて、女性は立ち上がった。
「私はシド。シド・ソフィア。君の志願した妖精(フェアリィ)部隊の隊長」
予想外の邂逅に、エイミーはしばらく開いた口が塞がらなかった。そんな様子を見かねたのか、シドは後頭部を掻いて、
「少し、歩きながら話せる? 今日は葬送日なの。私も出なきゃいけなくて」
「ソウソウビ?」
首を傾げるエイミーをよそに、シドは足早にテントを出ていってしまった。
深くため息をつき、ギプスで固定された左腕に注意を払いながら立ち上がると、シドの後に続いてテントの外に出た。
正面を見上げれば、そこには高さ三百メートルはゆうに超えるであろう大樹、爆心地(グラウンド・ゼロ)がそこにそびえていた。
今から三十年前、過激派自然保護団体〈リメンバー・グリーン〉が行った無差別爆破テロ。だが、それはただのテロではなかった。
使用されたのは通常の爆弾ではなく、緑化爆弾だったのだ。今となっては原理も不明なそれは、世界中の都市部を緑色に染め上げ、驚異的な繁殖力を誇る植物類が瞬く間に広がっていった。
監視のためにライトアップされた巨木は、見るものを怖れさせる巨躯を屹立させ、今でも我々に『緑を忘れるな(リメンバー・グリーン)』と叫んでいるかのようだった。
そして都市部駅前にある交差点を中心に作られたこの場所、キャンプ・オメガは、その爆心地よりおよそ南に百キロメートルの地点にあった。十分離れているとは言え、爆心地の周囲に広がる森は、Gモンスターたちを吐き出す〝死の森〟としても恐れられている。
人類の生存圏の最果てであると同時に、生と死の最前線。見えないプレッシャーに圧されて、エイミーは落ち着かないように胸元をぎゅっと掴んだ。
あの、とシドに問う。
「私、どれくらい寝てました?」
「丸一日と言ったところ……で、歩けそう?」
「何とか」
シドは頷くと、ゆっくりと歩を進めた。キャンプの中は、今までエイミーが経験したような、コロニーの警備隊のそれとは、あまりにも規模が違い過ぎた。
そんな二人の隣を、装備を満載にした兵站輸送支援システム(ウォードッグ)が、四本の足を器用に動かしながら通り過ぎていく。その先には、キャンプファイヤーの炎が見えた。どうやらシドは自分をあそこに案内しているらしい。
「お姉さんが緑化症なんだって?」
唐突な質問だったが、エイミーは頷いた。徐々に植物化していく姉を見るのが辛くて、最近はあまり顔を合わせていなかった。ここに来ていることだって、もしかしたら知らないかもしれない。
「彼女にお子さんは?」
「いない――」
それから確証をなくしたように、「――と、思います」
「そっか……最近の研究で、緑化症は遺伝するっていう結果が出ててね。緑化症の母体から生まれた子供が枝葉の塊だった、なんて話もある」
その話を聞いて、思わずゾッとした。例えば、自覚症状なしに緑化症が進行していたら?
子供は生まれず、Gモンスターに滅ぼされなくとも、人類は緩やかに死滅することになる。
「まぁ、それを防ぐために私たちがいるってのもあるけど、その前に君に見せたいものがあってね」
キャンプファイヤーの周囲には人だかりができており、ただ茫然とそれを見上げる者、泣き崩れる者などがいた。共通しているのは、皆その燃え盛る炎を何も言わずに見ていることだけだ。
「……え?」
そしてその火の中に投げ込まれていたのは、緑化症を発症した人々だった。その顔はどれも安らかで、まだ眠っているようにも見える。
「月に二回だ」
隣に立つシドの顔は、悲しみを必死に堪えているようだった。
「君も知っての通り、今のところ緑化症に有効な手立てはない。発症したら最後、死が待っている……覚悟はできてるかい?」
エイミーは右拳を強く握りしめた。
ここに来る前、自分ならきっとどうにかできると思っていた。緑化症の治療法を見つけて、姉を助けることができると。
しかし、ここに来て現実を見せつけられた。死が当たり前の環境で、人は簡単に死んでいくのだ。
それでも、今生きてここに立っているのは、きっと何か理由があるはずだった。
「やります。そのために、私はここに来たんですから」
そうか、とシドが笑う。そしてポケットからワッペンを取り出し、それを握らせた。
「ようこそ……妖精(フェアリィ)部隊へ」
握ったワッペンを見、それから炎を見た。いつか自分もああなるかもしれない。何も果たせぬまま、どこかで死んでしまうかもしれない。
そんな不安を焼き尽くすかのように、妖精の絵が描かれたワッペンは、炎の光を受けて赤く輝いていた
次の日、シドに呼び出されたエイミーは、ビルに外付けされたリフトに乗って上を目指していた。
眩しい日差しが爆心地を照らす様子は、時代が違えば幻想的に見えただろう。しかし、今はそうも言っていられない。
だがいつかは、とエイミーは思う。いつかこの戦いが決着した時、再びこの樹を見ることがあれば、その時はまた別の感想が湧くのだろう。
フラフラと風で揺れるリフトに乗りながら、ぼんやりと下を覗く。その高さに思わず足がすくみ、寄りかかるように手すりを掴む。すると今度はその急な動きにリフトの揺れが増し、ますます恐怖を味わう羽目になった。
半ば涙目になりながらしがみつくエイミーを嘲笑うかのように、一枚の葉っぱが耳元を通り過ぎていった。
そして到着するやいなや、エイミーは逃げるようにしてリフトから降りる。打ちっぱなしのコンクリートのフロアには、見たことのない様々な機械やウェポンラック、トレーニング器具などが置かれていた。
ガラスのない窓枠からはキャンプの様子を一望できたが、さすがにもう下を見る勇気はなかった。
すると、本を読んでいたらしいシドが、こちらに気づいた。
「お、やっと来たか」
シドはニヤリと笑うと、肩を上下させて呼吸するエイミーの背中を叩いた。
「初めてのリフトはあまりいい旅じゃなかったようだね」
「私のコロニーじゃこんなに高い建物はなかったので……」
そうだろうね、とシドはエイミーの背中をさすってやると、「全員、集合!」
そして数秒も経たないうちに、二人の女性兵士と、一体のロボットが二人の前に並んだ。
「これが我が隊のメンバーさ……それでこちらの彼女が、新しく入ってきたエイミー・フランクウッドだ」
「エイミーです。ええと、サフラン・コロニーから来ました。あぁ……歳は十八です。よろしくお願いします」
「はいよろしく。本当はあと三人いたんだが……まぁ言わなくても分かるだろ?」
ということは、ここにいる四人と一体が、今の妖精(フェアリィ)部隊の全戦力なのだ。たったこれだけ、という喉まで出かかった言葉を飲み込んで、正面に立つ二人を見た。
「紹介しよう。まずはメカニック担当、ユリ・カドミヤだ」
よろしくお願いします、と深くお辞儀をしたのは、日系人の小柄な女性だった。すると、その背後から現れたロボット――エイミーより二回りほど大きく、正面の装甲は戦車のように厚かった――も、彼女に倣うようにお辞儀した。
「彼はタイガ。ユリが改造したシールドボットだ。Gモンスターとは違ってニューロチップじゃないから、緑化症の影響も受けない」
昨晩襲ってきたあのGモンスターも、元をたどればニューロAIを搭載した大昔の自律兵器だ。それが何らかの理由によって緑化症を発症すると、あの怪物に変わり果ててしまう。
よって現在では、ニューロチップを使った自律兵器の製造はご法度となっていた。
「エイミーです。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
手を差し出すと、ユリはニコリと笑って握手に応じてくれた。
「それでこっちは医療担当のリゼット」
それからエイミーに「ファミリーネームは知らないんだ。寡黙な奴でね」と耳打ちした。
リゼットは日に灼けた仏頂面をこちらに向けると、「よろしく」とだけ言った。上に着たフライトジャケットの上からでも分かる筋肉を見ると、彼女は不愛想というよりは一つの兵器のようだった。
必要な情報だけを伝え、必要なことだけをする。それはある意味、兵士に求められる資質の一つなのかもしれない。
「で、私が隊長のシド・ソフィア。色々大変だと思うけど、まぁ全力でやってれば何とかなるものさ」
「……はい」
息をのみ、決意を込めて拳を握りしめる。その決意に応えるように、体中を流れる鼓動が手のひらを打った。
◇◆◇
それから腕が治るまでの一か月間は、キャンプの設備を確認したり、部隊のメンバーと色々な話をして過ごした。
特にユリは、エイミーと一番歳が近いのもあって、よく話が合った。彼女は三年前に当時付き合っていた彼氏と死別したのだという。そして、その仇を取るために今の部隊にいることも話してくれた。
エイミーも、ある意味自分と似たような境遇だと思った。警備隊であった父を亡くし、彼の背中を追うようにして自らも警備隊に入隊した。
そして今は、姉のためにここにいる。いざ振り返ってみると、かなり自分勝手に行動していたのだと感じ、それができた環境に思わず感謝した。
シドは時折言っていることが難しすぎて、何を伝えたいのか分からない時があったが、その経験から語られる事実と考察は、どんなものよりも価値があるように思えた。
リゼットとは、あまり話せていなかった。というのも、近寄りがたい雰囲気を常に醸し出していたし、ずっと何かに集中していたので、話しかけるチャンスが見当たらなかったのだ。
しかし、シドの要望で応急手当のやり方を教えてもらっている時、彼女がただ人に冷たいだけではないと分かった。その教え方は丁寧で、かつ失敗しても責めることはせずに改善点を的確に告げる。
そのプロフェッショナルな立ち振る舞いに、エイミーは憧れに近いものを抱いた。
ようやく腕の骨が繋がり、腕を覆っていたギプスを取り払ったエイミーは、地下の駐車場を改造した射撃場でカラシニコフを構えていた。
百年以上活躍し続けてきたこの銃は、もはや骨とう品の域を超えて化石とも呼ばれても仕方のない代物だった。しかしそれでも使われ続けているのは、その頑丈さと安定性の証明とも言えた。
呼吸を整え、引き金を引く。雷鳴のような銃声が、耳当てを超えて耳朶を打った。それとほぼ同時に、人型のターゲットが甲高い音を立てて倒れる。
それから立て続けに三発放ち、狙ったターゲットが全て倒れるのを確認すると、エイミーは息を深く吐いてライフルを下した。
そして耳当てを首に掛けると、誰かが後ろで手を叩いている音が聞こえた。その方向に首を巡らせると、射撃をしているエイミーを見ていたらしいシドが、そこに立っていた。
「リハビリは順調そうだね」
「えぇ。おかげさまで」
セーフティをロックしてマガジンを引き抜くと、レバーを引いてチャンバーから弾を排出する。それから弾がもう入っていないことを確認すると、ライフルを台の上に置いた。
「にしても、随分と古い銃を使ってるんだね」
「はい……父の形見なんです」
「触ってもいいかな?」
「どうぞ」
シドはライフルのレバーを引くと、それを構えた。
「お父さんは警備隊だったんだっけ」
構えながら、そう尋ねる。
「そうです。Gモンスターに襲われて、父はコロニーのみんなを守って死にました」
死にました、軽く口から出たその言葉が、エイミーの肩に重くのしかかった。あんなに優しかった父、自己犠牲の精神を自分に教えてくれた父。
どうして父が死なねばならなかったのか、警備隊に入ればその答えが分かるような気がした。しかし、そこで得られたのはこの世界の理不尽さと、個人の力ではどうにもならない現実だけだった。
そこに自己犠牲などいう言葉は存在せず、生きるか死ぬかだけの、シンプルで残酷な世界。死神が鎌を振るように襲い掛かる死は、たまたま立っていただけの者の命を等しく奪っていく。
おそらく父もそうして死んでいったのだろう。たまたま運が悪かっただけ。
そして今ここに立っている自分は、運が良かっただけに過ぎない。そうでなければ、あの晩既に死んでいただろう。
誰にも顧(かえり)みられることもなく、ただ立っているだけの一本の樹……腕を折った時に立っていたあの樹も、元は誰かの命だった。
もしあの樹にまだ人としての意識があったなら、こちらに訴えかける口があったなら、何を思ったのだろうか。何を言ったのだろうか。
そんな妄想を追い払うように、エイミーは頭を振る。今更振り返ったって、そこには何もありはしない。
あるのは慚愧(ざんぎ)と後悔の無間(むげん)地獄だ。
「そっか……立派な人だったんだね」
立派な人。死んだ人間が立派なのかという違和感を感じたが、それを言語化する術を持たなかったエイミーは、ただ口を閉ざしただけだった。
「にしても、どうして君みたいなカワイイ娘がこんなトコに?」
カワイイ、という言葉が自分に向けられているのだと分かった時、エイミーは温度に関わらず頬を赤く染めた。
「そ、そうでしょうか……」
「えぇ。そうよ」
シドはライフルを置くと、エイミーの顎を持ち上げてその瞳を覗き込んだ。妖精部隊の隊長は女好き、という情報が脳裏をかすめるが、そんなことを思い出したところでどうにもならない。
まさに蛇に睨まれたカエルのような状態になったエイミーは、近づいてくるシドに抗えなかった。
早鐘のように拍動する心臓、ともすればその鼓動の音が聞こえてしまうんじゃないかという距離まで、二人はほとんど体を密着させる。
そしてその顔が近づき……
「冗談、だよ」
耳元でささやく声に、思わず体を震わせた。
「君はまだ子供だからね。手は出さないさ」
からかわれたことと、子供扱いされたことに腹を立てたエイミーは「もう十八ですよ」と、口をとがらせる。十八と言ったって、コロニーでは立派な大人だ。結婚もできるし、子供だって……
「だからこそ、君は色々知らなくちゃあならないんだよ」
そう言って肩に手を置いたシドの柔らかい視線が、イラついていた心を溶かすように、すっと胸の中に収まった。
邪魔して悪かったね、と小さく手を振ったシドが射撃場から出ていく姿を、エイミーは何も言わずに追う。その左胸では、ずっと心臓が高鳴り続けていた。
「へぇ、それは災難? だったわね」
そう笑うユリに、「笑い事じゃないですよ……」とエイミーは首をすぼめて、両手で包むように持ったカップのコーヒーを飲んだ。
ビルのフロア内にあるユリに割り当てられた小さな区画で、二人はコーヒーを飲んでいた。古いランプの光が室内をオレンジに染め上げる中、部屋の中央にぶら下がっていたのは、装甲を外したタイガだった。
分厚い装甲を脱ぎ捨てて内部の構造を曝したその姿は、どこか不気味で、頼りなさげに見えた。
「まぁでも、隊長としてはスキンシップのつもりだったんじゃない?」
「あれがですか?」
それにしては少々度が過ぎている気もするが。エイミーは眉を八の字に曲げた。ふと当時のことを思い出すと、肌に触れた彼女の温かさに、再び身震いした。
と、同時に人とはあんなにも温かく、柔らかいものだということを改めて思い知らされたような気がした。人は弱いものだし、一人では生きていけない。
だから仲間を作り、集団を作り、社会を作った。しかし発達しすぎた社会は、人々に均一化を促すと同時に、反発する者も発生させた。それでも何とか生き残るために、人々は少数の犠牲を出しつつもそのシステムを維持し続けていた。が、いつしかその均衡が破れて崩壊した秩序と叫びが、まるでドミノ倒しのように世界を覆った。
そして今、人々は荒ぶる自然を前に再び集団を作り、何とか今日まで生き延びてきた。それが歴史の繰り返しであろうとも、これが人間を人間たらしめる重要な要素なのだ。
「どうしたの? もしかして惚れちゃった?」
そう言ったのがコーヒーを飲んだ瞬間だったので、思わずせき込んでしまう。
「そ、そんなこと、ないっすよ!」
思わず変な口調になってしまったエイミーは、ばつが悪そうにカップに口を付けた。口ではそう言ったが、もしかしたらあれが『惚れた』という感情なのかもしれない。そう妙に納得してしまう自分がいて、思わず恥ずかしくなった。
「じゃあ、恋人とかいるの?」
そんなことを知ってか知らずか、ユリから投げかけられた問いに「いませんよ」と即答する。
「父が死んだ十四の頃から警備隊に入って、屈強な男たちと銃が友達の女の子なんて、誰も欲しがりませんから」
「まぁ確かに外面しか見ない人にとってはそうなんだろうけど、世の中にはちゃんと中身も見てくれる人だっているんだよ」
これは恐らくユリの彼氏のことを言っているのだろうと、エイミーは思った。そして自分のことを棚に上げて、死んだ人間のここが良かったとか、もう一度会いたいとか言うに違いない。私は惚気話のはけ口にされてしまうんだ。一時の、誰かの快楽のために。
そう考えた自分が嫌になって、心の中でかぶりを振った。誰もがそんなことを考えているワケじゃない。そうやって斜に構えるのはよそうって、ここに来る前に決めたじゃないか。
だが、ユリの口から発せられたのは予想外の言葉だった。
「でも、時々彼と出会わなければ良かったのに、って思うこともある。そうしたら、こんなに辛い思いをしなくても済むんじゃないか、って」
そしておもむろに立ち上がると、腰のポーチからドライバーを取り出してタイガの緩んだねじを締め直し始めた。それはまるで、何かの作業に集中することで自分の言葉から逃避するようだった。
「エイミーちゃんはさ、お姉さんを助けたいからここに来たんでしょ? そうやって誰かのために戦えるって、すごいことだよ」
姉のため、確かにそのためにここに来た。しかし、エイミーにとってこれはある意味、逃避の一つだった。日に日に姉が植物になっていく事実からの逃避、それが治らないという事実からの逃避。
すごいのはユリの方だ。そうやって立ち向かえられるのだから。だが結局そう言い返せぬまま、ユリは続けた。
「私にはもう、そんな戦いはできない。割り切れないから、立ち向かうしかない。そして彼との思い出が、私を戦いに駆り立てるの」
そう語る彼女の背中から憎悪が膨れ上がっていくのが、エイミーにははっきりと感じられた。『憎悪』という実在するモノがそこにあるわけではない。しかし、その口調、息遣い、体の動き、五感で感じる全ての情報が統合され、そこに『憎悪』を現出させていた。
「どれだけ苦しい思いをしようとも、どれだけ血を流そうとも、死んだあの人はもうどこにもいない。それでも私は戦い続ける。この悪夢が終わるまで。そうしたら、私もゆっくりと休めると思う」
静かだが、そこには確かな怒りと、悲しみがあった。あの温厚そうな顔の下にひしめく恨みつらみ、それがいつか彼女を壊してしまうんじゃないかという不安。だが、もしかしたらもう、彼女は壊れてしまっているのかもしれない。
自分のロボットに、死んだ恋人の名前を付けたのだから。
詮なきこと、そう思いつつも、エイミーはフロアと個室を隔てるカーテンの前で深々とお辞儀をした。
分かってるつもりだった。こんなこと、壊れていなければできないなんてことは。それはこの妖精部隊に限った話ではない。このキャンプにいる誰もが闇を抱え、心の一部を壊しながらも先の見えない戦いに身を投じている。
そして全てが壊れてしまった時、いるかも定かではない神に祈りを捧げ、懇願する。どうかこんな悪夢を終わらせて、天国へ連れていってくれと。何もせずに死んでいく虚しさを、エイミーは知っている。だから最後まで懇願などしないだろう。神に祈りはしないだろう。
窓枠に腰かけて、爆心地を見上げる。冷たい夜風が頬を優しく撫で、コーヒーで温まっていた体を冷やした。
あんなものがなければ、今頃自分はどんな生活をしていたのだろうか。このビルを使っていた人間のように、明日も生き続けるだろうという脆い価値観の元、明日の予定などを話していたのだろうか。
ふとコロニーの友人を思い出す。あまりこちらとしては仲良くしていたつもりではなかったのだが、彼女は泣きながら送り出してくれた。その胎(はら)に命を宿しながら……その時、最初にシドから聞かされた話を思い出してゾッとした。
緑化症の母体から生まれた枝葉の塊。もはや人間ではなかったそれに、その母は何を思ったのだろう。エイミーは、その友人が緑化症ではないことを祈った。大して関わってもいなかったくせに、今になって思い出すのは、死期が近づいているという直感からか。
爆心地から視線を逸らすと、組んだ腕に顔をうずめた。急にこみ上げてきた〝寂しい〟という感情を抑えれぬまま、涙を零す。
そして不自然さを孕んだその異様な自然の産物は、ただそこに静かに佇んだまま、足元の人間たちを睥睨していた。
◇◆◇
初仕事だ、起き抜けの頭にそう伝えられたのは、ユリと話した次の日の早朝だった。それからバタバタと準備をして装甲車に乗り込んだのがおよそ十五分前。今は必死に眠気をこらえながら、舗装されていない道に体を揺らしていた。
正面には行儀よく座ったタイガと、その肩に頭を乗せるユリの姿があった。しかもその手はタイガの手を握っており、なんとなく気まずかった。その気まずさからか、今からどこに行くのか、自分たちが何をするのかも、ろくに聞きだせなかった。
シドは調査だと言っていたが、今更何を調べようというのだろうか。首から下げているマスクは出発前にリゼットから渡されたものだ。これのおかげで向かう場所がどんな状況なのか大体察しがつくものの、それがかえって不安感をあおった。
Gモンスターに傷つけられれば、そこから植物が侵食して十分も経たずに植物化してしまうのは広く知られている。しかし、自然発症する緑化症が、一体どういうメカニズムなのかは、未だに解明されていない。空気感染なのか、接触感染なのか、それらとも違う別の感染経路なのか。
だがそもそもこのマスクが緑化症予防のためとも限らない。今でも有毒ガスが噴き出している場所はいくつかある。それに対する備えなのかもしれない。今からあれこれ心配してもどうにもならないことは分かっていたが、それでも考えずにはいられなかった。
『諸君、ビンゴだ』
乗員席に響いたシドの声に、ユリがタイガに預けていた頭をゆらりと持ち上げた。その瞳はどこか憂鬱げで、何かを憐れんでいるかのようだった。
「〈パラダイス〉……また人が大勢死んだのね」
楽園を意味する言葉。しかしユリの言動を見るに、少なくとも楽しい場所ではないのは確かだった。大勢死んだ、とそう告げた口はきつく結ばれ、視線は装甲車の進行方向に向けられていた。
自分だけ何も知らされていないという疎外感に、エイミーは体をもぞもぞと動かした。いや、知らされていないのではない、知ろうとしなかったのだ。チャンスはいくらでもあったはずなのに、気づけばそれを先送りにして、平穏な日々だけを享受しようとしていた。
胸にわだかまる罪悪感をほぐすように、手を握ったり開いたりしてみる。しかし罪悪感はそこに残ったまま、虚しさだけが体中に押し広げられていった。
装甲車から降りると、〈パラダイス〉はそこにあった。小さな町の真ん中にぽつんと佇む巨大な緑の特異点。それはコロニーを丸ごと飲み込んだ怪物が、その場で眠っているかのように鎮座していた。
緑化爆弾が爆発した日以来、世界では異常に植物が成長し、あらゆる建造物が飲み込まれていった。しかしそれはあくまでビルに木が絡みついたり、雑草が大量に生えてくるレベルのものだ。
だが〈パラダイス〉は、その密度が異常だった。
「これが……〈パラダイス〉……」
見るものを圧倒する緑の暴力に、エイミーは言葉を失った。今まで生きてきた中で、こんなものの存在など聞かされていなかった。
「突発的に発生する未知の現象。予測はできないし、原因もよく分からない」
各々の装備の点検を進めていく中、シドが近づいてきてそう言った。
「だから一般人には知られていない。それは――」
「――無用な恐怖を与えないため、ですか?」
気づけば、自分の口が彼女の言葉を遮っていた。知らない方が幸せな時もあるというのは理解できる。しかし、ここに住んでいた人たちは一瞬で命を奪われたのだ。何が起きたのか知ることもなく。
どうして何もしていない、普通に生活しているだけの人々が、こうも簡単に、理不尽に命を奪われてしまうのだろうか。
「……総員、マスクを装着。今からこの中に突入する」
マスク越しに聞こえるシドのくぐもった声に、死者の声に引っ張られていたエイミーはハッとした。死んだ人間の気持ちを考えても、分かるはずもない。出来るのは、彼らを想い、次代に命を繋げることだけだ。そしてこの任務が、きっと何かにつながるはずだ。
首から下げていたマスクを着けると、籠った呼気が喉に絡みついた。左耳のインカムから、シドの声が聞こえる。
『通信。チェック』
『チェック』
『チェック』
最後は自分の番だと気づいたエイミーが「チェック」と答える。
『このパラダイスは発生の報告からすでに三時間が経過してる。ユリ、コアの露出予想時間は?』
『すでに成長速度が安定してきています。ので、あと十五分ほどかと』
ユリは手に持った装置を操作しながら言ったが、エイミーには正直何のことだかさっぱり分からなかった。そして置いて行かれているような気まずさを持て余すように、腕に抱えたカラシニコフを握りなおした。
『タイガ、私、ユリ、エイミー、リゼットの順番でパラダイスに突入する。常に周囲に気を配り、何か異変があったら伝えてくれ。はぐれるなよ』
全員が了解、と答えるとシドは頷いた。
『では、突入する』
タイガを先頭に、部隊のメンバーは慎重にその楽園(パラダイス)に足を踏み入れる。密集した葉に日航が遮られ、真昼だというのに薄暗いその森は、まるで別の世界のようだった。
見たことのないような奇抜な花々が咲き乱れ、捻じれた大樹には無理やり成長したかのような蔓が巻き付いていた。
そして時折見える人々の生活の名残が、現状の悲惨さを訴える。植物の荒波に飲まれた建物、ツタに縛られたぬいぐるみ、人の形をした枝葉……
「酷い……」
思わず、そんな言葉がついて出る。彼らにも愛する家族、今日や明日といった日常、いつかこの状況が良くなるという希望があったはずなのだ。だがそれらは叶うことはなく、ただ無情に命を奪われた。
これを酷いと言わずに、どう表現すればよいのだろうか。
『ユリ、目標までの距離は』
『残り四百メートル……いや、待ってください』
その言葉に、全員の動きがピタリと止まる。エイミーの正面にいるユリは、手に持った装置を見て、何かに気が付いたようだった。
『……生存者の反応があります。この右にある民家です』
それから数秒の間、地面に足を縫い付けられてしまったかのように、動くものは誰もいなかった。その様子に不安を覚えたエイミーの「助けないんですか」という発言に、『今は任務が優先だ』とリゼットが応える。
『この任務には全人類の希望がかかってる。それをたった一人のために……』
『いや、エイミーは正しい』
『隊長⁉』
『生存者に話を聞ければ、何か分かるかもしれない。ユリ、反応はどうだ?』
『弱まっています』
『分かった。ではまず全員で生存者を救出、その後リゼットとエイミーで生存者を運び、残った我々で最深部へ向かう。しかし、生存者が助けられる状況でなかった場合、あきらめる。リゼット、それでいいな?』
渋々といった様子で『了解』とリゼットは返す。
『よし、案内してくれ』
シドがタイガの背中をコンコンと叩くと、ユリからのルートを受け取ったタイガがすぐそこにある民家の前に立ち止まった。そして数歩後ずさると、助走をつけてそのドアを突き破った。侵食していた枝とドアの残骸がバラバラに吹き飛び、中の様子が露になる。
それからタイガ以外のメンバーが部屋に入り、壁伝いに移動しながら周囲を警戒する。質素な部屋の作りだが今は生活感のかけらもなく、草木が伸び放題になってしまった部屋は何年も放置されたような有様だった。そしてその奥に、生存者はいた。
赤い布を被り、部屋の隅で怯えているように見える。だが、何かがおかしい。救出に来たというのに、喜ぶ素振りすら見えない。けがをしているのか、それとも動けない理由が他にあるのか。
リゼットが声をかけようと手を伸ばす。
その時だった。
突然天井が爆ぜ割れ、そこから轟音と共に飛び出してきたツタがエイミーの首に巻き付く。とっさに引きはがそうとツタを掴む。しかしその抵抗もむなしく、人間の腕ほどはあろうかというそのツタが気道を圧迫した。
上に引っ張り上げられそうになる寸前で、タイガが足を掴んで止める。シドとユリはライフルで天井を撃ちまくるが、本体に当たっていないのか、拘束が解かれるようすはなかった。
いくらもがいても拘束が緩むことはなく、ただ息苦しさと絶望がエイミーの視界を黒く塗りつぶし始めていた。やがて意識が遠のき始め、手足からちからが抜けてだらりと垂れる。正面にいるリゼットが何かを必死に訴えているようだが、こちらには何も聞こえなかった。
昨晩の嫌な予感は、当たっていた。自分はここで死ぬ運命なのだ。
虫の知らせというのは本当にあるものなんだな、とふとそんなことが頭をよぎる。そして次の瞬間、上の方で何かが千切れるような音がして、エイミーは地面に落下した。天井から垂らされたツタに上っていたリゼットが、ナイフで切断していたのだ。
派手にしりもちをついた格好だが、痛みを知覚するよりも早く首に巻き付いていたツタを解くと、マスクを外して肺いっぱいに息を吸った。それから息を吐く間もなく、エイミーはリゼットに引っ張られて民家から脱出した。
埃っぽい空気にごほごほとせき込みながら、目の前のトラップハウスをただ茫然と見つめる。傍から見ればただの廃屋だ。しかし内部には、思わぬ怪物が潜んでいたのだ。
『ブービートラップとは……いやらしいことをしてくれるじゃないか』
シドは苦々しげに呟き、座り込んでいるエイミーの肩を叩いた。『大丈夫か?』
「えぇ、まぁ何とか……」
息を整えると、再びマスクで口を覆った。自らの吐き出す生ぬるい呼気が、まだ自分は生きているという事実を告げる。
差し出されたシドの手を借りて立ち上がると、リゼットの方に向き直った。彼女はナイフに付着した粘液を、どうにかはがそうとしていた。
「リゼットさん……」
ようやく粘液を振り払ったナイフを仕舞いながら、リゼットは『どうした?』と応える。
「さっきは……すいませんでした。私が無茶を言ったせいで……」
『そうだな。確かに危うくお前は死ぬところだった。だが、お前の気持ちも理解できる。その気持ちは、忘れるなよ』
そう言うと彼女は、人差し指でエイミーの左胸をトントンと叩いた。『私は少し、焦っていたのかもしれないな』
「え?」
気にしないでくれ、と自嘲気味に笑ったリゼットは『ただの独り言だ』とだけ残して、エイミーに背を向けた。
それをどう捉えるべきか決めかねていると、『時間が押してる。急ごう』と言ったシドに小走りで向かった。
それから隊列を再び整えた妖精部隊は、パラダイスの中心部へと向かってより慎重に歩を進めていった。道中は道が悪い以外の障害物はほとんどなく、ただ異様な静けさと、無秩序な混沌が生み出す奇怪な風景が、一行を包み込んでいた。
そして数分ほど歩いた後、ついにパラダイスの中心部、爆心地にも似た巨木が立っている場所へとたどり着いた。そこはかつて広場だったようで、巨木に浸食された噴水が無残な姿を晒している。さらに周囲には人の形をした植物が立っており、近づいてみるとヒトの骨格と筋肉を再現している様子が見て取れた。
『リゼット、これはなんだ?』
シドの問いに、リゼットは『分からない』と首を横に振る。
『初めて見るものだ。しかも……人間に酷似してる。緑化症におかされた患者のようにも見えるが、こんな症状は見たことない』
『今は、動かないんだな?』
『そうであることを祈るしかない』
『よし、じゃあさっそく取り掛かろう』
巨木に近づくと、その樹皮の間にむき出しになっている部分に、オレンジに発光する何かが埋め込まれているのが見えた。
『間に合ったな。ユリ、爆薬を』
タイガとリゼットが周囲を警戒する中、エイミーはシドの元に駆け寄った。
「これは……一体なんです?」
『パラダイスの〝コア〟だよ。ここからあふれ出すエネルギーがこの森全体を成長させ、生かしている』
「じゃあこれを破壊すれば……」
『その通り。このパラダイスは崩壊する。実は今までも何回か破壊を試みていたんだけど、接触は初めて』
『えぇ、これはある意味、時空間の裂け目のようなもので、しばらく経つと消滅してしまうの』
取り出した爆薬をコアの周辺に設置しながら、ユリはシドの言葉を継いだ。
『だからこの構造自体は不安定で、そこに大きな力を加えれば裂け目は崩壊する。理論上では、だけど。そしてこれは、あの爆心地も同様なの。ただしあっちはもっと巨大だけどね。そしてその大きさに見合うエネルギーを供給するために、あそこのコアはずっと露出してる』
『そう。で、これが成功すれば、あとは爆心地のコアを見つけて、爆破するだけってワケ』
その話はまるで、今までの困難に比べれば夢物語のようだった。例えあの巨木を破壊したとしても全てが終わるわけではないが、人類は生存に向けて大きく前進することができるはずだ。死んでいった人たちのためにも、必ず成功させなければならない。
設置を終えたらしいユリが、シドに向かって親指を立てる。彼女は頷いて、『タイマーを一分後にセットして。私たちは退避する』
コアを囲むように円形に配置されているのは、標準的なプラスチック爆薬だ。電気で簡単に起爆することができ、組み合わせ次第で様々な状況に対応できる。ユリがタイマーをセットし終えると同時に、全員が各々の障害物の裏に隠れた。今のところGモンスターがこちらに近づいてきている気配はない。だが、あの爆薬が爆発するまで、あのコアが破壊されるまでは、一切油断できなかった。
するとその時、シドの肩を何かが掴んだ。その身体がびくりと震え、彼女は恐る恐る肩に置かれた手を見た。
そこには、枝と葉で作られた手があった。Gモンスターだ、という言葉が脳裏に浮かぶより早く、抱えたライフルの銃床で相手の腿を殴る。そしてバランスを崩した頭部に弾丸を撃ち込んだ。
『敵襲だ!』
シドに注いでいた視線を正面に戻すと、広場に立っていたあの人型の植物が次々と動き出し、こちらに迫ってきていた。よろよろとした動きでこちらに迫ってくる様は、どこかのコミックで読んだゾンビを彷彿とさせる。
だが幸いなことに、人型Gモンスターは硬い外殻を持っているわけではなく、頭部を破壊すれば簡単に無力化することができた。
爆薬が爆発するまでの時間が刻々と迫る中、妖精部隊は無駄のない動きでGモンスターを撃ち続けた。
『爆発まで、五、四、三……』
ユリが手元の端末を見ながら、爆発までのカウントダウンを告げる。そしてゼロと同時に、全員がその場に伏せた。
コアが爆発し、煙と同時に木片が飛び散って一瞬全員の視界を塞ぐ。すると、遮蔽物として寄りかかっていた木がボロボロに崩れ去り、思わず倒れかけたエイミーは目を丸くした。
周囲のパラダイスを構成していた植物が、次々と枯れて崩壊している。それはGモンスターたちも例外ではなく、膝から崩れ落ちるようにして肺へと還っていった。夢物語のように思っていたそれが、現実になったのだ。
木々が崩れ去り、頭上から覗く晴天と日光に思わず腕で庇を作って目を細める。成功した、そう思った瞬間、胸に安堵が広がっていくのが分かった。他の部隊員も表には出していないが、その喜びを噛み締めているようだった。
だがふと後ろを振り向けば、そこには灰に埋もれた人々の営みの痕が、痛々しくも残されていた。喜びたい反面、ここに住んでいた人たちが犠牲になったことにやるせなさを覚えたエイミーは、跪いて灰を一握り掴んだ。
指の隙間から零れ落ちぬように、両手でしっかりと握り、その拳を胸に押し当てた。胸からあふれ出した虚しさが喉を詰まらせ、涙となって外に流されていく。
「あなたたちの命は……絶対に無駄にしませんから……」
エイミーの祈るような言葉が、廃墟と化したコロニーに吹きすさぶ。だがそれは誰にも受け止められることなく、静かな世界のどこかへと消え去っていった。
◇◆◇
『大尉、君の報告書を読んだ。今回の働きは見事だったな』
「……ありがとうございます」
誰もいない薄暗いテントの中、青白い明りに照らされたシドの顔が浮かび上がる。その正面に置かれたディスプレイには、〈SOUND ONLY〉の表記が映し出されていた。
『今はこのキャンプ・オメガ内で、あのグラウンド・ゼロに対する大規模攻撃計画を実施するためのメンバーを組ませている。もちろん、君たち妖精部隊も、それに参加してもらう。ようやく、数々の犠牲が報われるときが来たのだ』
そうだ。そして復讐を果たす。彼女にとっての大切な人、これまで散っていった仲間たちの復讐だ。
「しかし大佐、一つだけ懸念事項が」
『あの人型Gモンスターか。映像は見た。しかしあの映像の限りでは、そこまでの脅威はないように思えるが?』
「大佐は、〈ボキラ〉という植物をご存知ですか? 南米に生えるツタの一種で、近くに生えている植物に擬態する能力があって、葉の大きさや形、色まで擬態できるそうです」
『つまり、あれらがより人間に近く擬態すると?』
シドはその言葉にうなずくと、背もたれに寄りかかって腕を組んだ。
「そうです。あいつらは何億という人間を取り込んでます。そろそろ擬態してきてもおかしくない、というより今からでは遅いくらいです」
『Gモンスターのスパイが、いずれ現れるというのか』
「もしかしたら、もうすでに我々の中にいるかもしれません……」
その日の夜、エイミーは高台からの監視任務に就いていた。今日は当番ではなかったが、眠れる気がせず、かといって無駄に時間を過ごす気もなかったので、無理やり交代してもらったのだ。
しかし廃車で固められたバリケードの辺りまでは見えても、照明が届かないさらにその奥は漆黒の闇に塗りつぶされ、闇の濃淡でしかそこに存在するものを判別できなかった。
暗がりに目を向けながら手すりに寄りかかると、手にしたスイッチの蓋を開けては閉じてを繰り返す。開閉時に鳴る小さなクリック音、一定のリズムを奏でるそのパチン、パチンという音は、少なくとも深く沈みかけていた気持ちを一定に保つ働きをしてくれた。
肌に触れる夜風はいよいよその冷たさを増し、冬の到来を告げているかのようだった。ここで過ごす冬はどういうものなのだろうか、とふと思案する。コロニーにいた頃よりはまだ暖かいのだろうか。雪が降ったら、昔のようにみんなで雪かきをするのだろうか。そもそも冬まで生きていけるのだろうか……
そんなことを考えていると背後に何者かの気配を感じ、蓋を弄っていた親指を止めた。音が止み、ドラム缶にくべられた薪の爆ぜる音が、虫の鳴き声に乗ってここまで運ばれてくる。
後ろを振り返ると、そこには二つのへこみ傷だらけのタンブラーを抱えたリゼットが、そこに立っていた。
「……差し入れだ」
熱々のコーヒーに舌をやけどしそうになりながらも、どうにか一口飲み込む。純粋な苦みが体中を駆け巡り、ぼうっとしかけていた頭を叩き起こした。
「ブラックで良かったか? 君の好みが分からなくて」
「いえ、あぁ、大丈夫です。少し……苦いですけど」
そう言って苦笑するとリゼットはこちらに微笑みかけて、自分のコーヒーを一口飲んだ。
「でも正直、驚きました。故郷ではコーヒーなんて年に一度飲めるか飲めないかぐらいだったので。今となっては、むしろあのキノコ茶の味が恋しいですよ」
「分かるよ。私もそうだった。そして多分……シドも」
「隊長とは、長い付き合いなんですか?」
「あぁ。同じコロニーでね。いわゆる腐れ縁ってやつさ」
その時、ふとこの前の〝スキンシップ〟の感覚が蘇り、エイミーは思わず肩をぶるりと震わせた。
「どうした? 寒いのか?」
「そういうワケじゃないんですけど……」
それから逡巡するように視線を左右に振ってから、意を決するようにリゼットを見据えて言った。
「シド隊長って、女の人が好きなんですか?」
それを聞いた途端、リゼットは目を丸くしてしばらく硬直した。これは地雷を踏んだかな、と気まずくなっていると、唐突に彼女は笑い出した。
「何だと思えば、そんなことか! 彼女に手を出されたのかい?」
なんだか思い出すのも恥ずかしくなって首をすぼめながらも、エイミーは小さく頷いた。
「……そうだな。君の質問通り、シドは女性が好きだ。実際、コロニーには彼女の……パートナーがいた。名前はソフィア。ソフィア・ブラン。生まれつき体が弱くて、ずっと本を読んでた。シドとは正反対だったが、きっとそこに惹かれたんだろう」
「今、ソフィアさんは?」
「……もういない。パラダイスに巻き込まれたんだ。私とシドは運よく周囲の見回りをしていたから助かったが、ソフィアは、もうそこにはいなかった。それからだ。シドがおかしくなったのは」
「え? どういうことです?」
リゼットは躊躇うように首を振ると、深く息を吐いた。視線は遠くを見つめていたが、その目は、何かを憐れんでいるようだった。
「まず、シドは自らをシド・ソフィアと名乗るようになった」
ソフィアという名前に聞き覚えがあったのは、最初にシドが自己紹介した時にそう名乗っていたからだったのか。そう妙に納得する一方で、大事な人の死をそうやっていつまでも引きずるなんて、と少し腹立たしくもなった。
「それから、あの瞳だ。シドは元々灰色の瞳だったが、片方だけ青にしたんだ。どうやったかは知らないが、とにかくあの瞳はソフィアのものだ。そしていつも、同じ本ばかり読むようになった。内容は知らないが、とにかく何週もしてる。今まで本なんか読まなかったくせに、急に読み始めたんだ。それで、これだ。この部隊、妖精部隊だ。女性のみを集めた、対パラダイス部隊……私は最初、ただの自殺部隊(スーサイド・スクワッド)になると思った。だが今は――」
そう夜空を見上げたリゼットの口元は緩み、目は輝いているように見えた。
「――希望がある。人類をこの悪夢から救い出せる希望が」
希望。命を脅かす無秩序の楽園(パラダイス)を打ち砕く希望。今はまだ実体のないただの可能性だが、その可能性が光となって、道を照らし出してくれる。先が見えなかった道が、今ははっきりと見える。
昔とは違う。ただ怯え、いつ来るか分からない脅威から身を守るのではなく、明日のためにこちらから行動する。
今はまだ終わらせられなくても、その次はきっと――
その瞬間、奥に広がる闇を鋭い一対のライトが切り裂いた。それから空気を振動させるような轟音が鳴り響き、地面が揺れるのを感じた。
「これは……」
「輸送キャラバン? 予定にないぞ!」
全身を刺し貫く不安感が、心臓を早鐘のように鳴らす。高台に設置されたスポットライトを操作して、その不安の元を照らす。そしてその姿に、エイミーは思わず絶句した。
黒とグレーの都市迷彩が施された、高さ五メートルほどのクモのような巨大なロボット。それが四本の脚に装備されたタイヤで滑るように、猛然とこちらに近づいてきていた。しかもその表面にはツルが覆っており、それがただのマシーンでないことを裏付けていた。
そう、あの戦車もGモンスターなのだ。
「リゼットさん!」
もはや叫び声に近い声で、彼女の名を呼ぶ。そしてリゼットは迫りくるその姿を見て、こう呟いた。
「思考戦車(シンク)……」
話には聞いたことがあった。大昔の戦争で使われた戦車で、今ではもう稼働できる車両は存在しないはずだった。しかし動くはずのないそれは確かに目の前に存在し、まるで闘牛のようにこちらに向かって突っ込んできていた。
その巨大な体躯に、圧倒的質量を持つ物体を動かすエンジン、それらが織り成す〝圧〟にまるで体を押さえつけられたようにその場に釘付けになる。
「エイミー!」
リゼットに肩を掴まれてようやく我に返ったエイミーは、「逃げないと!」という言葉にただただ頷くしかなかった。そして手のひらが擦れるのにも構わず、滑り落ちるようにはしごから降りると、正面の誰かが「突っ込むぞ!」と言っている声が聞こえた。
それとほぼ同時に、背後のバリケードで爆発のような音が空気を震わせたかと思うと、積み上げられた廃車がまるでおもちゃのように宙を舞っていた。そしてそれらは物理の法則に従ってしばらく空中に留まると、今度は重力に引かれて地面に落下し始めた。
廃車が雨のように降る中、二人はその間を縫って走り続けた。その隣で走っていた男が廃車に潰されて悲鳴を上げる間もなく絶命する。そして根本を破壊された監視塔が倒れて近くのキャンプを破壊した。
一瞬で今まで築いてきたものが破壊されていく様に、次は自分の番だ、と胸の奥からふとそんな声が聞こえてきて、エイミーは首筋の皮膚が粟立つのを感じた。焦燥感に駆られて後ろを振り返ると、破壊されたバリケードからゾンビのような人型Gモンスターが次々に侵入してきていた。
既に迎撃は開始しているものの、Gモンスターはともかく、思考戦車の分厚い装甲を貫くにはもっと威力のある武器が必要だった。そしてエイミーたちが装甲車の裏に隠れるのと、思考戦車の機関砲が火を噴いたのは、ほとんど同時だった。
ダダダダ、と連続した銃声が空間を震わせ、熱を帯びた弾丸が運悪く射線上にいた人間を爆裂させる。それはまるで人体という蕾から、赤い鮮血の花が咲き乱れるかのようだった。しかし肉体が血を飛び散らした刹那、それは一瞬で緑の植物に変容しコンクリートの地面に根を張った。
そう、それは最初から人を殺傷するものではなく、人を植物に変えるための弾丸だった。〈リメンバー・グリーン〉が通常の爆弾を使わずに緑化爆弾を使ったように、Gモンスターもまた〝緑化弾〟を使用しているのだ。
「リゼットさん! あれは⁉」
「分からない! あんなの初めて見た!」
周囲の爆竹のような銃声に負けじと声を張り上げてリゼットが返す。
だが、どうしてだ。どうして今になってあんなものが出てきた? いつだってここを襲うことだってできたはずなのに……
そして、ある一つの予感がエイミーの口をついて出た。
「パラダイスだ……」
「じゃあ、これはその報復だって言うのか?」
そこに、ビルから出てきたシドが合流してきた。どれくらいの高さから降りてきたのかは分からないが、かなり息を切らしている様子だった。
「状況は!」
「Gモンスターに侵食されたシンクが、キャンプ内に侵入してきてる。その他パラダイスにいたあの人型も複数」
「厄介っていうレベルを超えてるわね……ユリは?」
分からない、とリゼットが首を横に振る中、エリーが頭上を見上げると、作動したリフトが見えた。
「あそこにいます!」
そのリフトを指し示した瞬間、シンクから放たれた無数の弾丸がリフトを貫いた。吊るしていたワイヤーが切断され、リフトがバラバラになりながら落下してくる。
「クソっ! 逃げろ!」
シドの指示ですぐ横のビルに駆け込んだ三人の背後で、激しく金属を打ち付けるような音が聞こえてきた。その音に振り返るや否や、先ほどまで遮蔽物にしていた装甲車が爆発した。周囲をパッとオレンジに染め上げ、目に強い光を焼き付かせる。
その残骸から目が離せなくなっていたエイミーは、シドに腕を掴まれてようやく我に返った。
「ユリなら、大丈夫だ。タイガだってついてる」
「いや、私は……」
装甲車が爆発する寸前、何か赤い物がその屋根部分に打ち付けられているのを、エイミーは見てしまった。だから目を離すことができなかった。つい数時間前まで一緒にいたはずなのに、それをどうしても信じることが出来なかったから。
「……見たんです。彼女の、体が、あそこにあったんです」
シドは一瞬視線を落とすと、そうか、とだけ言った。それからすぐに正面を見据え、
「なら、彼女の分まで戦うだけだ」
どうしてという疑問が頭の中に浮かび上がるのと同時に、エイミーは思い出した。ここは簡単に人が死ぬ場所なのだと。どういうわけか、今まで忘れてしまっていた。きっと上手くいきすぎてたからだと思う。
そしてついに、見えない死神が、その鎌を振るったのだ。その結果ユリは死に、この三人が生き残った。
「だが、ここには対戦車用の武器はないぞ。どうするつもりだ?」
「爆薬ならある。それを使ってどうにかするさ」
「どうにかって……」
リゼットの呆れたような声音に、エイミーは意を決して声を張り上げた。
「私に考えがあります!」
振り返った二人に、エイミーはポケットから取り出したスイッチを掲げる。そこから伸びたコードは防弾ベストの中に繋がっていた。
「ここに、爆弾があります。隊長とリゼットさんは、敵をビルの近くまでおびき寄せてください。私はその直上から敵に降下して、この爆弾を爆発させます」
シドとリゼットはしばらく何も言わなかったが、程なくしてシドが口を開いた。
「……分かった」
「シド!」
諫めるリゼットに、シドは手を上げてそれを制した。
「彼女がやるというなら、止めはしない。でも、一つだけ条件がある。それは、死なないことだ。約束できるね?」
エイミーは頷くと、そのまま階段の方に向かって駆けだした。そうしなければ、この決意が消えてしまいそうな気がしたからだ。
吹き抜けのロビーに飛び出し、もはや動かなくなったエスカレーターを駆けあがる。一歩踏み出す度に息が上がり、その足の感覚は段々と消えていく。
まざまざと見せつけられた死の実感が、彼女を恐れさせた。上に上がっていくにつれて、それがはっきりと見え始める。
それ自体に形はない。意思もないし、幽霊でもない。だが、常にすぐそこに存在する。そして、その時が訪れると唐突に姿を現すのだ。
全ての生物に書き込まれた『死を恐れよ』というプログラムは、種を繁栄させるのに必要なものだった。だからこそ、生き物は自らを脅かそうとするものと戦うことが出来る。
ビルの二階に到着すると、エイミーはジャケットと防弾ベストを脱いだ。ベストの裏地にはいくつかのC4爆弾が括り付けられている。もし、Gモンスターに取り込まれるようなことがあったときに、自爆するためだ。
だが今は、これが大勢の命を助けるかもしれない。
階下からは激しい銃声が聞こえてきており、二人が必死に抵抗していることを告げている。すぐさまガラス張りだった壁際に移動して、下を見る。
シンクまでは少し距離があるが、ここからジャンプすれば恐らく届くはずだ。
少し後ろに下がって、息を整える。起爆スイッチを握る手は汗ばみ、心臓は爆発しそうなほどの鼓動を刻んでいた。
そして勢いをつけるように助走をして、ビルから飛び出した。内臓がふわりと浮かぶような不快感のあと、シンクの上に着地したエイミーはバランスを崩して全身をシンクの装甲に打ち付けた。
それに気づいたシンクが降り落とそうと激しく車体を揺らすが、生えているツタを握って必死にこらえる。
急いで爆破しないと、ここから振り落とされてしまう。そう考えたエイミーは起爆スイッチのカバーを外し、親指をかける。
だがスイッチを押す直前になって、シドの言葉を思い出した。彼女は死ぬな、と言った。そしてそれが、この作戦の条件だった。
危険な作戦なのに、彼女がそれを止めなかったのは、エイミーを信じていたからに他ならない。
「なら私は――」
エイミーはシンクの上をゴロゴロと転がると、そこから落下する直前にスイッチを押した。背後で起きた爆発によって押し寄せた爆風に押し出され、人形のように投げ出された。そして地面に強く頭を打つと、目の前に色とりどりの火花が散った。
それからすぐさま立ち上がってシンクの方を見やると、その脚部は四方に伸ばされて、完全に動きを止めているように見えた。胴体部分からは、爆発で空いた穴から煙が出ていた。
「終わった……」
全身から力が抜け、へなへなとその場に座り込んだエイミーはふと空を見上げた。瞬いていた星々は消え、代わりに白み始めた夜空が美しいグラデーションで彩っていた。
夜が、明けようとしていた。
◇◆◇
シンクの一件によって、キャンプ・オメガは大打撃を受け、廃棄されることが決定した。それに伴って妖精部隊は解散。生き残った三人のメンバーはそれぞれ別のコロニーに配属されることになった。
聞くところによれば、Gモンスターの活動が活発になり始め、どこも人手が不足しているらしいとのことだ。
だからといって、戦うことをやめるつもりはない。守るだけでは勝てないと知ってしまったから。
あの時のようにトラックの荷台に揺られながら、エイミーは遠ざかっていく街を眺めた。
葉を落としてすっかり寒々しくなってしまった街を。
数多の命を飲み込んだ、恐るべき森を。
もうすぐ、冬が来る。