人には向き不向きがある。〜無理にバズらなくたっていい〜

今でこそアイドルやらEDMやらボカロやらゲーム音楽やら、ありとあらゆるどころか音楽ならなんでも持ってこい!のちゃんぽん聴きスタイルだが、程良く昔話になる程度遡ると、ワンジャンルしか聞いてなかった。
バンドである。すでにバンドの中でヴィジュアル系、スカロック、邦ロックと音楽ちゃんぽんの片鱗は見せているが、父親が延々と流していたビートルズとボサノバのアルペジオを子守唄として聴いて、初めて買ったCDはstrawberry jamというガールズ3ピースバンドというくらいには骨身にバンド音楽が染み渡っている。

そんな親の声よりバンドサウンドを聞いていた音楽ちゃんぽんオタクの前に、衝撃の2022秋アニメが現れる。

ぼっち・ざ・ろっく、通称「ぼざろ」である。

平成史に残るバンドアニメといえば学校にある軽音部を舞台とした「けいおん!」であるが、「ぼざろ」は令和のバンドアニメとして、学校を出てライブハウスで活動する新たな形でアニメ史にしっかり爪痕を残した。
ことに話題となったのは、主人公たちのバンド「結束バンド」のメンバーの苗字が日本を代表する邦ロックバンド、アジカンこと「アジアンカンフージェネレーション」のメンバーそのままであるということだ。
自分はその頃、ロックの奔流から外れてヴィジュアルロックというジャンルにいたうえ、その後は「残響レコード」という会社のアーティストを聞いていたのでアジカンについては「リライトが鋼の錬金術師のOPだったこと」と「伊地知さんがフジファブリックの金沢さんと料理本を出していること」しか知らない。


それでも手に汗握る展開や「ロックのオタクくんてこういう曲好きでしょ?」と言わんばかりの、ゴリゴリのライブハウスバンドミュージックに見事にハマって完走してしまった。

あまりにも良かったため、アジカンファンである10年来の友人に勧めてお前もハマるんだよ!と沼の淵に立たせたら見事な飛び込みを見せてハマってくれた。ありがたいことである。

その友人とバンドマンという概念を擬人化した女(※個人の感想です)こと山田リョウの話になり、カラカラの話になったのだが、その際にthe cabsという過去に残響レコードという会社に所属していた大好きなバンドの親の声より聞いたアルペジオからの和音引きに「山田リョウってさぁ!残響系一生聴いてると思うんだワ!!!!!!!」と唾を飛ばしながら話した所、にこにこと笑って頷きながら聴いてくれていた。

その反応を同意と捉えたため、「やっぱみんな山田リョウは残響レコード聴いてると思ってるんだ!」と大はしゃぎした。

そのあと、アジカンファンの友人からnoteの記事のリンクが送られてきた。

上記の記事でも、山田リョウのカラカラについては残響レコードの曲を引き合いに出されていたので「やっぱり世界の認識は山田リョウは残響レコードを聴いてるだよね!」と返したところ、衝撃のひと言が返ってくる。

『残響系って何かわからなかったけど、インディーズのレコード会社に所属していたアーティストの音楽なんだね』

アジカンファンであるゴリゴリの邦ロック好きに全く伝わっていなかった。嘘でしょ!?!!!
「青あざ」のことを「青なじみ」というのは方言だったくらいの衝撃である。
ちなみにアジカンファンの友人は邦ロックの歴史にめちゃくちゃ詳しいので、アジカンだけが好きというタイプではない。

邦楽ロック全てに通じるのかと思っていたら、全く伝わっていなかった。嘘でしょ!?!!(2回目)

あまりにもショックすぎて残響系(ことにthe cabs)について改めて調べていたら、音楽的にマスロックというジャンルに所属しているという知識を得た。10〜年目の新事実である。マスロック、読めば読むほど山田リョウが好きそ〜な音楽性〜〜(偏見)

ここから自分語りとなるが、アジカンファンの友人とは、他にもう一人友人を交えて、長い間共に文藝創作をしていた。

その際、アジカンファンの友人は感想を送ってもらえるほどの固定ファンが多くついたうえ、viewも1000超え、いいねも100以上とかなり人気の作家であった。
対して自分は感想は滅多にもらえず、viewもよくて100、平均30ほど、いいねは5あればかなりいいほうという激烈に売れない作家であった。
もう一人もアジカンファンの作家くらいに人気作家だったため、自分はいいねや感想が貰えない嫉妬に狂って暴れて、当たり散らした挙句に「バズらない!バズらない!!なんで私だけいいねがもらえずバズらない!!!」と金切り声で叫んで錯乱して筆を折ってしまった。

その時はなんで自分だけバズらないんですか!?!!と泣きながら壁に頭を打ち付けていたが、今思えばアジカンファンの友人と「マスロック」というロックの中でも激烈マイナーかつ極狭ジャンルの音楽を好きな自分、より感性がいろんな人に届いて共感するのはどちらかと言えば、火を見るより明らかだった。

筆を折った時の自分の状態をわかりやすく言うと「承認欲求が後藤ひとり並みに強い割に、山田リョウ並みの矜持を持ったバンドマン」である。最悪の承認欲求モンスターである自覚しかない。

今の時代、「数が正義」「コストパフォーマンスが正義」であり、それ以外は取るに足らないもの、特に必要としないものと切り捨てられがちだ。

だけれど、人には向き不向きがある。
激烈マイナーで極狭ジャンルの音楽が好きなオタクこと自分がいわゆるバズるものを書けるかと言えば、それはNOである。明らかに向いていない。

一方、激烈マイナーで極狭ジャンルの音楽でも、自分に刺さったように需要は必ずある。
自分に残響系(マスロック)が刺さった時にそうだったように、広く人に届かなくても、深く人に届く。

バズらなくて何かを辞めそう、人に受け入れられなくてもう無理かもしれないと思っていたら、一度立ち止まって振り返ってみてほしい。

自分の好きなものがどう人に届いているのか、自分の作ったものはどんなふうに見えているのか。

ぼざろの話をしていて残響系の話がゴリゴリの邦ロック好きに刺さらなかった時、そりゃあそう!となって「バズらなくて大暴れしていた自分」が成仏したので、このnoteを書いた。

「SNSの閲覧数が伸びない」で好きなことをやめそうになっていたら、何もかも辞めてしまう前に、一度自分の好きなものを振り返ってほしい。
自分のようなSNSの数に淘汰されて哀れなモンスターと化した人が増えてほしくない、なぜかそう唐突に思った。

もし刺さるべき人にこのnoteが刺さった場合は、自分がこの世で一番好きな曲のドラム解説の動画を多く回して頂ければ幸いです。


サビ前の間奏でこんなにリズムが変わる曲を好きな、明らかに人格もしくは好みのややこしいやつの創作物はいろんな人に届かないし、SNSでバズらないんだよな。(確信)